2011-03-27

アポカリプス


私たちはどうしてこのような凄まじい状況に耐えることが出来るのだろうか。一つ一つの災害や事故がたとえ単独で起こったとしても、喩えていえば新聞の一面を埋めるような大事故だ。一年に一度しか起こらないような事態が次から次へと起きている。コンビナートのタンクが次々と爆発炎上しその煙が東京湾岸を覆い尽くしたのもただの序章でしかなかった。
福島では、1mもの厚みのある鉄筋コンクリートで覆われた原子炉建屋が一瞬で吹き飛ぶ水素爆発が起きた。鉄骨はぐにゃりと曲がりまるで広島の原爆ドームのような様相を見せている。爆発時には焦げ茶色をした煙が建屋の何倍もの高さに吹き上がり、30kmもはなれたカメラからもはっきりと捉えられるほどの規模であった。一棟ならず三棟もの建屋の上部が崩れさった。
露出されたのは、放射能の放出をかろうじて閉じこめている巨大な格納容器である。さらに格納容器の中には制御不能となった反応炉(圧力容器)がある。冷却剤を喪失して高温となった薄いジルコニュウムの被覆菅は破れウラン・プルトニュウムや放射性二次生成物で構成される燃料ペレットが溶け出している。
震災と共にスクラム(緊急停止)によって臨界状態はとめられたものの、冷却装置は復旧しておらず水素爆発や再臨界の危険が除去されたとは言い難い。

その上このことが、大地震・大津波に襲われ無慮三万人の死者を数える悲劇の中に立ち現れているのだ。黙示録的世界が口を開けたのだ。

No comments: