2012-12-26

安倍自民党の圧勝と日本の右傾化

2012.12.17

 2012年12月16日の総選挙において、安倍自民は単独完全過半数を獲得し、民主党から政権を奪い返した。連立を組む公明党と合わせて320議席ほどの再議決可能議席も確保した。
 しかし、この獲得議席はほぼ小泉郵政選挙と同じであり、また事前に想定されていたという意味でも当時ほどの衝撃はない。また、国会内における政治情勢は民・自・公の三党合意=事実上の大野合が成立した時に完成されている。「新保守+新自由主義」による政権である。

 この政治潮流の危惧すべきところは、日の丸の旗で囲まれることを好む党首=首相安倍を産んだ国家主義的な右翼体質である。個人の基本的人権を認めず、政治・思想・結社・表現の自由を制限しようとする、片山さつき的な民衆の主権から国家主権へ移そうとする強権制を志向する政治体質である。外交においては排外主義・民族主義、軍事への傾斜である。

 烏合の衆とは、この三年間に見た民主党の国会議員達のことである。彼らは政権幹部たちの道具として、党内政策論議の輪の中の人格としての議員ではなく、(幹部によって)決められたあとの与党議案を可決させるための(人格を剥奪された)単なる一票としてしか扱われていない。解散・総選挙によって政権の失政の結果責任をすべて負わされ、愚かにも国会議員職から追われた。

 先に、三党合意による連立がなった時に右翼連合の政治潮流が決まったと書いたが、しかしこの総選挙の日は右派的な政治潮流を国民が選び取ったという意味で、メルクマールとして重要な節目として記録されていい。もちろん国民がその愚かさを発揮した日として。

 日本をめぐる極東地域において、ちっぽけな島をめぐる領土問題を除いてさしたる国家関係の緊張感も未だなく、経済環境においても①社会的格差=貧富の差が拡大・固定化されつつあるとは言え失業率などが危機的状況にまで沸騰しているとは言えず②財政もまたギリシャやEUのラテン諸国ほどただちに緊縮財政を強いられるほどではない。つまり国民は、危機をバネにした選択ではなく、社会的・経済的危機を先取りして、能天気な右翼を選び取ったのだ。安倍や石原が酔うほどの切迫感も、熱情も大衆の間に広がっているようには、僕には感じられない。

 とは言え、40歳より若い世代の視点からみれば、情勢はいささか違って見える。彼らが政治的アパシーを越えて右傾化する社会的な土壌があるように見えるのだ。

 Twitterには何度も書いているが、野田時代に始まった政治状況を「大政翼賛社会2.0」と勝手に呼んでいる。

2012-12-22

『フリーフォール』

読書ノート

副題:グローバル経済はどこまで落ちるのか
ジョセフ・E・スティグリッツ
出版:2010.2
1943年生まれ
クリントン政権時 経済諮問委員会 世銀副総裁


■序章
□2008年危機
・(世界で数千万人が失業するという)このような事態は想定されていなかった。自由市場とグローバル化に信をおく…。ニューエコノミーは、規制緩和や金融工学など、20世紀後半を特徴付ける驚異的なイノベーションの総称であり、より優れたリスク管理を可能とし、景気循環を消滅させるはずだった。少なくとも景気変動のショックを和らげるはずだった。
・四半世紀の間、幅を利かせていたのは、自由市場至上主義だった。

・アラン・グリーンスパン/ロバート・ルービン/ローレンス・サマーズ

・この危機が金融セクターで露わにした問題点はより一般的であり、他の領域にも似たような問題があることが明らかになっている。間違った経営者へのインセンティブ・報酬などの単に劣悪な企業統治の問題ではない。
・新型金融商品・サブプライムローン・債務担保証券(CDS)。金融工学により新たに開発された金融商品、手口により銀行/金融機関は投資を募りレバレッジを効かせて自ら投資行動をすることができたうえに、損失を先延ばし/目隠しする事が可能であった。このことはリスクを分散させるどころか実は危機を深化させた。
・ウォール街の住人たちは千年に一度の嵐の不運な犠牲者だと思いこんでいる。しかし危機は気まぐれに金融市場を襲ったりしない。それは人為的なものであり、ウォール街がみずからに対して、そして社会全体に対して行ったことの結果なのである。
・自由市場至上主義者は、今もなおある確率で仕方なく起こるように、腐ったリンゴが混じっただけだと看做してシステム全体の問題から眼を背けている。
・市場は何度も誤りを犯し続けてきた。金融機関を救ってきたのは政府なのだ。

※実質は、政府の権力を使って金融機関の損失を国民に押しつけてきたのだ。2008年金融危機後に表面化したウォール街の巨大損失を米国は多国籍の枠組みを使い、各国に負担させ、国内的にも金融街およびGMに対し巨額の救済資金を投入した。使われたのは、国民の税金あるいは国債である。

※経済単位をミクロ・マクロに巨大化させるグローバル経済そのものが間違っているのではないか。EUの失敗は、経済単位を巨大化した地域統合が間違っていることを指し示しているのではないか。もっと小さな単位で、つまり今までの国家単位程度の大きさの経済領域の方が、必ず起こる景気後退の波や、危機をより小さくとどめる事ができるのではないのだろうか。米国という巨人の存在自体が間違っているのだ。たやすく”いびつ”になり、”いびつ”になればそれを容易に修正できない巨人が(他人の犠牲の上で)自由に活動するような世界システムを構築してはならないのだ。

※価値観は、結局のところ米国では、分厚い中間層を形成したケインズか、億万長者をスーパーリッチに押し上げたフリードマンかに分かれるのだ。私たちは少なくとも社会格差を拡大させ続ける道を選ぶべきではない。

※ポストモダンとはシステム的に腐ったリンゴたちを生む世界のことではないのか。


第一章 金融の暴走を許した者たち
・2008年の金融危機に関して驚かされたのは、あまりに多くの人が危機の発生に驚いたというその事実だった。少数派からすれば、あの危機は教科書通りの実例であり、予測することは当然可能だったし、実際予測されていた。
・低金利/金余りで規制の緩い市場と、地球規模の不動産バブルと、サブプライムローンの激増は有害な組み合わせというほかない。
※※
2008年金融危機と原発事故の比較において、有責者=犯罪者たちの言葉、認識が余りに似ていることに気付く。失敗は常に想定外か他人のせいなのだ。それが彼らエリートの性向なのだろう。他人への責任の押しつけによって、彼らの成果は勝ち取られてきたのだ。例えば、金融の利益の源泉はじつにここにあるのではないか。未来への押しつけ、他人への押しつけこそが金融工学の本質ではないのか。

・2002年ハイテクバブルの崩壊
・短期利益至上主義の住宅ローン商品の押しつけ販売
・銀行のリスク評価機能の喪失 (※日本のバブル期にも同じ事が起こっていた。貸し込み競争が、出世競争に繋がっていたのだ。営業部の突出。リスク資産の積み増し。単一商品=土地融資への集中。変動型金利ローンの開発・推薦)
・現代の錬金術師は、不動産保有を証券化することで、収入なき定年後の人生を生き延びるために積み立てられた年金基金をリスク商品の購入に導いた。
・この銀行の所業を賛美し、トリプルAの格付けを与えたのが格付け会社だ。規制緩和により銀行は直接ギャンブルに手を染めるようになった。
・銀行と規制当局は自分たちが作り出したぞっとするようなリスクを他社=他者に転嫁できると思いこんでいたのかもしれない。
・絶頂期の2007年米国の金融セクターは、企業収益の41%を占めていた。
・金融界が作り出した複雑な商品には二つの効果があった。リスクの増大と、情報の不完全性を生んだことだ。
・金融イノベーションは、バブルの生成に貢献したことは確かだが、経済の持続的成長に貢献したという証拠はない。
・CDS Credit Default Swap デリバティブ derivative
・フレディマックとファニーメイは民営化され規制緩和された企業
・(規制緩和論者たちは安易に、十分な規制緩和が行われてこなかったためにリスクヘッジが行えなかったというが)彼らは重要な点を見落としている。銀行を厳しく規制しなければならないのは、銀行が破綻した場合、経済全体への悪影響の波及効果が巨大なためである。(※それに加えて、そのことを理由に(社会全体の利益のためにという大義名分を掲げて)今度は政府による救済を求めるのだ。)
・規制緩和で得をした金融セクターの政治的影響力と、規制を不必要と断じるイデオロギー。

・短期収益至上主義者は《利益は先取りし、損失は先送りする》
※※市場至上主義の社会では、ミクロ組織の短期利益追求こそが善とみなされる。数値化し単純化して、単一の尺度に収斂させるのが米国的社会の形(ポストモダニズム)冷たい熱狂。金への執着。いびつな欲望。
・工業資本ではなく金融資本の性格。金融資本は事業会社の中に金融資本に相似形の組織=持株会社を作り込む。持ち株会社の本社は金融資本と同じ尺度で企業運営を行い、支配下におかれた事業部門を管理・監視する。さらに、みずから金融資本プレイヤーとして、企業の売買に及ぶ。


・バブル抜きには総需要が弱いまま推移しただろう。その原因のひとつは格差拡大の中で消費をする層から消費をしない層に所得が移転したためである。
・イギリスにも不動産バブルは起こったが、公的資金を受け取った銀行のトップは引責辞任した。オバマ政権のように無償提供はしなかったのである。
・※アイスランド 外国金融機関によって起こされたバブル崩壊の責任をとらされたのは、利益をむさぼった外国金融機関ではなく、遅れてやってきてババを引かされたアイスランドという狭い国境の内側に住む逃げることが許されない国民だ。ドリームファンドという名の悪夢は、グローバリズムの下で国境を易々と越えてやってきて、破綻という名前に変わったとたんに尻拭いは国境の内側で過剰に支払わされる。

・コミットメントの漸増(いったん一つの立場をとったら、立場を守る方向に強迫観念が働く)
・オバマの危機対応チーム(バーナンキ・サマーズ・ガイトナー)は、危機の種を蒔いた者たちであり、ウォール街の利益の代弁者だった。損失負担を、ウォール街にではなく納税者に負担させる政策を採用した。

・企業のリストラやコスト削減という名の労働者の解雇と賃金引き下げは、短期的に株価の上昇を招いても、近い将来に経済全体に悪影響を及ぼす。家計所得の低下がGDPの70%を占める消費にマイナス影響を与える可能性がほとんど必然と言っていいほど高いからだ。

□効果の薄い減税 減税は国家の債務を増加させていくのに反して消費刺激効果はほとんど期待できない。
・自動車や家電の買い換え促進プログラムは、確かに需要を喚起したがそれは未来の先喰いに終わった。長期的な景気悪化が見込まれるときには不適切な政策だ。
・連邦支出の増加は地方の歳出減によって相殺された。
・米国人の消費を持続可能な範囲で上昇させるためには貯蓄の余裕のある富裕層から有り金をすべて使わなければならない下層へと大規模な所得再配分を断行しなければならない。税金の累進性を強めれば所得再配分だけでなく経済の安定化も図れる。

□サブプライムローンのペテン
・サブプライムローン 借り手の自己責任を強調し、貸し手の責任逃れを可能にした。結果として脆弱な一般庶民が破綻させられる。
・銀行は数百万人の人々をそそのかし身分不相応の生活をさせ、老後の備えを危機に晒した。
・最前線の戦犯、サブプライムローンのセールスでさえ、自分の役割をこなしただけだと強弁できる。当事者からすれば、「契約増ー収益増」というリスクが捨象されたインセンティブに応じてローン契約を推し進めたに過ぎないのだ。
・資本増強と貸し渋り解消のためにそそぎ込まれた公的資金1750億ドルのうち330億ドルは経営者たちのボーナスとして支給され、1000億ドルは損失を帳消しすることに、残りは「配当」として株主に分配された。

※※
・金融救済プログラムにより、銀行や投資機関は、リスクが高いことでハイリターンな過去の収益はそのまま受け取り、損失は政府支出を通じて未来の国民負担から受け取る。
・日本の銀行は公的資金返済及び毀損された資本の手当のために、税金の支払いを猶予されてきた。その間、配当はどうだったのか?
・米国の不動産バブルの項を読んでいると胸が悪くなる。日本のあちこちで、まさにこのようにして銀行の不正なうそつき融資によって踊らされ、多くの人が破産に追い込まれたのだ。貸し手に都合のいい不動産鑑定士を連れてきて不当に高く見積もりさせ、融資をする。不動産屋が儲かり、ローン販売会社が儲かり、銀行や銀行の担当者が表向きにも裏でも儲かったのだ。契約するローンが借り手に不利であればあるほど、貸し手には多くの手数料と金利が支払われるのだ。借り手にとってリスクの高いローン契約を販売するインセンティブが構造化されていたのだ。

・リスクを見えなくする手法としての証券化
・信用格付け会社は、小さな将来リスクを評価できても、大きくて危険な将来リスクを、事前には評価できない。小さいリスクは少々外れたとしても小さな損失しか生み出さないので格付けなど不要だし、甚大な損失を生む未曾有のリスクは想定外に起こるので格付け会社は予測し得ない。つまり格付け会社によるリスク予測などクソの役にも立たないのだ。
□ブラックマンデーが起きる確率
・1987.10.19のブラックマンデーの大暴落は標準モデルによる計算では200億年に一回しか起こらない。少なくとも一生に一回しか起こらないだろうと思われるが、実際には10年に一度繰り返されている。

・住宅ローン・サービサー=債権回収代行業者の登場。債権回収に弁護士や業者に利益を生み出す新たなビジネスモデルが追加され、情け容赦なく債務者救済が毀損される。(※日本の公的サービサーは債権を買いたたき、また資産を超廉価で提供することで、結果的に中間層から超金持ち層への資産移転を行った。(結果的とは、ほとんどの場合意図的だという事だ)
・金融のメルトダウンが進行した。(※用語からしても、リスクの見積もりや経済人の行動にしても、原発と金融危機の構造はじつに似ている)

・金融セクターはさんざんイノベーション能力を喧伝しておきながら、リスクをアメリカの貧困層から取り去り、もっとリスクの高い層へ移転させるようなイノベーションは開発も提供もしなかった。
・例えば変動金利制度において、金利が上がるとそれに応じて満期日や返済期間を変動する商品を提供することも可能なのだ。(デンマークでは200年前からある)
(ノンリコース:資産から得られる収益のみを返済原資とするローン)

・エコノミストは銀行を経済の心臓と呼び、金融を血液循環に例える。心臓が病み、血液循環が滞ると経済がたちゆかなくなる。
(病んだ心臓は、確かに治療しなくてはならない。銀行家のためではなく経済のために。心臓部の欠陥は、取り除くという選択肢を含めて抜本的治療が必要かもしれない)
・循環を阻害した(利益至上主義の)非効率なシステムは、効率的で社会的に少しは公正なシステムに置き換えられなくてはならない。
・しかし米国政府(ブッシュ・オバマ)が採った銀行救済策の実態は銀行への巨額の贈与であり、納税者の目を欺く形で実行されている。
・金融危機が発生したとき、ブッシュ政権は銀行本体だけでなく、銀行家と投資家をまとめて救済することを決断した。そしてこの資金は透明性を欠いた形で供給された。
・何かが根本的に間違っていることを銀行家もその周辺にいる者たちも認めないし、過ちを犯したことさえ認めようとしない、…彼らが望んだのはとても完璧とはいえない既存のシステムを微調節した上で、2007年以前の世界へ、すなわち危機が起こる前の世界へ戻ることだったのである。

※※2008年のサブプライム危機に至るまでの金融工学によって新たに発明されたツールとは、日本のバブル発生時にに使われた”ふるい’”ツールである。米国は日本の危機から解決法を学んだのではなく、バブルの発生のさせ方を学んだのである。


・社会的利益と個人的利益の不一致。
・「大きすぎて潰せない」企業は、実は大きすぎて「経営不能」だったか、少なくとも舵の効きが悪かったのだ。
・人間の恐怖心を利用した謀略→大きすぎて財務リストラ=管財措置できないとの風評を広めた。
・システミック・リスク

・第三世界でこのような法案が通れば、それは間違いなく政府=納税者から銀行及びその後援者への大規模な再配分が行われることを意味する。財務長官ポールソンは、議会からポールソンへ白紙委任する法案を提案した。ポールソンはその出身地=ゴールドマンサックスとその仲間たちの代理人の役割を十分果たしたというわけだ。

・流動性の危機 自行は健全であると言い張る銀行が、他行の健全性に疑問を呈し資金を融通することを躊躇するようになった。他行の不健全性は自行の乱脈を経験している者には容易に推測が可能なのだ。

※※
(現状の日本のように低金利な国債にでも資金が向かうような投資先=借り手不足の状況で、産業への投資資金に不足がないとき)企業に外国に比べて相対的に重い税金を課せば、日本国に税金を支払うことをためらうような性悪な資本から日本の企業を守ることが出来る。


・銀行に税金を課せば経済効率性の向上と政府の歳入増を同時に達成できる。…しかし銀行はこう反論するだろう。課税によるコスト増は、民間からの資本調達を妨げ、金融システムの健全性回復の足を引っ張る。

※※政治こそが私的利益を優先するのではなく、国民国家全体にとっての利益=公共性を重視するモラル優先的な、誘導策(インセンティブ)を設計し、法案化することで市場の歪みを是正する必要がある。


・銀行の利害は、国民の利益から乖離しているだけでなく、経済全体の利害から乖離していた。(米国は金融界の利害に引きずられた)
※※
・世界最大の米国債保有者=中国は、日本と違って為替による減価を心配しなくて済む。(中国自身が為替管理を行っているため)インフレを起こさないように監視しているだけでよいのだ。インフレ抑止は米国内にもそのような自動安定化装置や勢力を持っているため、為替リスクに比べて中国の通貨危機の危険性は少ない。
・米国債は日銀にとって恒常的に減価していく不良資産だ。換金しない限り、つまりドルでおいておく限り減価しないと主張するなら、換金できないという点で究極の不良資産だ、と云っていることになる。

・ウォール街は持てる力と金を使って規制緩和を買い、ぼろ儲けをした。強欲ゲームのやり過ぎでバブルが崩壊すると、今度は同じ力を使って、自助努力することも自己破産させられることもなく、パブリックセクターから巨額の生活保護を厚顔無恥にも、せびり盗った。

・科学テクノロジーの進歩は金融リスク管理にも十分応用できるし、自分たちが開発した新しい金融テクノロジーによって生みだした金融商品によって、IT技術の進展によるバーチャル空間の拡大もあって、確かに利潤は拡大し続けた。10年ほども儲けが続くと、歴史書から学ぶべきものはすでになく、コントロール可能な新しい世界が到来したと、神童たちには思えたに違いない。

・金融業界は規制を求めるあらゆる動きに反対した。FRBも財務省も唱和したどころか、自由市場至上主義を主導した。ルービン財務長官、サマーズ財務副長官とアラン・グリーンスパンFRB議長が戦犯の名前だ。
※※
悪魔はどうしてこんなにもずる賢いのだろう。人々はどうしてこうも愚かなのだろう。大衆んの心理は、システムや枠組みの構造的問題こそが問題が引き起こすのだとは思わないように出来ているらしい。細部にはこだわるが、大局の動きには素直に従うか、無意識に目をそらす。※

※短期的成果給は、中下級管理者に適用するのが間違っているだけではなく、役員にもCEOにも適用するのは間違っている。

※銀行は透明性を好まない。透明性を実現した市場は競争が激しくなり、手数料を含め収益が低下するからだ。高度なリスク管理を行う事を目的に開発された金融商品は、極めて複雑に設計された。複雑化によって、金融市場はルールに定められたはずの透明性を失った。
 しかも、リスクは管理されたのではなく隠されていただけだということが、バブルの崩壊によって誰の目にも明らかになった。
※グラス・スティーガル法が廃止されたのは1999年。商業銀行と投資銀行の垣根が取り壊されてしまった。
※米国の銀行は寡占化した。その流れで日本の銀行も超寡占化した。独占禁止法に触れずに寡占化させるために使われた論理が、巨大な外国企業の存在だ。グローバル化した世界の中では大型化しないと競争にも勝ち残れないし、なにより買収される危険性が増した。米国の野放図な産業政策のあおりを受けないためには=伝染病を防ぐためのフィルターが必要なのだ。国境というフィルターによって消費者利益・国民利益は守られねばならない。

言葉 derivative デリバティブ 派生
   CDS credit derivative Swap
ロング ショート 値上がりに賭けるのがロング

・透明性/公開性の要求に対する金融界の決めゼリフは、”ビジネス上の秘密”である。ビジネス上の秘密がある取引をする場合は、それに対する自己責任を全うさせなければならないし、公的なものに関わらせてはならない。

・金融市場の甚だしい強欲さが顕著にみられるのは、大学生向け融資プログラムを継続させるために政治的圧力を使った場面だ。
・税制のありようは社会の価値観を反映させる。汗水垂らして働くことより、ギャンブルに精を出す投機家を優遇する必要はなく、いやそれははっきり云って不公平だ。
・米国の経済状態はGDPでみる程には良くない。30代男性の収入中央値は、30年前より低くなっている。
※米国大学の成功の秘密  ①ユダヤ人がいること②日本の進学校と同じく、優秀な人間を集めているから、優秀であること。

※民主的でもなく、国家統治にも長けていないことが明白な財務省=野田政権にその権限の増大をもたらす政策枠組みを与えることは間違っている。
・米国の優れた大学はすべて州立か非営利である。

※新自由主義的な仕組みでは、非雇用者=労働者には企業利益=全体利益に貢献する動機は見あたらない。アメとムチにより個々人の利益に直結する仕方=成果報酬型人事制度を導入することで、(短期の)企業利益の最大化が図れる。そのような利益誘導制度=インセンティブがない公務員は労働意欲がなく、民間企業のような効率的な組織運営が出来ない。→あらゆるサービスの民営化が必要である。

※スティグリッツはこう言う「市場がうまく機能し、機能しないかの問題は、詰まるところインセンティブの問題に行き着く。どんなインセンティブを与えたときに個人への見返りと社会的利益が合致するのか。」米国プラグマチスト哲学の正義論から離れることはない。
・金融業界への大規模な救済策は、ソ連崩壊時に国家財産が一部マフィアに集中的に譲渡されたときに匹敵するほどの富の再配分となった。

・市場に任せるか、規制をどの程度導入するか《制度の濫用は、透明性を高めた民主主義的プロセスを通じて点検していくしかない。》
・規制緩和というレーガンとブッシュのお題目は、政府への不信に基づいていた。※そうは思えない。むしろ金持ちの富の拡大欲望とそれを支持した大衆の大量消費欲望に基づいていたと思える。※
・企業への様々な減税や便宜供与などの利益供与が拡大され、セイフティーネットが供与されるのに反して、一般市民の福祉とセイフティーネットは削減された。
・G8は2007年まで、2008年の危機の後11月に初めてG20に拡大された。
・IMF資金提供条件
①中央銀行の金利引き上げ②財政赤字削減③銀行の民営化な
ど構造改革(民営化)④中央銀行の独立(政治・財政政策か
らの独立)
・これらの政策は債権国への資金回収を第一目的に立案されたもので、資金注入された債務国の景気回復や国民の生活維持の為ではない。したがってIMFによる管理はしばしば国民の激しい抗議行動を伴う。
・《朗報といえるのは、ドミニク・ストラウス・カーンが専務理事に指名されたことだ。彼の就任によってIMFがようやくケインズ流のマクロ刺激政策の必要性を認めた。》
※1989年ベルリンの壁の崩壊で、私たちは共産主義に終止符を打った。311を経てもなお私たち日本人は、この地震多発国で、核発電という巨大なリスクに終止符を打つことさえ出来ないほど愚かな政府/政府広報に徹し民意をゆがめるマスメディア/民意を汲み取ることの出来ない政治システム、に耐え続ける愚か者なのだろうか?※

・2008.9.15リーマンブラザーズ破綻によって、市場原理主義は終止符を打たれ、今日では、市場は自己修復できるとか、規制なき市場では参加者の利己的行動が全員の利益になるように機能するとかいう言説は、時代錯誤な詐欺師の言説であることが証明された。
・世界銀行とIMFはシカゴ学派のエコノミストに占められている。すなわちフリードマン流の新自由主義者たちだ。かれらは債務危機に陥った新興国に、金融部門の規制緩和、構造改革という名の民営化、貿易の自由化非関税障壁の撤廃を迫った。
※結果、各国で富の集中が起こり格差は拡大され、経済危機は何度も起こっている。民族資本が興隆するよりも、多国籍企業が各国に自由に参入するチャンスを拡大し、資本系列に置くことが出来るようになった。また金融市場の自由化は外国人投資家の自由を拡大した。ルールを多国籍企業に有利にしただけではなく、ショックドクトリンによって意図的に経済破壊を起こしたことが強く疑われている。
※米国の経済危機の際には、財政出動を行い金利を低下させたが、IMFは東アジアの新興国に対して全く逆の政策を押しつけたのだ。
※起こされた経済危機の中で、破綻を余儀なくされた金融機関は破格の値段で(優秀で効率的な経営を行うことが出来、金融テクノロジーのノウハウを持つ)時には国家によって、米国証券機関への手数料のおまけ付きで米国の投資家に売り渡された。
・トリクルダウン理論は、全くの幻想であった。もしくは詐欺だった。
※※政・官・経のエリートが愚か者であることが人間的に愚かであることを意味しても、統治する狡知において愚かであることを意味しない。橋下の品性の下劣さと、ポピュリストの才能に恵まれていることに似ている。
※多くの米国人は、比較優位すなわち各国が相対的に得意な分野の生産に特化する事で貿易が成り立ち、総体的な利益に貢献するメカニズムが理解できず、貿易相手国が政府の為替操作や補助金で不正なダンピングを働いていると信じ、非難してきた。
※農業には巨大なバッファ機能がある。他の産業へ供給できる余剰農業人口がある間は、労働者供給圧力が維持できるので産業の賃金は総体的に低く押さえることが出来る。農家は他産業に人口を拠出することで、所得の拡大が図れる。

以上

2012-12-21

『グローバリズムという妄想』ジョン・グレイ

" False Dawn " The Delusion of Global Capitalism. Published in 1998
John Gray

□□1.大転換からグローバル市場への道程

□1800年代19世紀の英国
・経済生活を社会的・政治的支配から解放する実験が行われた。(レッセフェール=自由放任主義)
・それまで経済活動は、社会的制約や規制の中で行われてきた。ヴィクトリア王朝の中期、社会的必要とは独立して動く、自由市場が登場した。『大転換』"Great Transformation"と呼ばれる。

・現在のアメリカは、多様性から単一の原理=普遍性へと向かって文明が進歩していくとする啓蒙思想理論にその政策の基礎をおく、最後の大国である
・「ワシントン・コンセンサス」(世界の政治的首都であるワシントンで形成されるアメリカ主導の合意)によれば、「民主的資本主義」は全世界に受け入れられなければならないし、グローバル自由市場が現実になる。単一の全世界に行きわたる自由市場のことだ。
・この哲学に動かされている多国間機関は、世界中の経済活動に自由市場を押し付けようとしてきた。それを追い求めることは、すでに大規模な社会的混乱と経済的、政治的不安定を生じさせている。
・アメリカでは、他のどの国よりも家族が弱体化しており、社会秩序は大量の人間を刑務所に収容する政策によって保たれている。
・自由市場は、アメリカの国民の多数が与ることのない長期的な経済ブームを発生させた。不平等が拡大している。
・文化帝国主義という点において、共産主義とグローバリズムは共通の性格を持っている。理性と効率への信仰、文化的多様性の否定、拡大主義(囲い込み)。
・グローバリズムはユートピである。(=幻想的理想社会)
*グローバリズムは誰もが信じることができないのに、そこへ進んでいく「大きな物語」だ。人々の夢を破壊することによって現実化する世界。
*大政翼賛2.0の目指す理想社会は、中央権力が世襲化した共産中国だ。人々の基本的人権を認めず、公益性を上位におく、自民改憲論の目指すところは共産中国だ。国防軍を創出し、事あれば戦争で決着をつける。民族意識を煽り隣国への嫌悪感を醸成する。経済的自由主義プラス強力な中央政府。

・グローバル経済には、世界の多様な社会と不均等な発展から起きる社会的緊張を和らげるものが存在していない。資本と生産の急速な移動、カジノ化した通貨投機

□ヴィクトリア朝初期の自由市場の創造
・レッセフェール・自由貿易・工業化が同時に起こった英国は特異な存在である。
・レッセフェールは大規模な国家干渉によって行われた。19世紀のイギリスの自由市場の前提条件は、共有地を私有財産に転換するために国家権力を用いることだった。(*囲い込み。大地主への移行)
・囲い込みの手順を最終的に支配していたのは議会だった。公式には、地主が議会の法令によって囲い込みを行った手続きは公然たるものでかつ民主的ということになっていた。囲い込みは、イギリスの田舎を見分けがつかないほどに変貌させてしまった。
・束縛のない市場は民主的な政府とは両立できない。

**安倍自民党的な「自由と民主主義の目指すもの」:①自由主義的にに弱者や生活福祉を切り捨てる。②自由主義的に社会の共有財産を、私的大企業に売り渡す。③民主的に基本的人権を葬り去る。④民主的に大政翼賛体制=独裁制を作り出す。*

□穀物法の廃止(1846)と救貧法の改正(1830)
・穀物法の廃止は自由貿易主義者の勝利であった。
・救貧法は、救済の受給に極めて厳しく屈辱的な条件をつけることによって、受給者に恥の気持ちを持たせた。個人は自らの福祉について全面的に自分に責任があり、コミュニティーは責任を共有しないことになった。救貧法の規定する受給条件は、市場が決定するいかなる最低賃金を上回ってはならないし、夫、妻、子供を強制的に別れ別れにした。困窮状況から抜け出すことを不可能とし、困窮者を固定化した。救貧法の支給条件は、市場の最低賃金の引き下げに貢献した。

*失業率を高止まりさせることとの合わせ技があれば、労働条件と賃金の切り下げは容易に達成できる。
*自由市場社会は、自由主義的なイデオロギーに支えられた、市場による選択を社会の原理的基準だとする社会の特異な一形態にすぎない。自由主義社会は、
社会のあらゆる領域を市場領域の中に取り込もうとする。

・カール・ポランニーによれば、市場社会が出現したのはシステマチックな政治的介入という人為的なものを通じてである。
・多くのヨーロッパのどの国とも違って、固定した農村生活は普遍的ではなく、イギリスにはほとんど見られなかった。家族生活も近代以前の大家族よりも今の核家族に近かった。(*歴史的な発展段階というよりも、アングロサクソン固有の家族形態かもしれない。②都市化された文化的多様性の文化だ。)

・一回目は十九世紀のイギリスのパラダイムの中であり、二回目は今世紀の80年代、イギリス、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドにおけるネオリベラル政策の結果としてである。
・これらアングロサクソン系国家は、農村個人主義の文化と経済が工業化に先立って存在した社会だった。

・グローバルな自由市場を構築しようとする企てにおいて、市場のゲームのルールは民主的な討議と政治的な修正から遮断されなければならない。民主主義と自由市場は互いに敵対するのであって、味方ではない。
・資本主義が自由市場を意味するものであるならば、「民主的な資本主義」という言葉は矛盾に満ちている。

□十九世紀に市場経済を作り出すのに必要とされた立法についてのポランニーの説明
>>何者も市場の形成を妨げることは許されない。物の販売以外の方法で所得が得られることも許されない。価格ーー財であれ労働であれ土地であれ、あるいは貨幣であれーーが市場の状況変化に適応する事にも干渉があってはならない。したがって、産業のすべての要素に市場がなければならないだけでなく、これらの市場の行動に影響を及ぼすような手段や政策は容認されてはならない。価格も供給も需要も規制されてはならない。市場を経済活動の分野で唯一の統合力にする状況を作り出すことによって市場の自律力を確保するような政策や手段だけが必要なのである。>>

□□2.国家が構築した自由市場
□サッチャリズム
・パートタイム労働と契約労働が激増した。多くの低水準技能労働者の賃金水準は家族を養う最低限を下回り、妻=家族を低賃金パート労働者として働かせざるを得ない状況が出現した。
・同時に福祉受給資格は一律に制限され、失業保険受給者を(惨めな)福祉受給におちいる前に、たとえ低賃金であろうと非正規であろうと、職に就くように追いつめた。
・家族のうち一人も仕事のない所帯が'75年の6.5%から'94年の19.4%へと増大した。
・治安の悪化 '70年重大犯罪件数160万件▷'92年560万件。
・格差の拡大 '77年から'90年にかけてどの国よりも早く不平等が拡大した。

*ネオリベラリズムにとって国民国家とはなになのだろうか。国家像とは何なのだろうか。保守主義的な心情において、文化的伝統は尊重されるべきものとされ、民族国家としても社会秩序維持のためにも国家は重要視されるが、新自由主義的な経済政策において、政府はできる限り小さく不干渉なものであり、グローバリズムにおいて経済だけでなく文化も社会も国際的に開かれていることが理想である。とすると、国家像において、ネオリベラリズムは引き裂かれている。

*グローバル化は国民文化の分裂・解消を促進する。(もちろん経済のグローバライゼーションだけでなく、技術の進展がグローバライゼーションを加速している。

□ニュージーランド
・ニュージーランドのネオリベラリズムは、かつてこの国に存在したことのなかった下層階級を生んだ。世界でもっとも社会民主的だった国がネオリベラリズム国家となった。
・ニュージーランドの構造改革は、政治の内部から起こったのではない。公務員の間から=財務省によって生み出された。
・この政策は'84-'90は労働党政権において、それ以後は国民党政権によって実施された。
・全国的な団体交渉制度は、民間部門のみならず公共部門においても市場決定的で個人主義的な労働市場が作り出された。物価安定だけを唯一の目標とする独立した中央銀行が創設された。
・国家は雇用水準へのいかなる責任からも自由になった。マクロ経済政策は国家の手からはずされた。
・公立病院は私企業に転換され、医療サービスは民間との競争にさらされた。学校は教育サービス料金を徴収するようになった。国のサービスのほとんどは、私企業に売り渡され、福祉機能は縮減された。警察、裁判所、刑務所のための予算は伸び続けた。
・完全雇用状態が終わり、失業者が増加したことと同時に福祉給付が後退した。必要とされるときに、必要とされるものが姿を消したのである。
*日本における生活保護の切り捨ては現在の受給者への攻撃を表向きの理由にして、近い未来に増大する困窮者を標的にしている。必要なときに、必要なものが社会から消え去るように、準備されているのだ。
・福祉制度が勤労意欲を失わせた結果、貧困層が生じるのだというのが、新自由主義者の主張である。福祉国家は勤労者にモラルハザードをもたらすという法則が信じられている。
**バブルに至る日本のサラリーマンは、毎日残業にあけくれ有休さえもろくに取らないほど働き蜂だといわれた。十分に福祉国家であったし福祉充実を目標としていた。彼らのことをモラルハザードに見舞われた勤労意欲のない労働者だとでも言うのだろうか。
 現在の労働者は長く厳しい就活を強いられ、労働法の改悪によって労働市場はかつてより、より競争的だ。ところで、勤労意欲は向上したのだろうか?
 モラルハザードは、救済が必要な貧困層の切り捨てに走るものたちにこそ起きていると云わざるを得ない。

*おそらくこのニュージーランドの政策は、シカゴ学派のミルトンフリードマンの学校から生まれたものだ。この推測はほとんど確実なものだと思う。
またこのプロセスが社会民主主義的な政党=労働党政権によって行われたことは示唆的である。改革を訴える新自由主義者は社会民主的な政党とも親和的なのだ。すなわち日本民主党のうちに、巣くうことなど容易いことなのだ。

民主的な責任=アカウンタビリティー

・何よりも決定的だったのは、ニュージーランド経済を規制なき資本の流れに開放するという改革の結果、国際資本に公共政策に対する実質的な拒否権を与えたことである。公共政策が競争力、利益、経済的安定性に影響をもたらすと国際資本に認識されたら、どんな場合にも資本の逃避という脅しによってその政策は撤回されかねない。ネオリベラル改革は後戻り不可能なものとして認識された。
・社会民主的な目標は、解消・放棄あるいは逆転されたが、それらは民主主義的な選択のもとにおこなわれたのだ。
・すべての政党がばらばらになって溶解した。保守の国民党は国家主義政党と連立することによって政権を維持する道を選んだ。
*日本でも政党がバラバラに分裂し、民主党は溶解した。総選挙において阿倍自民党が圧倒的な議席を獲得したが、得票を詳細に分析するまでもなく、投票結果は政治はまとまりを持たなくなったことを示している。安定政権をもたらすことはない。

□メキシコ
・メキシコは新自由主義者のショウウィンドウだった。NAFTAの加盟国であり貿易相手として生産センターとしてアメリカにとって大きな位置を占める。カナダより下で日本より上。
・メキシコにおいてネオリベラリズムは、経済的にも何ら成果を得られなかった。

□□3.グローバリゼーションの虚実
・グローバリゼーションは類のない状況でも、線形の課程でも、社会変化の最終点でもない。
・EU諸国は互いの文化のどんな側面よりもハリウッド映画から吸収するイメージの方をより多く共有している。東アジアでも同じである。

*このことは奇妙なことではないか。日本人は隣国である韓国や中国よりも、太平洋で隔てられたアメリカのイメージをよほど多く共有している。アメリカから日本への像はどうであるかは分からないが…

・国内価格は、ローカルな要因で決まるよりもむしろ、グローバルな要因でグローバル市場の変動に影響されて決まる。

**限定性・希少性が「市場」の根拠。希少資源をいかに合理的・効率的に配分し経済活動に供するか…が、(市場)経済学のテーマである。資源が限定的・希少である都いうのは、ある種の思い込みではないのか。エネルギーであれば、自然エネルギーに限ってもシェールガスが採掘可能になっているしその他の代替エネルギーも立ち上がってきている。鉄はプラスティックに代替されてきている。長らく貨幣価値の基準となった金は、間違いなく思い込みの産物だ。これらのことは根底から疑って見たい。

・*著者はグローバリズムの世界でも、その経済形態はグローバルに単一化されるというよりは様々な変種を生むと考えている。特に中国は文化的伝統の長さからも、アメリカ型の経済形態とは違ったものとして存在可能だという。
>>華僑が形成したファミリー・ビジネスモデルは、本格的な別種のモデルであり…フィリピンでは華僑はわずか人工の1%を占めるにすぎないが、株式市場の半分以上を握っている。インドネシアでは4%に対し75%、マレーシアでは32%に対し60%である。1996年時点で5100万人の華僑は7千億ドル相当の経済を支配しており…▷中国華僑はグローバル経済が始まるより前から国民国家に縛られないグローバルな存在である。

□1900年前後のグローバリゼーション
・当時のグローバル市場の技術的基盤は、大陸間海底電信ケーブルと蒸気船だった。それ以降世界の港は互いに結ばれ、多くの商品について世界価格が存在するようになった。
□多国籍企業
・多国籍企業の成長と力は巨大であり…多国籍企業は世界生産の三分の一を占め世界貿易の三分の二を占める。'93年の多国籍企業の生産はアメリカ合衆国全体の生産にほぼ匹敵する。
・今日の多国籍企業は生産過程をバラバラの部分に分け、世界中の様々な国に配置することができる。国内状況に依存する必要はかつてなく低くなっている。労働市場・税・規制・インフラストラクチャについて自由に選べる。直接的には投資と撤退の選択による脅しによって、間接的には(金と人と情報のネットワークを背景にする)政治力によって、多国籍企業は国民国家の政策を左右する力を持っている。

**
*'90年代は多国籍企業が経済の主役であったが、今や金融が経済の主役である。多国籍企業=生産複合体から金融資本は権力関係を逆転させた。いや正確には、主役としての姿を隠さなくなったと言うべきかもしれない。
*生産複合体としての多国籍企業がグローバル市場の主役であるとすれば、ローカルな多様性に縛られる、あるいは積極的に評価すれば、アンカーをおろし独自の色に染められることもあるだろう。しかし金融資本は、情報・金融工学の進展によってバーチャル空間にその活動領域を移したこともあって、その基本的な性格=抽象性にさらに磨きをかけた。単一の普遍性を持った=モノクロームなグローバリズムの世界を実現したのだ。金融バーチャル世界において国民国家が再び国境の壁を築けるかどうかは、金融取引税が実行性を持つかどうかに見ることができるだろう。

**グローバル市場経済におけるリスク(確率的に把握可能とは云うものの)と不確定性は、なぜこれほど深刻なのか。市場の自律性に任せればいいなどと云う言い草は戯言(たわごと)だということは明白だ。

・アメリカの企業でさえも、グローバルな性格を持つと云うよりもアメリカ的文化・価値観・組織形態の固有性をもっている。(と著者は云うけれど…)

*TPPの日本加入については、米国内の政治的反対はきっと大きい。NAFTAというアメリカと名が付いた隣接地域との経済協定でさえ、アメリカ国内では政治的反対が強かった。産業先進国である日本とのTPPは、経済規模が小さくまた植民地としての性格がより強い韓国とのFTAとは違う。

・*企業内でも仕事はパッケージとしてバラされ外部化(外注)されるとともに、残された内部の業務の多くは非正規化・パートタイマー化されている。正規従業員の中核社員はごく一部分で済ますことができるのだ。ダウンサイジングはもちろん中間管理者に及んでいる。企業が負担してきた社会福祉コストは年金積み立てが個人のものに移し替えられるなど、コストの切り詰めが行われている。

・多国籍企業が生き残ることができるのは、新しい技術を使ってライバルに対して競争上優位に立つことのみによってである。
(*という風には思わない。知的所有権や資力を使った同類企業や消費市場の囲い込みによって、独占力を構築したものが長らえ、利益を享受することができる。そのような仕組みを作れるのは、ユダヤ人(ユダヤ的知識技術とユダヤネットワークを持ったもの)のみだ。)
・多国籍企業がライバルに対して決定的な優位を獲得できる源泉は、新しい技術を創造し、それを有効に使う能力である。企業がどのように知識を蓄え生み出すかにかかっている。新しい知識を獲得し活用できない企業、従業員の間にある暗黙の知識の蓄積を無駄にし、従業員が新しい知識を身につける意欲を起こさせないような企業はすぐに衰退するだろう。

□□4.新しいグレシャムの法則 グローバル自由市場はどのように最悪の資本主義に行き着くのか

・ソ連崩壊の後、中央計画経済と資本主義におの競争は、様々な異なった種類の資本主義ーーアメリカ、ドイツ、日本、ロシア、中国ーーの間の競争に取って代わられた。(*当たってる?)

・*社会的共有資本や環境維持・社会福祉コストを負担することから免れている多国籍企業は、競争条件において有利である。税負担もそのように考えられ、負担回避策が政治的・会計的に行われる。国民経済(経世済民)からみての良貨は、悪貨に勝てない。

・社会民主主義とグローバル資本
*グローバル資本は為替管理権を国民国家政府から奪い取ることによって、①為替取引をカジノ化する事。②各国政府財政政策・中央銀行通貨政策への攻撃の武器とすること…が可能となった。国民国家の財政政策・通貨政策をコントロールする事が可能となった。
*為替取引は『国際通貨市場』と名を変えた。

*社会民主主義政策とは、端的に言えば国民に対して文化的生活を営むための福祉を提供する政策である。国民とは、改めて云う必要があるが、国境に囲まれた地域に住まう住民のことである。グローバル資本は国境を越えて自由に移動できる存在であり、国民とは、存在の根拠と有り様において、ちがう。グローバル資本は経済活動で得た利益に対して、国境を越えて移し替えることができ、あるいは経済活動に対して税や規制などの負担の少ない地域へ資本を移動させることができる。いまや企業にとって負担回避行動こそが合理的行動なのだ。倫理の介入する余地はない。短期的利益追究の行き着いた先である。社員に酬いることや地域への貢献は省みられることはない。20世紀の日本企業とは、もう違うのだ。それらは、できるだけ回避すべきコスト負担だと認識するに至った。企業・資本家と従業員が敵対的に対峙するマルクスの時代に時計は巻き戻された。

(社会民主主義政策が考慮の対象となるのは、さすがに著者が欧州に近いところ(英国)にいるおかげだ。アメリカ人著者とは違う視点だ)

*グローバル企業が自由に振る舞うことによって、経済活動が効率的になることさえ絵空事だ。神の見えざる手ではなく、悪魔の見えざる手が動き出しているのだ。経済功利性+短期利益追及の行動基準がグローバルに行き渡ることによって、また、国民経済の隅々に浸透するによって、国民の経済・雇用と生活(教育・環境・治安・文化的生活)が脅かされ破壊されつつある。

*グローバル金融資本の力は強大となり、メキシコや東南アジア諸国という経済的に脆弱で規模の小さい国ではなく、G7大国であるイタリアやスペインに対して緊縮財政政策を押しつけるまでになった。怪しげな民間格付け機関のレーティング操作によって、一国の政府債務の利率が跳ね上がる。金融機関の信用収縮が国際的な広がりをもっておこる。支配し利益を享受し、負担を押しつけ、同時に制御できないリスクを拡散強化する。


□グローバル自由市場vsヨーロッパ社会市場
『社会市場経済』:自由市場経済に対する言葉
・ドイツ 企業統治にステークホルダーを参加させるーー従業員・地域社会・銀行
株式会社よりは有限会社が主要であった。銀行による間接金融が大きな位置を占めていた。

*株式市場と為替市場の開放・自由化こそが新自由主義経済=市場原理主義のグローバル化の要石である。その空間が、金融資本が侵入し膨らませ、他の経済活動を随伴・服従させることができるコマンディングハイツであり、(ユダヤ)金融資本家が他の金融資本家に比べても、もっとも得意で自由に動き回ることができる場所である。

・ドイツモデルという独自の経済形態は、将来にわたって形を変えて、活かしていけると著者は云う。
・外国への進出による外国人雇用者の増大が、ドイツ国内の労働者の地位へ影響を与えている。

□□5.アメリカとグローバル資本主義のユートピア
アメリカの国民的な信念である教条的な楽観主義は、アメリカ社会のあらゆる公的なレベルにあふれている。

・グローバルなレッセフェールはアメリカの企てである。
・民主主義体制の資本主義国家が唯一の正当な国家形態であると主張する原理主義的なネオ保守主義者(ネオコン)は、伝統的な外交の実践を拒む。敵対的な関係を抑制し、緩和させることを目指す外交を受け入れないのである。(啓蒙思想的な原理主義者だと、著者は云う)
(啓蒙思想のことを「モダン」ととらえている。ポストモダンな世界に適合しないと著者は云う。)

□アメリカにおけるネオコンサーバティブの台頭
・アメリカの大衆文化においてリベラリズムは非合法化され、政治的においてマイナスなものとされた。リベラリズムは追いつめられた少数派である。
・アメリカの神話では、憲法制定が時間を超えた普遍的な価値を持つ原則を体現しているとされている。この神話によれば、アメリカは歴史的な時間の中で生まれ、変遷し、いつか消滅する、そういう歴史的な存在ではなく、普遍性をもって永続する存在であるらしい。
・自由と民主主義と自由市場制度は、アメリカ的価値観と一体不離であり、普遍的真理を体現するものであるがゆえに、全世界に行き渡らねばならないーーとアメリカは信じている。
しかし、もっとも成功した新興国で自由市場原理主義を採用する国はないであろう、と著者は云う。
・原理主義は、保守への回帰ではない、反革命なのだ。
・新自由主義はアメリカ社会に経済的不平等をもたらし、1%vs99%の富の極端な偏在をもたらした。1%の人々は、アメリカの内側に自らをアメリカから隔離するために城塞都市を作りだし、そのなかに身を隠そうとしている。

□アメリカの不安 階級対立の再出現
*個人所得が向上した人にとってもリスクが目に見えて増大した。大半のアメリカ人にとって、人生半ばにそこから立ち直れないかもしれない経済的混乱が、近い将来起るだろうと考えるのが普通のことになった。終身雇用から見放された人がほとんどだし、将来所得が増えるどころか減ることに怯えなくてはならない。これらは人々から恒常心を奪い、将来への希望を失わせる。
・*アメリカはもはや(分厚い中間層が存在する豊かで安定した)市民社会ではない。経済的に不安定な多数派と、富を独占的に集積しつつも、市民的責任や負担から免れることに長けたごく一部の上流階級に分裂した社会になった。
・アメリカの労働者の週当たり平均賃金は、'73年から'95年にかけて物価変動を考慮した指数で18%低下し、$315▷$258になった。一方富裕層上位1%の資産は'83年31%▷'89年36%

□アメリカの治安状況
・'94年 殺人被害者10万人につき 米国 9.3 欧州1.6 日本1.0
  強姦 米国 42.8 日本1.5
窃盗 米国255.8 日本1.75

・子供の殺害のうち世界の四分の三は米国で起きている。

□アメリカの宗教心
・アメリカでは熱烈で原理主義的な宗教心がいまだ根強い。
・多くのアメリカ人は宗教的な信心や習わしを保持し続けている。アメリカ人の70%の人が悪魔を信じている。アメリカの世俗的伝統はトルコのそれより弱い。近代化が世俗化と併せて進行するという図式はアメリカには適用できない。(おそらくイスラム社会でも)

□□6.共産主義崩壊後のロシアのアナーキー資本主義
アナーキーと云うより、無秩序だろう。

□□7.西欧の黄昏とアジア型資本主義の勃興
・リークワンユー
 アメリカにとって、自堕落で弱く腐敗し無能だと、長い間さげすまれてきたアジア人によって、世界とまではいかないまでも西太平洋から排除されることは、感情的に受け入れがたい。アメリカの文化的優越性意識がこのような調整を受け入れることを困難にしているのだ。アメリカ人は自分たちの理想ーー個人と自由で束縛のない表現が何より大切だということーーが普遍的だと信じている。しかし彼らの理想は普遍的でないし、かつてもそうでなかった。

□日本
・ワシントンコンセンサスの要求は、日本に日本であることをやめよと要求しているに等しい。
・戦後日本の中核的特徴ーー完全雇用の追究=国民の大部分に職を保証する書かれざる社会契約の存続ーーがグローバル自由主義によって脅威にさらされている。
・この制度は、労使関係と社会の平和を維持する戦略として第二次大戦後に導入された。また、下層階級の出現を防止してきた。日本はほぼすべての人が中産階級である平等社会なのである。
・もし日本の政策決定者がワシントン・コンセンサスの要求に屈するなら、日本は大量失業、社会的まとまりの崩壊という解決が極めて困難な問題を抱えることになり、西欧社会と同質なものとなるだろう。
**ここのところは、十分に検討する必要がある。分かれ道は存在したかもしれない。

・アジア的自由、というよりも融通無碍さが教条主義的な対立を回避している。資本主義発展にはいくつもの道があるという考え方。

□□8.レッセフェール時代の終焉
・(規制を排除した)自由市場では、ルールさえ明確にさせれば市場参加者が形成する未来への期待の集合は合理性を内包している…と新自由主義者は主張する。《合理的期待形成》
・だが、実際の自由市場は、ジョージ・ソロスの云う「反射的相互作用」が支配している。
*市場は、特に自由市場は、行き過ぎる能力は持っている。自律的・合理的に歪みを調整する機能や、能力を持っていると証明されたことはない。

・景気循環は時代遅れのものになったという盲信は、アラン・グリーンスパンによってお墨付きを与えられた。
・グローバルな自由放任主義は、世界の株式市場と金融機関に制御不可能な危機が発生して崩壊するのかもしれない。金融デリバティブという巨大で全貌を知ることができないバーチャル経済が制度的崩壊の危機を増大させる。

ー 以上

2012-11-28

『経済学の犯罪』

「経済学の犯罪」 −希少性の経済から過剰性の経済へ−
佐伯啓思
2012.8
読了:2012.11.19
1949年生まれ

第一章 失われた20年ー構造改革はなぜ失敗したのか

□2011年12月竹中平蔵はこういう
 「自由貿易が国民全体に大きな利益をもたらすことは、アダム・スミスの「国富論」以来、世界が経験してきた共有の理解だ。日本自身はこれまで、自由貿易で最も大きな利益を得てきた国の一つと言える」これは竹中氏に限った見解ではない。いわゆるグローバリスト、市場主義者、つまりグローバル資本主義の擁護者の典型的な見方なのである。

・私にはこの短いセンテンスの中に五つの間違いがあるように思われる。
⑴アダム・スミスは決して単純に「自由貿易が国民全体の利益になる」などとは言っていない。
⑵「自由貿易が国民全体の利益になる」という命題が現代ではそのままでは成り立たない。成立するためには、一定の条件が必要であり、現代経済ではその条件は成り立っていない。
⑶自由貿易の教義は、世界共有の理解ではない。
⑷「日本が、自由貿易で最も大きな利益を得てきた」というのもそのままでは正しくない。構造改革を主張した人々は、日本経済が閉鎖的で官僚主導的で自由競争的でない、と論じてきた。自由競争をしないで日本は高度成長をしてきたことになる。自由主義経済社会であったことと、自由競争至上主義あるいは市場原理主義であることとは同じではない。
⑸「だから、TPP」という論には、飛躍があり過ぎる。TPPは自由貿易主義というよりは、ブロック経済を目指す側面が強い。また、「TPPが、国民全体の利益になる」のかどうか、さっぱり論じられていない。

・新自由主義や市場原理主義が正しい、ということを自明とする、ある種の思い込みに囚われているのではないか。色眼鏡が掛かっているのに、メガネが掛かっていることさえ、意識にのぼらせていないのではないか。

□日本の緊急問題はデフレと雇用不安。
・ある種の立場に立てば、財政問題こそが喫緊の問題だという。財政赤字を放置すれば、ギリシャ化すると声をあげる人たちだ。
・日本の赤字をファイナンスする国債は、国内で消費されており、累積財政赤字が円の価値を直接的に暴落させるわけではない。つまり為替リスクを免れている。また、国内金融機関には財政当局や日銀のグリップが効く。つまり国債価格の暴落、金利暴騰のリスクを免れている。
・デフレと雇用不安は、国内消費のスパイラル的な縮減を招くリスクが大きい。

**経済のグローバル化は、ロボットの出現より激しく、労働者賃金の下落をもたらした。24時間文句も言わずに働き続けられるロボットが職場を奪うより、後進国の低賃金労働者の方が、先進国の労働者には脅威だったのだ。
 グローバル経済を導きそこから利益を享受することができる力のあるもの達が、西側経済とりわけ米国の豊かさの象徴でもあったミドルクラスを解体没落させると同時に、先進国労働者を、ロボットという機械より惨めな後進国労働者との(低賃金)競争の中に投げ込み、中間層以下の所得低下をもたらした。*
・賃金の低下と、失業の増加は、国内消費の縮減効果をもたらした。

□日本の構造改革は、長期停滞の原因だ
・ロナルド・レーガンとマーガレット・サッチャーの新自由主義的改革は一定の成果を勝ち取った。当時、両国経済ともにインフレが亢進し、生産組織が弱体化していた。また、金融部門に彼らの強みを持っていた。(ロンドン・シティー/ウォール街)日本が構造改革を行った’90年代〜’00年代の日本の経済構造とは違っていた。*いわば違った症状に、同じ処方をしたことに似ている。*
・構造改革論者は’90年代の経済停滞について、既得権益に守られた非効率的な分野が残されており、生産性が低いことが問題点だと訴えた。
**ついでに、製造業がいまだ世界的な競争力を持っていた時に、ホワイトカラーの生産性の低さと(*東側世界の解体後、日本製造業をアメリカの第一の脅威と位置付ける米国の戦略的な円高誘導の結果であるにも関わらず)労働者の高賃金を言いつのった。労働費を変動費化する為に非正規雇用を合法化して、低賃金労働者と失業者を作り出した。労働市場に自由な競争を持ち込むためである。誰のための自由な競争なのか??
・非効率な分野から資金や人材を引き上げて、経済資源の適性配分は起こったのか?答えは明白にNo!だ。資金は米国へと流され、新規参入者(学卒者・若者)を中心に人々は非正規・派遣労働者となり、低賃金にあえぎ、あるいは失業した。大企業は内部留保金の増大に見られるように富を独占した。


・供給力はずっと過大なままに放置された。
・生産能力があるにも関わらず、消費されないことで労働生産性の数値は低下した。供給力に見合う有効な需要がないために、消費されないのだ。

□「社会的土台」を市場原理主義が破壊する

・利潤基準/効率性基準を全ての分野に適用する。
・社会的資本 教育・医療・土地・水・地域ネットワーク・交通機関
・社会は単純均一な商品で成り立っているわけではない。

++ 宇沢弘文 『社会的共通資本』
 「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。
 社会的共通資本は
⑴自然環境 ⑵社会的インフラストラクチャー ⑶制度資本の三つの大きな範疇に分けて考えることができる。
 大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラストラクチャー。そして教育、医療、司法、金融制度などの精度資本が社会的共通資本の重要な構成要素である。都市や農村も、さまざまな社会的共通資本からつくられているということもできる」
++


第二章 グローバル資本主義の危機ーリーマンショックからEU経済危機へ
□EU崩壊の危険性
・金融機関のバランスシートの悪化からも実体経済が悪化するというのはリーマンショックと同じ構造である。サブプライムローン問題からリーマンショックへは、株や土地などの資産バブルの崩壊による回収不能な不良債権が累積されることが発端であった。だが今回は、問題の発端になったのはギリシャの財政赤字=財務危機なのだ。そこで重要になったのはまたしてもヘッジファンドなのであり、金融商品=CDSである。
・経済的にはEUは、通貨統合、市場統合を含めた徹底した地域限定の経済的グローバリゼーションであった。ところが政治的には統合されていない。国家が主権を保持しているのだ。
・今日、世界100ヶ国の金融資産は200兆ドルに対しGDPの合計は約62兆ドル。実体経済に対して3倍の規模となっている。
・世界経済の安定性の鍵は、ヘッジファンドに握られているのである。
・トリレンマ 景気回復と財政均衡、金融の間には相互矛盾=トリレンマが発生している。(ソブリンリスク:政府あるいは政府金融機関に対する融資の回収不能リスク)
・*自由主義者は国家を、個人/民間経済の領域に干渉し自由を犯すものとして、また、民間/市場経済に委ねるべき経済領域を公共領域と称して政府に巣食う既得権益者に開放し保護する者として、つまり個人の自由にとって、(国家を)敵対者とみなしている。

**自由主義者は、経済領域において国家権力の介入を拒否しようとする、ある意味、アナーキスト=無政府主義者なのだ。ところが、矛盾したことにグローバルに自由主義経済を他国に浸透・展開させるためには国際的政治・軍事パワーの後押しを必要とする。リーマンショックに見られるように、国家規模での経済危機が表面化した時にはラストリゾートしての国家救済を必要とし、それを押し付けられるのは(充分に強い)国家権力なのだ。
 EUソブリンリスクがギリシャからスペイン・イタリアに広がった時、EUに要求されたのはソブリンリスク回避のために取るべき財政・金融政策の迅速な政治的決定であった。


 グローバル経済を支える存在として、佐伯氏は、民主主義体制からは遠い共産主義体制の中国の役割に言及している。

□国家と市場 国家が市場に従属する
・今日、国家は市場の外部に立っているわけではない。国家と経済が分離されているわけではない。国家は財政や為替レートを通じて市場に引きずり込まれ、市場の奴隷になりつつある。

**国家が市場に従属するという時、市場とは金融市場のことであり、国家とは国家財政=国債レーティングのことである。現代の権力の源泉の第一は、軍事力でも政治力でもなく、もちろん民主主義を支える個人の力でもなく、金融資本を握るものにある。
 実体経済を振り回す力をつけるために、金融資本のシステムがあると言えるのではないか。金融資本とは、バーチャルな世界でもある。グローバル経済においても、また、国家の枠においても、債務を膨らませること、金融取引を膨らませること、信用という仮想の貨幣を膨らませることが、世界を支配するパワーとして、同時に世界の富を収奪するツールとしての金融資本の能力を高める。


第三章 変容する資本主義ーリスクを管理できない金融経済
□リスクと不確実性
・不確実性をある程度確率的に把握できる場合にそれをリスクと呼ぶ。確率的に把握できない事象を不確実性と呼ぶ。経済学者は、不確定性を管理するとは、まずそれをリスクに置き換え、さらにリスクを分散することだとみなす。
・CDS Credit Default Swap
・2008年 ベア・スターンズ/リーマン・ブラザーズ ゴールドマン・サックス/モルガン・スタンレー破綻寸前 

□ブラック・スワン
・確率的に予想できないブラック・スワンが突然変異的に出現する。予想できないゆえに、現れた時には、管理できない破壊的な力を発揮する。
・グローバルインバランス グローバル経済における国家間の生産と消費のインバランス、換言すれば供給と需要のインバランス。米国と中国
・グローバルインバランスの進展は、グローバリゼーションと金融中心主義(*金融経済化)によってもたらされ、世界経済の不確実性・不安定性を招いている。
・この20年間のグローバリゼーション進展における勝者(=米国、中国、露、印、伯)は、国家が強力なのである。政治的指導者や支配層に集中された権力と行政力が強力なのである。

□産業型成長モデル
・工業分野や消費財分野での技術革新が生じ、それが大量生産と共に製品コストの低減をもたらす。同時に生産性の向上と共に賃金水準が上昇する。所得が増加して大量消費が可能となる。
 技術革新→大量生産→所得上昇→大量生産…という循環プロセスが経済を拡張させた。
□金融経済型成長モデル
・金融工学やITによってアメリカの金融市場で高い収益期待を生み出す。それはグローバルな金融市場で圧倒的に優位に立つことを意味する。海外からの資本をアメリカの金融市場に集中し、一層の収益を生み出す。そこから発生した収益を消費に回すことによって経済を活性化する。(*収益を消費に回すというのは、トリクルダウン説だ。それは起きなかった。消費に回されたのは、海外から還流させた資金と不動産市場・金融市場において生じたバブルだ)

・経済の成熟化によって既存の産業は活力を失う。同時にグローバル経済において、低賃金の新興国に対して競争力を失う。

□金融経済とバブル
**金融経済が必然的にバブルを発生させるメカニズムを解明しなければならない*
・(その理論的背景は置いておく)とにかく金融経済化は、投資対象(土地、株式、金融商品)のインフレーション=バブル景気をもたらし、行き過ぎたところでバブルを弾けさせた。
・バブルが崩壊すると金融部門の不全症状/信用収縮を引き起こし、実体経済に打撃を与え、経済全体の悪化をもたらす。グローバル経済下においては世界同時的に危機は進行する。

・金融経済型成長モデルが破綻したからと言って、産業型成長モデルに戻れるわけでもない。先進国においては無理やり成長を追求できる時代は終わった。(*と佐伯はいう)
□新自由主義経済学あるいは「新古典派経済学」
・今日われわれは独特の経済についての思考を持っている。新自由主義的な傾向をもった市場中心の経済学がそれである。
□「市場経済の基本命題」:
「自由な競争的市場こそは効率的な資源配分を実現し、可能な限りの人々の物的幸福を増大することができる」
三つの前提
⑴人々は与えられた条件のもとでできるだけ合理的に行動する。行動に必要な情報はできるだけ合理的に利用する。
⑵経済活動の目的は人々の物的満足をできるだけ増大させることであり、この場合に、モノ・サービスの生産・交換・消費という実体経済が経済の本質である。貨幣はその補助的手段にすぎない。
⑶人々の欲望は無限であり、消費意欲は無限である。これに対して物的生産の条件となる資源は有限である。従って、経済の問題とは、希少資源をできるだけ効率的に配分するという点に求められる。

□三つの前提は、間違っている
⑴人々は常に不確定な状況の中で将来へ向けて行動している。従って、本質的な意味での合理的な行動というのは定義できない。
⑵「貨幣」は人間の経済活動の補助的な手段ではない。それは人の生活を支える独自の価値を持ったものであり、時に貨幣そのものが人の欲望を掻き立てる。
⑶人間の欲望は社会の中で他者との関係において作られる。それはあらかじめ無限なのではない。一方、今日の経済は、技術革新のおかげで巨大な生産力を持っている。もしも人間の欲望が生産力の増加に追いつかなければ、経済の問題とは、希少性の解決へ向けた問題ではなく、「過剰生の処理」へ向けた問題となる。
 ・私はこの三つの前提から出発したい。経済学の主要な伝統は実はこの前提を持っていたのである。

第四章「経済学」の犯罪ーグローバル危機をもたらした市場中心主義
’70年代 経済学派
米国 新古典派 ①アメリカケインジアン ②シカゴ学派
英国 ケンブリッジ学派
  カール・ポランニー:市場経済は特異な歴史的産物

 ケインズの流れを汲むものは政府の賢明さを強調し、制度学派は慣習的な制度の重要性を説き、ラジカル派やイギリス経済学は階級関係を強調したのだ。

・’*80年代にシカゴ学派が勝利した米国経済学は世界から若手経済学者を吸収し、シカゴ学派に染めて世界へ送り返した。
・このことがいかにアメリカの経済的な覇権と絡んでいたかは決して強調しすぎることはない。
・私が経済学を研究していた頃の’70年代と比べると今日のその様変わりに驚かされる。多様な流派はほとんど姿を消し、もっぱらシカゴ学派流の市場中心主義だけが残ったのである。
・経済学は常に隠されたイデオロギーを含み持っている。中立的・客観的な経済学というものは存在しない。一定の角度からの現実の見方が内包されている。

**没価値的・中立的に装われたものの、背景と言わず隅々に、社会的にメジャーな価値観が埋め込まれている。当たり前すぎてその価値観がまるで裏側に隠されてしまったように、無意識の領域にしまいこまれている。現実的経済学・現実的政治、現実的社会…それらは価値中立的に見えて強固な価値観で支えられている。フェミニズムが見る男性社会のあり様を見るのと同じことだ。

・マルクス主義は経済学から文学部(フェミニズム)に引っ越した。

・ハイエクとフリードマン:市場秩序と市場原理主義

**新自由主義とマネタリズム。新自由主義と数学。

・需要要因ではなく、供給力が経済全体の総生産量を決める。供給を決定する最終的な要素は資源や労働量であるとする。

□市場主義経済学の命題 完全市場パラダイム
⑴失業は存在しない
⑵政府は景気を刺激することはできない
⑶景気変動は存在しない
⑷バブルは存在しない

第五章 アダム・スミスを再考するーー市場主義の源流にあるもの

・市場価格による需要と供給の均衡 限界需要・限界供給 微分による価格均衡
・ワルラス一般均衡理論
①無時間性②確定性③貨幣の中立性④消費の無限性
・「古典派経済学」アダム・スミス(「国富論」)、デイヴィッド・リカード(比較優位と国際水平分業)

++(Wikipedia)デヴィッド・リカード(David Ricardo、1772年4月19日 - 1823年9月11日)は自由貿易を擁護する理論を唱えたイギリスの経済学者。各国が比較優位に立つ産品を重点的に輸出する事で経済厚生は高まる、とする「比較生産費説」を主張した。労働価値説の立場に立った。経済学をモデル化するアプローチを初めてとったことで体系化することに貢献し、古典派経済学の経済学者の中で最も影響力のあった一人であり、経済学のなかではアダム・スミスと並んで評される。彼は実業家としても成功し、多くの財を築いた。ユダヤ人++

・重商主義 富(金・銀の保有)を極大化するためには⑴輸出産業の補助・育成による輸出の増加 ⑵国内産業の保護による輸入の抑制

・重商主義者は一国の富を、あまりに不確定性の高い、不安定な構造の上に置いている。重商主義者は一国の富を、グローバルな商業網とグローバルな金融システムに依拠させようとした。商業を支える財政基盤は、イギリス国債とイングランド銀行券という「信用」に依拠している。信用という不確かなものに依拠している。

・重商主義の時代/グローバル化状況の中で「商業革命」(貿易の世界的ネットワーク)「金融革命」「財政革命」(自国貿易船を防衛するための軍備を整えるための国債の発行)はおこった。

第六章 「国力」をめぐる経済学の争いーー金融グローバリズムをめぐって

・経済における二つの思考(の対立)経済基盤をどこに置くか、商業/金融か農業/工業か。確かなものは何か。土地・労働が富を作り出すのか。

・マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
プロテスタントの倫理観(禁欲的勤勉と労働の組織化/経営)が、富の蓄積と資本主義を生み出した。富の蓄積は、神の意思に反するものではなくなった。
ウェーバーの二つの資本主義の区別 ⑴合理的・近代的市民的資本主義
 ⑵ユダヤ的な「賎民的資本主義」
・ゾンバルトの批判 ユダヤ人こそがプロテスタントに負けず劣らず合理性と抽象性と世俗内的禁欲の精神と勤勉さを発揮している。禁欲的で合理的な精神とグローバルに活躍するユダヤ人ネットワークが近代資本主義の発展の原動力だとゾンバルトはいう。それに加えて、祖国/大地を持たないユダヤ人の特性が、貨幣や金銀財宝という動産に価値優位を見出した。ユダヤ人の勤勉さは「貨幣」を増殖させることに費やされ発揮される。

□ケインズ経済学
・自由放任主義を説いたケインズは、転向する。
・金融グローバリズムは国内経済を不安定にする。海外からの流入資本は、その国の長期的な利益を考慮して投資するのではなく、自己利益の追求の為に投資するのであるから、状況変化によっては一挙に資本を引き上げることもありうる。
・グローバリズムの下では、投資家の私的利益の追求行動が国民全体の公的利益に一致する保証は、ない。神の見えざる手は機能しない。
・論文「国民的自給自足」の中でケインズは述べる。
 現在のような標準化された技術のもとでの大量生産型の工業では、ほとんど似た製品がどこでも作れるようになるだろう。「豊かな社会」である先進国では工業生産はさして重要なものではなくなるだろう。それよりも住宅や生活に関わる多様なサーヴィス、生活のアメニティ、都市の景観といったものこそが重要となるだろう。そしてそれらは国際的商品ではなく、国内の商品なのだ。
 しかもそれらは十分な利潤を生み出すものではない。だからわれわれは、そろそろ金融経済の利潤動機から離れなければならない。
「頽廃的で国際的で個人主義的な資本主義は決して成功しない。それは知的でなく、美的でもなく、公正でもなく、有徳でもない。」
・金融グローバリズムのもとでの貨幣の投機的な運動、それこそが企業の長期的な投資を減退させるのだ。

<<図表>>

第七章 ケインズ経済学の意味ーー「貨幣の経済学」へ向けて

・経済学には、個々の企業や消費者の合理的な行動分析から始めて、それを合成した市場の働きを論じる「ミクロ理論」と、国民総生産や国民所得や失業の問題、経済成長といった経済全体の集計量を扱う「マクロ理論」がある。
 ケインズ理論の功績は、個々の経済主体の分析や市場分析という「ミクロ理論」とは異なった「マクロ理論」を発見したことにある。例えば労働雇用量(失業率)がどのように決まるかは、労働市場というミクロの問題ではなく、GDPのようなマクロの集計量の問題だというのがケインズの発見だった。


(・合成の誤謬 ミクロ的には合理的でもマクロ的には非効率を生み出す事象。)
・ミクロ理論とマクロ理論がうまく接合しないケインズの経済学の欠点をついて、ケインズ有効需要の考え方は、否定された。
・短期的には一時的な失調が生じるかもしれないが、結局のところは価格変化によって市場経済は自動調整機能を発揮する。…これが新古典派の見解なのである。

・市場理論の出発点は、物々交換にある。物々交換を多数でスムースに行うために「貨幣」が発明される。貨幣を交換の媒体として、交換体系が広がって行く。これは市場の基本構造だ。

□交換価値の媒体としての貨幣から、抜け出て
⑴貨幣は経済活動が時間を通じて継続するために必要となる。
⑵貨幣は将来の不確定性とプラスとマイナスの両面で結びついている。物と交換された貨幣が、貨幣を持たない場合に比べて、将来における交換価値の実現の不確実性を減らす。しかし、交換した時点の交換価値を将来の時点で保証するわけではない。
⑶貨幣は、社会的な信頼に基づいてのみ、貨幣となる。
⑷貨幣はそのもの自体で価値を持たない。価値を持つのは、物である。貨幣は、将来において、貨幣と交換する、物の価値を代理表象する。(価値保蔵機能)

 二者の登場する物々交換モデルでは、貨幣はいらない。三者の登場する時間のずれた物々交換モデルでは、<あらかじめ>貨幣が存在していなくてはならない。

□貨幣の形態
・現金、預金、債券、株式、
・流通(交換過程)から引き上げられた貨幣は、貯蓄としてその一部は生産者へ投資される。貯蓄された資金と投資される資金の需給を調整するのが金融市場。

□投機の場としての金融市場
・貯蓄され投資先を見出せない「過剰」資金は、投機資金として金融市場に向かう。
・金融市場に金融商品が作りだされる。株式、債券、信用取引、為替、…デリバティブ。
・貯蓄と投資を結びつける金融市場は、過剰資金と金融市場における金融商品の発明によって、自立運動を始める。実体経済との乖離が始まり、加速される。
 投資と投機の対立、金融経済と実体経済の対立

□経済成長
・経済成長を生み出すものは、労働力の増加と生産性の増大である。生産性の増大をもたらすのは技術革新である。
・シュンペーターが述べたように、企業家の新たな製品への絶え間ない挑戦、過激なまでの創造的破壊や新機軸が経済を動かしてきた。

・絶対的欲望(生存のために必要な欲望)と相対的欲望(他人との比較、旧来商品との差異)
**絶対的欲望においては「差異」は欲望の駆動装置ではない。相対的欲望は、差異が欲望の駆動装置であり、欲望の全てになりうる。差異を生み出せば欲望を作り出せることになる。欲望、商品にとっては需要を作り出すことができる。逆に言えば、欲望を作り出さないと、需要はなく、商品は売れない。需要があるから、商品化するのではない、ということになる。作って見なければ、欲望に点火できない。*

第八章 「貨幣」という過剰なものーー「希少性の経済」から「過剰性の経済」へ
・クラ交換:マリノフスキー 「贈与ー返礼」
宗教的、政治的、儀礼的、社会的
・マルセル・モース「贈与論」 いつまでも生成状態にある交換
原初的で根源的であるこの交換を、われわれは「…でない」という形でしか表現できない。
 ポトラッチ:大規模贈与から始まる。大変激しい競争的で敵対的で覇権的なモノの破壊であり、饗応であり、贈答である。

□レヴィ・ストロース
・「交換」を未開人は「贈与・受領・返礼」と分けて理解した。あるのは交換だけである。
・彼は、「言語」「貨幣」「女性」の交換の制度、言語的コミュニケーション、経済の体系、結婚と親族の体系こそが社会を構成する三つの「無意識の構造」だと述べる。
・言語学のフェルディナント・ド・ソシュールは、言語とは「意味するもの=シニフィアン」(記号表現)と「意味されるもの=シニフィエ」(記号内容)の恣意的な結合だと述べた。

□ゼロシンボルとしての貨幣
・指示内容は持たずに、純粋に象徴作用のみをもつ=ゼロシンボル

・「貨幣」は何を意味するのだろうか。それは決して生活の中で具体的な使用価値も有用性も効用も持たないのであり、その意味では何をも表象していない。
 と同時に、それはすべての財と交換可能であるという意味では、あらゆるものを表彰しているとも言えるし、あらゆる使用価値を表彰しているとも言える。
 だからこそ、貨幣は重商主義者が言ったように「富」を指し示すことができ、マルクスが言ったように、貨幣は「一般的等価価値形態」となりうるのである。
 そして、それこそがレヴィ・ストロースがいう「ゼロシンボル」に他ならない。貨幣は人間の象徴作用において、純粋な「意味するもの=シニフィアン」になっており、それが表象すべき具体的な使用価値/有用性を持たない。それは純粋な「過剰性」と言ってよい。

・貨幣、貴重品、生贄/供え物

第九章 「脱成長主義」に向けてーー現代文明の転換の試み

「技術革新が活発になり、潜在的な生産力が増加して労働生産性が向上すればするほど経済成長は鈍化してきた。」

(ブランドは距離=希少性があるからブランドであって、誰もが買えるようになればもはやブランドではない。)

・希少性の原理
無限に膨らむ人間の欲望に対して、資源は希少である。従って、市場競争によって資源配分の効率性を高め、また技術進歩などによって経済成長を生み出すことが必要となる。
・過剰性の原理はこういう
成熟社会においては、潜在的な生産能力が生み出すものを吸収するだけの欲望が形成されない。それゆえ、この社会では生産能力の過剰性をいかに処理するかが問題となってくる。

・社会的な価値は市場では選べない。

・エマニュエル・トッド
民主主義とグローバル経済は両立しない。大衆の不満は、民主政治の中からやがて独裁を生み出し、民主主義が停止されるだろう。これを避けるためには、グローバル経済のレベルを下げる必要がある。
・グローバル経済のレベルを落とすということは、各国の社会・文化・経済システムの多様性を認め、国内事情に配慮した政策運営を採用できる余地を増やす事である。

・国内の生産基盤を安定させ、雇用を確保し、内需を拡大し、資源エネルギー・食料の自給率を引き上げ、国際的な投機資金に翻弄されないような金融構造を作ることである。▷▷「ネーション・エコノミー」を強化する方向へ舵をきる。
・成長主義という思い込み/強迫観念からわれわれを解き放つ必要がある。


2012-11-21

『遺伝子はダメなあなたを愛してる』

『遺伝子はダメなあなたを愛してる』
福岡伸一 出版2012.3


□ゴキブリ
 おそらく私たちはゴキブリの逞しさ、しぶとさが疎ましいのです。でもそれは勝手な感情です。私たちは圧倒的に新参者にすぎません。流線形の姿態。黒光りのする翅。機敏な動き。それは3億年前から変わっていないのです。ここにあるのは実は美しさです。彼らは地磁気を感知でき、密林でも真っ暗な台所でも正確無比に走り回れます。彼らは氷河期を耐え、恐竜の消長を見てきたのです。私たちに必要なのは謙虚さと時間の流れに対するリスペクトなのです。

□ドリトル先生
 井伏鱒二と石井桃子が翻訳

□花粉症と免疫系
 免疫系は自己と他者とを見分け他者を排除しようとする防衛能力。私を自己規定しているのは脳の働きだと信じていますが、実は自己と他者を明確に区別しているのは、脳ではなく免疫系なのです。
 免疫系は臓器のようなパーツではなく、全身に散らばっている免疫細胞のネットワークです。つまり私は脳に限局しているのではなく、身体全体に広がっているのです。
 胎児のうちに将来に備えてランダムに(百万通りもの)免疫細胞を作り出す。自分の構成成分と反応する抗体は、胎児の一時期に自殺プログラムが発動して無くなってしまう。++残った免疫細胞は自分自身とは反応しない。免疫細胞が反応する以外のものが、自分自身と言える。+つまり、免疫系にとって自己とは、穿たれた空間、すなわちヴォイドです。周囲の存在だけが自分を規定している。
 花粉は毒素も出さないし、増殖もしない。花粉症は免疫系の過剰な防衛反応です。

□卵子
 女性の卵子は、胎児期の最初たった4ヶ月の間に作られる。その数、700万個。この世に生まれる前にその大半が消失し、思春期までに残るのは役割を30万個。生涯に排卵される卵子の数は数百個。

□スクレイピー病(羊に起こる狂牛病) 狂牛病(BSE)
 2011年九州で発病した狂牛病について、報道では人には感染しないとしているが、これはあくまで想定。
・羊に起こるスクレイピー病が牛で発生したのは、羊の死体から作られた肉骨粉が牛に与えられていたため。この病気は、潜伏期間が非常に長く何年も経ってから発病することも多い。
・この飼料を食べさせた牛が狂牛病を発病し、それを食べた人に感染した。クロイツフェルト・ヤコブ病
・病原体は未だ謎。

□子ねずみの飼育から分かること
・遺伝子そのものの有無ではなく、遺伝子の発現の仕方が、行動によって世代を超えて伝達されうる。十分に親がかまうと、子供はゆったりと育つ。手をかけない子供はせかせかと落ち着かない。

□生命にとっての情報
・人間にとっての情報は、記録媒体の中に蓄積されているイメージですが、生命にとっての情報は「現れてすぐに消える」ことが重要。
・生命にとっては変化そのものが情報であり、変化の幅(差分)が、次の反応を引き起こす手がかりとなる。

□味覚
・甘みは糖質、すなわちエネルーギー源である炭水化物のありかを探る重要な手がかりとなる。
・うま味は、タンパク質の構成要素であるアミノ酸に対して感じる味覚。
・辛味 カプサイシン

□線虫 単細胞から多細胞へ
・生命誕生 38億年前 多細胞へ:10億年前
・細胞は増殖するにつれ、2、4、8、・・

**この増え方は「2項対立的」デジタルとアナログ。「ある」か、「ない」かと、「境界」。生命内の情報のやり取りも、基本的にあるか、ないか。*

・多細胞化 分化:専門化と分業
・線虫の細胞数は959個 シドニー・ブレナー:線虫の研究

□腎臓 生命体のフィルター機能
・血液は一日で30〜40回全身を回り、腎臓を通過する。
・腎臓は全ての血液を通過させ、必要な水分・栄養素・イオンを再吸収する。不必要な老廃物や過剰な水分などはそのまま下流へ流されるので、目詰まりを起こさない。
・寒いと尿が増えるのは、発汗量が減るため、その分を尿で調整する。
**水などの冷たいものに触れると、尿意をもよおす。これは事後的に水分量を調節しているだけでなく、事前に寒暖センサーだけでも水分量を調節しているのではないか? *

□LEDと蛍
・冷たい光は、転換効率のいい光。
・電球 10% LED 30% 蛍 90%
・植物が光を捉える能力、電化分離効果はほぼ100% 太陽電池は10%

□DNA
・DNAはあくまで情報のアーカイブであって、命令やプログラムではありません。そこから何が引き出されるかは、その人が生まれ育つ環境に大きく影響されます。
・能力・正確・進路適性、あるいは犯罪傾向と言った社会や文化傾向と切り離せない現象について、DNAの文字列から何かを言うことはほとんど不可能です。

□蝉
・初夏 ニイニイゼミ 「チー」
・ ミンミンゼミ
・暑夏 アブラゼミ 「ジリジリ」
・晩夏 ツクツクボーシ

□小動物と寿命
・小動物ほど体重に比べて表面積は大きい。▷体温維持のために代謝を活発にする必要がある。▷呼吸と心臓拍数が早い。▷細胞が酸素に曝され、酸化ストレスをもたらす。

□肺呼吸 ミトコンドリア 酸化反応
・ミトコンドリア 細胞内部で酸化反応を担っている。
酸化反応:炭素(糖質)に酸素を与えて、酸化(化学反応)によりエネルギーを得ている。燃えかすが二酸化炭素。
・ドジョウ 腸で呼吸できる。
・肺は、消化管から分化した。
・恐竜と鳥の近さは器官機能的な類似性でも説明できる。両方とも気嚢(きのう)を持っていて、吸った時に気囊に空気を溜めて、吐く時には気囊に溜まった空気を肺を通過させて、酸素吸収する。呼吸の往復で酸素吸入ができる。(高度の高い)低酸素状態でも生きていける。酸素吸収の効率が高い。

□落葉
・植物には、動物のような老廃物の排出の機能がない。細胞の内部に特別な閉鎖空間=液胞を作って、有害物質や老廃物を溜め込む。内部の内部に外部を作っている。この液胞にはキャパシティ(容量限界)があるので、落葉によって捨て去る。
・落葉のプロセス:葉で作られた養分を回収して枝や幹に貯め込む。葉っぱの付け根に仕切り壁を作って切り離す。


□アゲハ蝶
・アゲハ蝶/黄アゲハ:黄色地に青い斑紋/黒アゲハ:黒に白い線/アオスジアゲハ/カラスアゲハ
・蝶は味を前足の先で感じる。
・「ニッチ」の本当の意味は、(生態学的)棲み分け。蝶は種類ごとにニッチを持っている。人間だけが共有ではなく占有を求めている。

・マヨネーズが腐らないのは、酢酸によってpH3〜4に保たれているから。

□□あとがき
・あるいは私たち自身が、自分の運命が何者かによって予め決められているという物語が好きなのかも知れません。それが今や、遠い天空の星の運行ではなく、私たちのミクロな内側に潜むリトルピープル=遺伝子の戦略に操られている(という物語)、と信じたいのかも知れません。

2012-11-17

PV『桜流し』 宇多田ヒカル


 汚れをぬぐいさり、色を鮮やかに、…アフターイフェクトを施し、作り込まれ加工されたものから離れ、ドキュメンタリータッチのざらついた生々しさを訴えてくる映像を、宇多田ヒカルは選びとった。
 普通に思い浮かべると、彼岸花の赤は鮮やかだし、産まれたての赤ん坊も晴れやかで瑞々しいピンクの肌色をしている。しかし、ここでは、私たちが頭の中に思い描いてしまうようなをイメージを、PVの映像は、薄汚さ(うすぎたなさ)の方へつまり現実の方へ、あへて裏切っている。映像作家が河瀬直美だと知って、ふむなるほどと思う。私たちに埋め込まれた幾重ものフィルターを、ここはいっぺん外してみようよ、と宇多田ヒカルは私たちを誘っているのかもしれない。
 彼岸花と赤ん坊。赤ん坊が母親の指を握りしめる仕草。臍の緒の切断。
これらのイメージの絵解きは、…やめておくのが賢明だろう。

こちらの方に映像はある
http://gigazine.net/news/20121117-evaq-sakuranagashi/



《 桜流し 》

 聞いたばかりの花が散るのを
 「ことしも早いね」と
 残念そうに見ていたあなたは
 どう思うでしょうあなた無しで生きてる私を

 Everybody finds love
 In the end

 あなたが守った街のどこかで今日も響く
 健やかな産声を聞けたならきっと喜ぶでしょう
 私たちの続きの足音

 Everybody finds love
 In the end

 もう二度と会えないなんて信じられない
 まだ何も伝えてない
 まだ何も伝えてない

 開いたばかりの花が散るのを
 見ていた木立の遣る瀬なきかな

 どんなに怖くたって目を逸らさないよ
 全ての終わりに愛があるなら


  Music by Utada Hikaru and Paul Carter
  Words by Utada Hikaru

2012-11-16

ランチタイム

−スパゲティー・ペペロンチーノ−
 スパゲティーは電子レンジで湯がく。ソースは出来合いのもの。それに生卵を合わせて、海苔をトッピングすると出来上がり。ソースに付いているトッピングのガーリックとトウガラシはGood.
 変な表現だが、美味いわりに簡単にできすぎる。


 生卵がなければ、おそらく、私には味が濃すぎる。
 パルメザンとオリーブオイルのあとがけは、口に合わない。


2012-11-06

iPad mini 素人な個人的感想


2012.11.5

⒈iPad miniは軽い
・重さが半分以下のiPhone4sよりひょっとして軽いのかと思わせられる。小さなiPhoneには、重量密度が高く、iPad miniに比較すると機能と部品がギュッと詰まっていることを実感させる(いい意味で)ずっしり感じがある。iPad miniは薄さと重量密度の低さ及び実重量の軽さが相まって、とにかく重さを感じさせない。携帯性の良さが際立つ。
・もし私がWi-Fi環境にないところにちょくちょくいるなら、ひょっとして3G/LTEが必要かもしれない。しかし、電車の中ではRetinaのiPhoneで十分だし、それ以上のことを求めるのは、生活様式の限度を超えている。してはいけない行動だ。

⒉動作がスムース
・iPad専用のアプリが痒い所に手が届く様に作られている。
・SafariでWebブラウジングする時、Androidのように全部開き切らなくても、スクロールがスムースに行える。3カラムに分割されていて中央に本文があるサイトがよくあるが、本文を読むのにクリックで大きさを調整できる機能はAndroidも同じように持ってはいるが、文字拡大の調整がスムースで適切なのは断然iPadだ。
・Web上の記事でも、スペック数字では優れているNexusが、スコアがほぼ同じで体感的にも差が無いとの記載がある。実際に使って見ての感覚と同じだ。
『iOS機器とAndroid端末の性能比較できるベンチマークアプリ「PerformanceTest Mobile」を使用して比較したトータルスコアは「iPad mini」が2049で「Nexus 7」が2082。CPUのコア数や搭載メモリで勝る「Nexus 7」と「iPad mini」がほぼ同じスコアになっているのは少し意外ですが、実際に操作してみた際の体感速度でも大きな差を感じることはありませんでした』

⒊十分なスペース=大きさを持っている
・いま、TextForceで入力しているが、テキスト入力画面としてはAndroidの10”タブレットと同じくらいのスペースが確保されていて、読みやすく、入力しやすい。(Webブラウザーでも同じようなことが言えるが)テキスト入力画面として横幅が大き過ぎては、一覧性に欠けたり、目(視点)の移動距離がほんの少し長くなっただけで辛かったりする。スペースが十分でない時のデメリットは書かなくても分かる。
・このディスプレイの大きさの適切さは、不思議なことに、縦使いでも横使いでも同じように使いやすいのだ。
・Webブラウジングでも、これ以上の大きなスペースは要らない。必要十分な大きさだ。

⒋外付けキーボードとの相性
・AppleのWiFiキーボードとの相性が良い。AndroidではUS配列になったり、動かないキーがあったり、入力にストレスを感じた。
・これだけスムースに入力できると正直、NotePCは要らないだろう。

⒌ディスプレイにわずかに不満
・思っていた程度の悪さでしかないが、ディスプレイがRetinaでないことは残念だ。これでもしRetinaディスプレイだったら、言うことはない。
・Webブラウジング時に文字を読むのにはそれほど不満は感じないのだが、さすがにビューンを読むのは辛い。これはRetinaでないと無理かも。
・Kindleのbookを読むのは全く問題ない。
・価格・重量・厚み・必要CPUの組み合わせを考えると、今のiPad miniはベストミックスなのだろう。

・充電に時間がかかり過ぎる。iPhoneと同じ5wの充電器では不十分で、12wの物を標準パックにすべきだ。

⒍AssistiveTouchに驚いた
・iOS⒌から導入されたAssistiveTouchだが、iPhone4sで使用してみた時は、全く使いようがないものだと感じていた。ところがiPad miniではむちゃくちゃ便利なのだ。iPad miniをスタンドに立てかけて使うからだ。その状態ではホームボタンを押しにくい。 ところがAssistiveTouchを使うとホームボタンもディスプレイの回転ボタンも、そして音量ボタンも物理ボタンを二つ押して使うスクリーンショットまで、つまり物理ボタンが全てこのソフトボタンで代替できるのだ。
・4本指で使うマルチタスクも使える。アプリ切り替え、マルチタスクバー、ホームボタンもこのマルチタスクジェスチャーでこなせる。

⒎ノングレアのフィルム 
・写り込みが無くなって、目に優しく見やすくなった。これは僅かな投資でディスプレイの価値を高めると言えるほど、かなりな効果があった。

2012-09-30

奢りと蔑視

村上春樹さん寄稿 領土巡る熱狂「安酒の酔いに似てる」

 作家の村上春樹さん(63)が、東アジアの領土をめぐる問題について、文化交流に影響を及ぼすことを憂慮するエッセーを朝日新聞に寄せた。村上さんは「国境を越えて魂が行き来する道筋」を塞いではならないと書いている。

 日本政府の尖閣諸島国有化で日中の対立が深刻化する中、北京市出版当局は今月17日、日本人作家の作品など日本関係書籍の出版について口頭で規制を指示。北京市内の大手書店で、日本関係書籍が売り場から姿を消す事態になっていた。

 エッセーはまず、この報道に触れ、ショックを感じていると明かす。この20年ほどで、東アジアの文化交流は豊かになっている。そうした文化圏の成熟が、尖閣や竹島をめぐる日中韓のあつれきで破壊されてしまうことを恐れている。

 村上作品の人気は中国、韓国、台湾でも高く、東アジア文化圏の地道な交流を担ってきた当事者の一人。中国と台湾で作品はほぼ全てが訳されており、簡体字と繁体字、両方の版が出ている。特に「ノルウェイの森」の人気が高く、中国では「絶対村上(ばっちりムラカミ)」、台湾では「非常村上(すっごくムラカミ)」という流行語が生まれたほどだ。韓国でもほぼ全作品が翻訳され、大学生を中心に人気が高い。東アジア圏内の若手作家に、広く影響を与えている。(村上さんの寄稿エッセー全文は以下)

     ◇

 尖閣諸島を巡る紛争が過熱化する中、中国の多くの書店から日本人の著者の書籍が姿を消したという報道に接して、一人の日本人著者としてもちろん少なからぬショックを感じている。それが政府主導による組織的排斥なのか、あるいは書店サイドでの自主的な引き揚げなのか、詳細はまだわからない。だからその是非について意見を述べることは、今の段階では差し控えたいと思う。

 この二十年ばかりの、東アジア地域における最も喜ばしい達成のひとつは、そこに固有の「文化圏」が形成されてきたことだ。そのような状況がもたらされた大きな原因として、中国や韓国や台湾のめざましい経済的発展があげられるだろう。各国の経済システムがより強く確立されることにより、文化の等価的交換が可能になり、多くの文化的成果(知的財産)が国境を越えて行き来するようになった。共通のルールが定められ、かつてこの地域で猛威をふるった海賊版も徐々に姿を消し(あるいは数を大幅に減じ)、アドバンス(前渡し金)や印税も多くの場合、正当に支払われるようになった。

 僕自身の経験に基づいて言わせていただければ、「ここに来るまでの道のりは長かったなあ」ということになる。以前の状況はそれほど劣悪だった。どれくらいひどかったか、ここでは具体的事実には触れないが(これ以上問題を紛糾させたくないから)、最近では環境は著しく改善され、この「東アジア文化圏」は豊かな、安定したマーケットとして着実に成熟を遂げつつある。まだいくつかの個別の問題は残されているものの、そのマーケット内では今では、音楽や文学や映画やテレビ番組が、基本的には自由に等価に交換され、多くの数の人々の手に取られ、楽しまれている。これはまことに素晴らしい成果というべきだ。

 たとえば韓国のテレビドラマがヒットしたことで、日本人は韓国の文化に対して以前よりずっと親しみを抱くようになったし、韓国語を学習する人の数も急激に増えた。それと交換的にというか、たとえば僕がアメリカの大学にいるときには、多くの韓国人・中国人留学生がオフィスを訪れてくれたものだ。彼らは驚くほど熱心に僕の本を読んでくれて、我々の間には多くの語り合うべきことがあった。

 このような好ましい状況を出現させるために、長い歳月にわたり多くの人々が心血を注いできた。僕も一人の当事者として、微力ではあるがそれなりに努力を続けてきたし、このような安定した交流が持続すれば、我々と東アジア近隣諸国との間に存在するいくつかの懸案も、時間はかかるかもしれないが、徐々に解決に向かって行くに違いないと期待を抱いていた。文化の交換は「我々はたとえ話す言葉が違っても、基本的には感情や感動を共有しあえる人間同士なのだ」という認識をもたらすことをひとつの重要な目的にしている。それはいわば、国境を越えて魂が行き来する道筋なのだ。

 今回の尖閣諸島問題や、あるいは竹島問題が、そのような地道な達成を大きく破壊してしまうことを、一人のアジアの作家として、また一人の日本人として、僕は恐れる。

 国境線というものが存在する以上、残念ながら(というべきだろう)領土問題は避けて通れないイシューである。しかしそれは実務的に解決可能な案件であるはずだし、また実務的に解決可能な案件でなくてはならないと考えている。領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑(にぎ)やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。

 そのような安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽(あお)るタイプの政治家や論客に対して、我々は注意深くならなくてはならない。一九三〇年代にアドルフ・ヒトラーが政権の基礎を固めたのも、第一次大戦によって失われた領土の回復を一貫してその政策の根幹に置いたからだった。それがどのような結果をもたらしたか、我々は知っている。今回の尖閣諸島問題においても、状況がこのように深刻な段階まで推し進められた要因は、両方の側で後日冷静に検証されなくてはならないだろう。政治家や論客は威勢のよい言葉を並べて人々を煽るだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ。

 僕は『ねじまき鳥クロニクル』という小説の中で、一九三九年に満州国とモンゴルとの間で起こった「ノモンハン戦争」を取り上げたことがある。それは国境線の紛争がもたらした、短いけれど熾烈(しれつ)な戦争だった。日本軍とモンゴル=ソビエト軍との間に激しい戦闘が行われ、双方あわせて二万に近い数の兵士が命を失った。僕は小説を書いたあとでその地を訪れ、薬莢(やっきょう)や遺品がいまだに散らばる茫漠(ぼうばく)たる荒野の真ん中に立ち、「どうしてこんな何もない不毛な一片の土地を巡って、人々が意味もなく殺し合わなくてはならなかったのか?」と、激しい無力感に襲われたものだった。

 最初にも述べたように、中国の書店で日本人著者の書物が引き揚げられたことについて、僕は意見を述べる立場にはない。それはあくまで中国国内の問題である。一人の著者としてきわめて残念には思うが、それについてはどうすることもできない。僕に今ここではっきり言えるのは、そのような中国側の行動に対して、どうか報復的行動をとらないでいただきたいということだけだ。もしそんなことをすれば、それは我々の問題となって、我々自身に跳ね返ってくるだろう。逆に「我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない」という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ。それはまさに安酒の酔いの対極に位置するものとなるだろう。

 安酒の酔いはいつか覚める。しかし魂が行き来する道筋を塞いでしまってはならない。その道筋を作るために、多くの人々が長い歳月をかけ、血の滲(にじ)むような努力を重ねてきたのだ。そしてそれはこれからも、何があろうと維持し続けなくてはならない大事な道筋なのだ。

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 むらかみ・はるき 1949年生まれ。早稲田大卒。著書に「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ノルウェイの森」「アンダーグラウンド」「1Q84」など。レイモンド・チャンドラー「リトル・シスター」など翻訳書も多数。読売文学賞、フランツ・カフカ賞、朝日賞、エルサレム賞など国内外の賞を受賞。

2012-07-20

合意のねつ造 世論を欺く世論調査

 ことある毎に行われている世論調査は、古くからのマスメディアの手法である「合意のねつ造」のための典型的な、古くて効果の高いメソッドだ。
 世論調査の個々の問いが誘導的であることに、大半の人が気づき始めた。しかしテーマの設定自体が、合意のねつ造の根本であることを指摘する声は出にくい。世論調査結果を批判するにしても、ついつい、中身の吟味と具体的な事柄の批判に終始してしまう。世論調査もその一つであるアジェンダセッティングの枠組みの中で、批判者も自らの意図に反して、補完的な役割を担わされることが多い。

 マスメディアは主体的に、アジェンダセッティング(≒テーマ設定)を行い、政治状況を考えるための文脈や土台を提示することで、人々の思考をアジェンダに沿った枠組みの中に閉じこめることが出来る。メディアの受信者は、受け手であること以上に受動的思考を強いられている。また、それに気づくことがほとんどないという利点がある。
 自分の意見だと思っているものが、被操作的なものであることも大いにあり得るのだ。

 世論調査によってマスメディアは、事実のないところに事実のようなもの=民意らしきものを作り上げ、それをテーマに、有り体に言えばマッチポンプ的政治言論状況を作り出すことが出来る。

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以下は「週刊ポスト2012年8月3日号」からの引用
http://www.news-postseven.com/archives/20120720_130805.html

若者ら除外する世論調査結果の信憑性に疑問 2012.07.20
「小沢新党、期待せず79%」「消費増税法案可決を評価する45%」…と大々的に報じられる世論調査の結果に違和感を覚える人が多い。周りの人々と話しても、とてもそんな結果になるとは思えない。世論調査の数字は、本当に“民意”といえるのだろうか。

ともにメディアに籍を置き、表も裏も知り尽くすジャーナリストの鳥越俊太郎氏と長谷川幸洋氏は「世論調査ジャーナリズム」に正面から疑義を呈した。

鳥越:昔、世論調査は選挙の時ぐらいしかやらなかった。でも今は政局が動くたびにやっていて、明らかに過剰な数です。今回、『週刊ポスト』が調べたところ、この半年間で読売が12回、次いで朝日が11回。

これに産経、毎日、日経も7回程度やっていて、大手紙だけに限っても実に4日に1度、どこかが調査を行なっている計算になる。しかも、新聞の一面トップを飾ることが多くなった。

長谷川:世論調査が増えたという印象は私も同じです。10年以上前は調査員が戸別訪問して行なう「面接調査」が中心でした。今はコンピュータがランダムに選んだ電話番号をもとにオペレーターが電話をかけて調査する「RDD」(Random Digit Dialing)という方式が主流です。この方式だと、調査が簡単に素早くできるようになった反面、調査結果が歪んでしまう可能性があるんです。

鳥越:固定電話の番号だから、あまり家にいないサラリーマンや若年層は有効回答から除外されやすいよね。

長谷川:そもそも、ひとり暮らしの若年層は固定電話自体を持っていませんよ。他にも様々な問題がある。電話口で読み上げるので回答の選択肢の前の方にあるものが選ばれやすい、態度がはっきりしない回答者に「あえていえば」などと重ね聞きするかしないかで結果の数字が大きく変わってくる、といったことです。

鳥越:毎日新聞の記者時代の経験ですが、例えば、選挙に関する世論調査の結果を発表する前に選挙の担当者が数字を“調整”するのをしばしば見てきた。担当者が取材で掴んだ選挙区情勢と違うという理由です。

そういった裏事情を知っているので、私自身は世論調査の数字を疑っています。

ーーーーーーーーーー  以上引用終わり

□アジェンダセッティングとあじさい革命
 リテラシーによって、マスメディア的思考の枠組みの外へ出て、きちんと批判する道もある。しかしこの枠組みを時にはひっくり返すことが必要だ。
 この強力なアジェンダセッティングという武器を市民の側に取り戻す手段がある。《SNS+リアルデモ》によって市民の側に、政治状況のアジェンダセッティングの主体=主権を取り戻す契機とすることが出来る。
 官邸前デモに心を寄せる多くの人も、投票によってしか政治が変わらないといまだ信じ、次の投票行動の選定条件を考え投票し/落選させようと訴える。
 議員代理制=間接民主主義の下で、投票から投票までの間、つまり投票日という一瞬をのぞくほぼすべての期間、国民はずっと主権を議員に委ねていなければならないのだろうか。

 違う。
 そうじゃなくて、マスコミに代わって市民がアジェンダの設定の主体になることで、市民は政治言論を動かし、議員を動かすことが出来る。それが不断の運動による民主主義の形だ。だから直接民主主義抜きの間接民主主義など無いと云うべきなのだ。
 日本の”democracy0.2” を ”democracy1.0” に引き上げるチャンスが目の前に顕れ通り過ぎようとしている。
 多くの人々が自覚的には未だ気づいていない、《あじさい革命》の本質だと思っている。

メモ 12-7-12 ドゥルーズ


千のプラトー プラトー:高原

脱中心的 多重的
脱原発 脱中心 原発は中心的、中枢的、中央権力的、コアと周辺という構造 近代的 集中型
脱原発運動は、脱中枢的に個々人に任された運動体 同時多発的

RT @TakagiJinza_bot: 私は単純に原発の問題から反原発論へということを言うつもりはない。原発というのはアクティビズムの極致の技術、巨大かつ能動的な装置を持ち込み制御しているが、そのような制御の仕方、システムのあり方に依らない文化を考えることが、本当の安全文化を考えることであると思う。

分裂病 スキゾフレニー
マシニーク マシニスム 機械状 欲望機械 無意識とは機械である
発明した道具、機械にまとわりついているもの

「差異と反復」「アンチ・オイディプス」「千のプラトー」
《器官なき身体》
「資本主義と分裂症」
衝動や欲望が内側に向かって押し潰される 資本主義社会と分裂病の蔓延
資本主義は欲望を内部に溜めてしまう欲望機械 自分の欲望に走ろうとすると分裂病になる。

フロイト精神分析が仮定した「健全な主体性」が、欲望を歪めて取り出したのではないか・
「健全な主体性」が仮定されるとそこからはみ出したものが、病的とされる。

2012-07-16

アイドルグループの卒業と「ギンガムチェック」


未成熟の延命     「ギンガムチェック」   AKB48新曲

卒業を宣言した前田敦子は選抜総選挙を欠席したのだから、このAKBの新曲にはもちろんでていない。前田敦子の存在感が、非在であることで、浮き立った。メンバーの中でそれほど飛び抜けた存在とも思っていなかったのだけれど、前田敦子がこれまでずっとセンターを張っていたのにはちゃんとした理由があったのだ。
AKBファンの男どもは、(AKBフリークでないと意味は分からないだろうが)この新曲を乃木坂曲だと云っている。ある意味正しい。この曲の衣装であるギンガムチェックの少し長めのスカート丈は、彼女たちが短いスカートだけが似合う「少女アイドル」ではなくなっていることを表している。メロディーラインも曲想も、ボクちゃんたちにとってはちょっと大人メ、上メなお姉さま視線が感じられる。
前田敦子が卒業すると云うことと、選抜一位に返り咲いた大島優子センターの曲がギンガムチェックであることは密接に結びついている。女子が男子より早く成熟することが世の常であるように、 AKBのメンバーはより早く成熟し、ファンの男のこたちはAKBに成熟度において取り残された。彼らおとこのこは本当はAKBを卒業していくべきなのに、卒業できずにいる。彼らは熟そうとしない未成熟な雄花たちだ。

脱皮を繰り返すことによって成熟するのではなく、成熟を外へ排出し、若さを保つ魔法、それがハロプロが開発した「卒業」という儀式だった。中学生が卒業を通過して高校生になるように、個人を主人公にすれば「卒業」は脱皮と成熟を意味するのに、学校を式をする主体に転倒させることによって、「卒業」を成熟を排除する場に意味転換=換骨奪胎し、未成熟の価値に目を向けさせ、グループの未成熟の延命に成功した。アイドルビジネスにとっては画期的かもしれない。文化的背景が違う個人主体の米国では、人を入れ替えることでグループを延命させるこの手口がすんなりとは受け入れられないだろうが、でも装いをかえてこれをまねようとする者が出てくるかもしれない。

大島優子が卒業意向をうっかり口にしたように、20歳を超えた者たちをAKBにとどめておくのは難しいだろう。

2012-06-27

国会を救ったのかもしれない57名の叛乱

“大政翼賛“という言葉には手垢がつきすぎて、大政翼賛と言ってみたところで、本物の狼がきて、醜悪なおばあさんに姿を変えベッドで待っているのに、そのことに人々は気づかない。狼に向けるべき石のつぶてを、事実を告げる少年に向けて投げつけている。人々は無意識的だからこそ組織的に本当のことから眼を逸らすことができる。だから、消費税増税に反対する過半の民意から遙かに隔たったこの国会議決を(不思議なことに)不思議とも思わない。

民意を映せなくなった日本の国会は、日本人には見えなくても、間接的民主主義制度=議会制民主主義のポストモダンな崩壊のしかた〈 大政翼賛 2.0 〉でもって、世界に警告を発している。もちろんマスメディアは、こぞってこの状況に手を貸した。それが 〈 大政翼賛2.0 〉におけるマスメディアの役割そのものなのだから。

もし民主党から五十七名の造反議員がでていなかったら、なんと92%の賛成で増税法案が衆議院で可決していたことになる。国会に意見の多様性はすでに存在しないことを証明する、おぞましいほどの意見の一致である。911後に起きた米国議会の再来のような惨状だ。日常的に繰り返される反小沢キャンペーンを使って、マスメディアが眼を逸らさせようとしていることの中に、ほんとうのことが潜み、隠されているのが、グローバリズムによって組み替えられた 〈 大政翼賛2.0 〉 社会となったこの国の現状だ。
この繰り返しによる刷り込みがメディア・コントロールの手法そのものであることは、CMがシャワーのように降り注がれることで商品への欲望が喚起されていることでも分かる。
小沢氏の場合は、潜在意識に嫌悪感を浸透させようとするネガティブキャンペーンだ。米国では政敵に対する一般的なやり方だ。日本では検察を巻き込み、中立的な装いの新聞報道・TVニュースまで使って、キャンペーンとは思わせない仕方を織り込んで、徹底的に行われてきた。
今回も、ちょっとした新味=手紙爆弾でリニューアルすることで、いまだ効果を上げているイメージを使い、「小沢」の名前を冠することで、国民との約束を反故にする大政翼賛的政治状況に対する正当な異議申し立てを、価値反転させることに一定の成功を収めている。

彼ら少数の国会議員の造反と、《 Jun15 あじさい革命 》の直接的民主主義のムーブメントが大政翼賛政治に楔を打ち込んではいる。2009年のマニフェスト選挙が動かしたはずの転轍機が指し示す線路の行方に、99%の未来のために政治のベクトルを再びあわせることができるのだろうか。

それとも、大政翼賛 2.0 社会の民衆の役割を、レミングのように私たちは引き受けるのだろうか。


2012-06-26

Jun15 あじさい革命

〈6.15 11,000人デモ〉
野田が言うように国論は確かに二分されているのだろ う。多数派を占めるにまでになった〈以後〉の反省を踏まえた再稼働反対・脱 原発の人々と、〈以前〉に無理やり接ぎ木しようとする権力者たちとの間で。 愚劣で欺瞞的であることが明々白々であるにも関わらず、実効性を持つ野田再 稼働宣言に多くの人々は打ちのめされた。
しかし〈11,000人デモ〉に私たちは 未来の大きな可能性をみることができる。見ようとしている。(執拗にマスコ ミが報じないことを糾弾するのは、自分たちにとって、とても大きく大事に見 える出来事をマスコミが過小評価しているとする心情のせいだと思える) 絶望しかかった脱原発に、いつか燃えさかるであろう野火の熾火の役割をこの 〈6.15 11,000人デモ〉に託そうとしている。
6.17
https://twitter.com/manomasumi/status/214161225393770497


2012-04-30

橋下改革は、新自由主義そのもの

「社会的格差拡大、1%への富の集中、中間所得層の崩壊、非正規雇用拡大・貧困層・失業率の増大」をもたらしている新自由主義経済政策。21世紀最初の十年は新自由主義経済が全世界的に爛熟し、展開している時代だ。

新自由主義経済が目指す、3つの特徴。
①公共領域の縮小    /民営化、私企業の参入
②企業活動の全面自由化 /規制緩和
③社会的支出の大幅削減 /社会保障、福祉費用の削減

竹中=小泉が推進した新自由主義経済政策が、純粋・理想的な形で全面的に展開されているのが橋下改革下の大阪府、市の行政だ。すでに社会的実験が行われた中南米やロシア、中欧、韓国そしてアメリカ社会の歴史を見ると、橋下改革が新自由主義政策の先行事例の引き写しであることが分かる。橋下改革は新しくもなく独自のものでもない。世界的な流れの一環といえる。

例えばアルゼンチンでは、カルロス・メネム大統領の時代の急進的な制度改革において、油田、電話、航空、空港、鉄道、道路、水道、銀行、美術館、劇場、動物園、郵便局や年金制度に至るまで国有企業を片っ端から規模を縮小し、あるいは、かつ、売却した。

橋下改革の中にも地下鉄=鉄道をはじめ同じような項目を幾つも見つけることができる。公共の財産が思いがけない安値で私的企業に売り払われないか、心配するのは杞憂なのだろうか。

大阪での新自由主義改革の実態レポートを以下に引用する。
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橋下「改革」の危険 4年の実態に見る

市長になっても 全世代への負担増

「大阪維新の会は日本の統治機構を変え、決定できる民主主義を実践してい く」。橋下徹大阪市長は維新政治塾の開講式(3月24日)でこうのべ、国政 進出でも「改革者」ポーズをとっています。しかし、その「改革」の果てにあ る日本の姿は、橋下氏が府知事、市長として主導した大阪府・市政の4年余の 実態からみえてきます。

《くらし・福祉総攻撃 障害者団体補助0円》

『知事時代 「大阪府は破産会社」と脅す』

「大阪府は破産会社」「(府職員は)破産会社の従業員」。2008年2 月、府知事に就任した橋下氏はこんな大ウソで府民施策への攻撃を始めまし た。

橋下氏は「夕張市と同じ」としましたが、大阪府が北海道夕張市のような 「財政再生団体」でも、それよりはましな「財政健全化団体」でもないことは 当初から明らかでした。にもかかわらず、橋下氏は、これを最大の宣伝材料に使 い、同年6月には「大阪維新プログラム案(財政再建プログラム案)」を発 表。人件費345億円の削減のみならず、私学助成の大幅削減、高齢者・乳幼 児・障害者・ひとり親の4医療費助成の削減、市町村補助金のカットを打ち出 しました。府民の反対署名は300万人を超えました。

このとき、橋下氏は“障害者施策は削れない”とテレビの前で涙まで流し、 「『障害者・命・治安』に配慮」(「朝日」)と報じた新聞もありました。し かし、実際には障害者8団体の団体補助をゼロにするなど障害者にも冷たいも のでした。

4医療費助成の削減は府民世論で現在も食い止めているものの、10年8月 の「府財政構造改革プラン」でも、府営住宅の当面1万戸削減方針など暮らし にかかわる施策の削減が打ち出されています。

中小企業予算も「大企業に頑張ってもらって海外にも競争力が持てるように なってもらわなければ、中小企業にお金をばらまいても意味がない」(10年 3月)という発想で大幅カット。07年度と10年度を比べると中小企業振興 費が5億円から2億円へ。商業振興費は17億1000万円から3億7000 万円へ実に5分の1に減りました。

府民施策の切り捨てをすすめた結果、橋下府政の3年9カ月で大阪の貧困と 格差はいっそう拡大しました。

07年に5・3%だった大阪の完全失業率は10年で6・9%になり、全国 (3・9%↓5・1%)以上のスピードで上昇。全国の企業倒産件数に占める大阪の割合 も14・6%(2059件)から15・6%(2073件)へ。10年段階の大阪の非 正規雇用労働者比率は全国が34・5%だったのに対して、44・5%に達しまし た。

《住民向け施策 104事業ばっさり》

橋下市長は今、大阪市で「市の行政サービスはぜいたく三昧(ざんまい)の状 況」などといって、3年間で548億円を削減し、104事業もの住民施策の 切り捨てに着手しています。5日に公表した市改革プロジェクトチームの「改 革」試案です。財政を口実にした知事時代と同じ手法です。

最大の特徴は、敬老パスの有料化から学童保育の補助金廃止まですべての世 代に襲いかかることです。

無料の敬老パスは、通院や社会参加の活動、買い物などにお金の心配なく出 かけられ、高齢者の生活を支えてきました。それを半額自己負担にし、どこで も100円で行ける福祉バスの運営補助の大幅削減をうちだしています。地域 振興会が担ってきたお年寄りへの食事サービスや「老人憩の家」事業への補助 金廃止など、地域のコミュニティーをささえてきたきめ細かな事業も切り捨て の対象です。

子育て世代に対しては、市民税非課税世帯からの保育料徴収、市独自の保育 料軽減措置の廃止、約2000人の児童の放課後の生活の場である学童保育の 運営補助廃止なども含まれています。

新婚家賃補助の廃止、障害者が健康維持のために安心してトレーニングやリ ハビリができ、スポーツに親しむ場となっている長居障害者スポーツセンター の廃止など、若い世代や障害者にも大ナタをふるっています。

ある地域振興町会長は、「橋下さんに反対ではなかったがこれでは地域の輪 が壊れてしまう」と怒ります。

《公約破り へっちゃら》

区民センター34も9カ所へ/敬老パス「維持」も有料化へ

「試案」では、市民・区民が利用する公共施設の廃止・統廃合も打ち出して います。

総合生涯学習センター(4カ所)、男女共同参画センター(クレオ大阪、5 カ所)などは全廃です。

区民センターは、34カ所から9カ所へ、屋内プールやスポーツセンターは 24カ所から9カ所へ、子育てプラザは24カ所から18カ所へと一挙に削 減。廃止後の施設は民間への売却などを盛り込んでいます。

これらの前提になっているのが大阪市を廃止する「大阪都構想」。まだ正式 な区割り案も示されていないのに、現在の24区を8〜9の「特別自治区」に 再編することがすでに決まったことかのように位置づけられています。

しかし、橋下・「維新の会」は昨年のダブル選で「大阪市をつぶすことはあ りません」「24区、24色の鮮やかな大阪市に変えます!」「敬老パス制度 を維持します」「大阪都構想は市民の皆様の生活を良くするための手段です」 と公約していました。ビラには「だまされないで下さい!」とまで書かれてい たのですから、これほどの市民だましはありません。

「試案」がもたらすのは「24色の多色豊かな大阪市」(橋下氏)どころ か、福祉バス運営費補助削減なども含め地域コミュニティーつぶしそのもので す。

敬老パスも「維持」(「物事の状態をそのまま保ちつづけること」『大辞 泉』)といいながら、半額負担を強います。これでは民主党の「消費税増税は しない」という公約の裏切りと変わりません。

「敬老パスを週2、3回通院に使っています。選挙で橋下さんに入れたけ ど、高齢者をいじめるなんてがっかり」「年寄りが気軽に出歩けるのも(福 祉)バスのおかげ。公約違反のだまし討ちや」。市民から怒りの声が噴出して います。

《交響楽や文楽補助金カット 「楽団員は営業やれ」》

「音楽技術がすばらしいなら、しっかりと営業(活動を)すべきだ」

橋下市長は17日におこなわれた市政改革PT試案の公開討論で、13年度 に「廃止」とされた市音楽団についてこうのべました。

市音楽団は国内唯一の自治体直営の吹奏楽団。選抜高校野球の入場行進の演 奏指導をしていることで有名です。市民向けイベントに出るだけでなく、市内 の中学・高校のブラスバンド部に演奏指導に出かけ、高い評価を得ています。 それをばっさり廃止し、団員も免職にしようというのが橋下市長の考え。

吹奏楽団だけではありません。世界的な指揮者・故朝比奈隆氏が結成し、半 世紀以上指揮してきた大阪フィルハーモニー交響楽団や人間国宝を抱えた文楽 協会への補助金も25%カット。橋下氏は全額カットを狙っています。

知事時代には、児童文学の「図書館の図書館」として国際的評価を得ていた府 立国際児童文学館を廃止(府立中央図書館へ移転)、府が創設した大阪セン チュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)への補助金廃止などを強 行しました。

歴史や文化があってこそ、住みたいと思える街になるはず。橋下氏の文化切 り捨て政策は、府民・市民への攻撃でもあります。

《《教 育》》

競争あおり管理・統制強める

■学力テスト公表めぐり「クソ教育委員会」発言

橋下氏は教育でも競争をあおり、管理と統制を強めています。

2008年9月、大阪府が全国いっせい学力テストの結果が2年連続低位 だったことをうけ「このざまはなんだ」と激怒。「教育非常事態宣言」を行 い、「ダメ教師は排除する」と述べました。

成績アップに必死にさせるとして市町村教育委員会に学力テスト結果の公表 を要請。府教委や市町村教委が「過度な競争と序列化を招く」との懸念から消 極姿勢を示すと、「クソ教育委員会」「暴走している関東軍」とののしり、開 示・非開示によって「予算に差をつける」と“どう喝”。最終的には一部をのぞい て公表に踏み切りました。都道府県が市町村別に結果を公表したのは全国で初 めてです。

橋下氏は、人格の完成をめざす教育の営みを「教育は訓練」「2万%強制」 とゆがめ、「国際社会はし烈な競争。日本の子どもたちにしっかり競争しても らう」(10年3月、日本共産党の代表質問への答弁)と、競争教育の推進を あらわにしました。

教育予算は橋下氏在任中の3年間で962億円削減し、非正規雇用の教員が 2835人急増し、1万0917人に達しています。

府が独自に配置していた府立高校の350人の非常勤職員の首切りを強行し (09年度)、「開かずの図書館」や実習・実験が減る事態が生まれていま す。「その一方、コンクールなどで成果をあげた学校には1000万円単位で ポンとお金を出し、超エリート校(10校)には特別に予算をつける。お金が ほしかったら『成果』を出せというゆがみをうんでいます」(志摩毅府高教委 員長)

■君が代条例は審議3時間 “守らないとクビだ”

2011年春の府議選で過半数を獲得した橋下氏率いる「大阪維新の会」が 真っ先に行ったのは、憲法に保障された思想・良心の自由を踏みにじる「君が 代」起立強制条例案の提出でした。選挙公約にもなかったものです。審議はわ ずか3時間ほど。主要会派がすべて反対するなか、事実上、「維新」の単独で 採決を強行しました。橋下氏は「議論の余地などまったくない」と、「維新」 の暴挙を当然視しました。

「ルールを守らない、不起立を続ける教員は懲戒免職にする条例をつくる」 という橋下氏の意向をうけて「維新の会」が次に出してきたのが「教育基本条 例案」「職員基本条例案」でした。両条例案は、教育に政治が介入し、厳罰化 で教育の内容と職員を首長が支配・統制するもの。昨秋のダブル選後に就任し た「維新の会」幹事長の松井一郎知事がこの2月府議会に一部修正して提案 し、「維新」、公明、自民の賛成で可決されました。

こうしたなかで今春、“異変”が起こっています。教員採用試験合格者のうち1 3・4%、308人の辞退者がでたのです。ここ5年間では最高です。「毎日」 は、「府議会で3月に『教育行政基本条例』と『府立学校条例』が成立したこと も影響したとみられる」と報じています。橋下流「教育改革」の矛盾が広がっ ています。

■私学助成削減 「いやなら日本から出て行け」

「私学助成を削らないで」と訴える高校生に向かって、進学が公立になるか 私立になるかは本人の自己責任だと突き放し、「それがいやなら、日本から出 て行くしかない」と暴言を吐いた橋下知事(08年10月当時)。08年度は 私学助成の削減、09年度には私立高校生をもつ親に対する授業料軽減措置の 縮小を強行しました。

ところが、民主党政権になって公立高校の授業料無償化が実施されると、一 転、私立高校授業料の無償化に踏み出しました。これは、私立高校生の保護者 に年収に応じた支援補助金を給付することにしたもの。

一方で、私学助成の総額は大きく減ったまま。私立高校無償化も、公私間の 競争促進が狙いだということを橋下氏は隠しません。「学校に切磋琢磨(せっ さたくま)してもらい、生徒が集まらない学校は退場してもらう」という橋下 流競争主義持ち込みの一環です。

橋下氏は、私学への運営補助金を生徒数に応じて出す制度に変更、7対3の 公私の受け入れ比率も弾力化しました。

これを受け、私学無償化2年目の11年度は生徒が私学に流れ、府立高校 (全日制)の4割弱の49校で定員割れとなる事態が発生。3月に制定された 府立学校条例で、3年連続定員割れの府立高校は統廃合の対象とされました。

ある府立高校では生徒集めのために約50の中学校を年3回訪問するなど、 公立私立ともに生徒獲得競争がし烈になっています。

《主な市民サービスカットの内容》

事業名 削減額 実施年度 ○敬老パス事業(3案)見直し (1)JR・私鉄に拡大、50%負担、上限2万円。 (2)市営交通限定、50%負担、上限なし。 (3)市営交通限定、年1千円〜2万円負担、上限なし。

50億円 48億円 14億円

13年度 ○上下水道料金福祉措置廃止 39億6600万円 13年度 ○新婚世帯向け家賃補助新規募集停止(18年度終了) 22億6300万円 12年度 ○国民健康保険料軽減見直し 一般会計からの任意繰入の見直し、市独自の3割軽減廃止、出産一時金の引き 下げ。 20億6700万円 13年度 ○保育料の軽減措置見直し 前年度分の市民税非課税世帯からも保育料を徴収する。保育料を全体として1 億5千万円程度引き上げ 1億5000万円 13年度 ○学童保育事業補助金廃止 3億4600万円 13年度 〇老人憩いの家運営費助成廃止 1億6300万円 13年度 ○コミュニティー系バス運営費補助削減 10億7300万円 13年度 ○大阪フィルハーモニー協会、文楽協会補助金削減 1億6200万円 12年度 ○区民センターの統廃合(34→9カ所) 3億8800万円 14年度 ○男女共同参画センター廃止 4億7600万円 14年度 ○市民交流センター廃止 10億5300万円 14年度 ○屋内プール統廃合(24→9カ所) 12億2300万円 14年度 ○障害者スポーツセンター統廃合(2→1カ所) 3億5100万円 16年度

《《府民財産売り払い》》

《売り飛ばし狙いWTC移転強行》

橋下氏は「世界と勝負できる大阪をつくる」と豪語。「小泉・竹中路線をさ らにもっと推し進めることが今の日本には必要」(10年6月8日)と述べ、 民営化と民間開放など新自由主義的「経済改革」を進めてきました。しかし、 その路線はいま大きな破綻に直面しています。

その象徴が大阪湾ベイエリアにそびえる西日本一の超高層ビル。大阪府咲洲 (さきしま)庁舎(旧WTCビル)。橋下知事(当時)が庁舎の全面移転をか かげて大阪市などから85億円で買い取ったものの、いまや無駄の象徴と化し ています。

府議会では、耐震性や人工島に建つ立地条件から「防災拠点になり得ない」 (日本共産党府議団)として09年3月と10月の2度、移転条例案を否決。 橋下氏との全面対決を恐れる自民、公明、民主3党の一部議員が“寝返り”し、別 提案のビル購入案が可決されました(同9月府議会)。このとき、自民党内の 移転支持議員が「自民党・大阪維新の会」を結成、「大阪維新の会」の前身と なりました。

府の試算では現庁舎(中央区)との併用で今後30年間にかかる府費は約1 200億円。部局の移転費用を含む96億円の返還を橋下氏に求める住民訴訟 が起きています。

咲洲地区を「関西の宝石箱」(橋下氏)といっていたにもかかわらず、第二 庁舎として移転後に同地区に進出した大企業はゼロ。経済団体も来ず、庁舎ビ ルからテナントの撤退も相次ぎ、空室率は52%です。

橋下氏は府職員約2000人の移動を強行。東日本大震災で大阪は震度3 だったにもかかわらず、庁舎は360カ所も破損、エレベーターロープのから まりで5時間にわたり職員が閉じ込められる事態となりました。日本列島を 襲った3日の暴風雨の際も「ふわふわと揺れ」(職員)、エレベーターが6基 停止。職員から不安の声がいっそう強まっています。

もともとWTC移転は大阪城に近い現庁舎の民間売却構想が発端。日本共産 党府議団の調べでは、橋下氏は就任後すぐの3月1日、不動産鑑定士に庁舎と 駐車場などの府庁の敷地の鑑定を依頼。同月末にまとめられた「報告書」には 売却額とともに大口投資家や外資、ファンド、ゼネコンなどの需要が見込める としていました。

「橋下氏は一等地を外資やファンドなどに売り飛ばすつもりだった」(日本 共産党の宮原威府議団長)のです。

橋下氏と「維新の会」はWTC移転の大失敗になんの反省もなく、ダブル選 後に設置した府市統合本部で大阪市の財産の切り売りや民営化をすすめていま す。

浄水場の売却で再開発を狙うが

水道の「経営統合」と称し狙われているのが柴島(くにじま)浄水場の売却です。 市水道局が新大阪の東にもっている約46ヘクタールの土地(甲子園球場の1 2倍)を再開発のために売り飛ばそうというもの。

しかし、採算性は全くありません。売って入るのは約700億円。出ていく のは、施設の撤去に約400億円。配管付け替えの設備投資に約3300億 円。約3000億円のマイナスです。

誰のために、どのような方向で進めているのか。特別顧問や特別参与のメン バーをみれば一目瞭然です。

特別顧問の中心には、大手コンサルティング会社「マッキンゼー」の共同経 営者だった上山信一慶応義塾大教授や堺屋太一元経済企画庁長官など「四天 王」と呼ばれる極端な新自由主義者…。他の特別顧問や特別参与にも財界・大企 業やグローバル資本の“代弁者”が目立ちます。

市営地下鉄は黒字でも民営化

市民の財産である黒字の市営地下鉄も民営化が既定路線に。橋下氏は4月か ら市交通局長に京福電鉄(京都市)前副社長の藤本昌信氏を据え、民営化に導 くよう指示しています。

市営地下鉄の民営化を協議するプロジェクトチームには、4月4日付で特別 参与に委嘱された関西の私鉄5社の幹部ら12人がずらり。南海電鉄の事業戦 略部長をはじめ阪急、阪神、京阪、近鉄と各社の現職の部課長らが名を連ねて います。

これには関西財界からも「経済界が提言していた民営化がやっと実現に近づ いた」(大阪商工会議所の佐藤茂雄会頭)と歓迎されていることが報じられていま す。(「産経」)

各氏の氏名・肩書一覧 野村修也・弁護士(特別顧問の任期は9日まで延長さ れ、現在は退任)、堺屋太一・元経済企画庁長官、上山信一・慶応大学教授、 原英史・政策工房社長(元渡辺喜美行政改革相補佐官)、古賀茂明・元公務員 制度改革推進本部事務局、高橋洋一・嘉悦大教授(元財務官僚、竹中元経財相 補佐官)、北岡伸一・政策研究大学院大学教授(元東大教授、元国連大使)、 石原慎太郎・東京都知事、竹中平蔵・元経済財政政策担当相(元総務相)、藤 本昌信・前京福電鉄副社長

《独裁・恐怖政治》

◆思想調査 一般国民標的に

「市長の業務命令」「正確な回答がなされない場合には処分の対象」―。 「市長 橋下徹」直筆署名入り文書を添付して始まったのが「労使関係に関す る職員のアンケート調査」。2月9日のことでした。

質問は22項目。回答は市役所のコンピューターネットワークを使用しての ものが大半で、順に答えないと次の質問項目に進めない仕掛けを施して質問全 部に答えさせる念の入れようでした。

質問内容は個人の思想信条にかかわるもののオンパレード。▽労組参加の有 無▽特定の政治家を応援する活動(街頭演説を聞くことも含む)への参加の有 無▽自主的参加か誘われてのものか―など。

「誘った人」の名前や「誘われた場所・時間帯」を問う項目もあります。 「誘った人」は「組合以外の者」も対象で、市職員からは「役所に出入りする 民間業者や、近所の人の氏名まで書くのか」といった声があがりました。これ はもう、一般国民を標的にした「思想調査」以外の何物でもありません。

日弁連会長など各界からの批判が相次ぎ、調査責任者の野村修也特別顧問は 4月6日、回収データを未開封のまま廃棄しました。それでもなお、橋下市長 は謝罪を拒否しています。

◆捏造リスト 開き直りの答弁

就任後から一貫して橋下市長は内部告発を奨励し、「目安箱」なる市長直結 の告発文書受付制度まで始めました。(4月12日現在で190通)

こうした“密告”奨励は「捏造(ねつぞう)リスト」騒動を引き起こします。 「大阪維新の会」の杉村幸太郎市議は2月6日、昨年の大阪市長選における市 交通局職員の“選挙関与リスト”を公表、「(リストは)交通局と組合が組織ぐる みで市長選に関与していたことを裏付けるもの」などと労組攻撃に利用しまし た。発表直後の同9日に、「思想調査」が橋下市長によって指示されました。

「捏造リスト」は交通局の嘱託職員(3月27日解職)によって作成された もの。市交通局の調査により3月26日、捏造が確認されました。

ところが橋下市長は同日、「議員が議会で取り上げるのは当然」と杉村市議 をかばい、4月2日の記者会見で議員の責任を質問されると、「それを言うな ら、委員会を全部非公開にしていいのか。そうすれば何も表にはでない」と開 き直りました。

◆公務員攻撃 「顔色うかがえ」

「職員が民意を語ることは許しません」。橋下市長は就任後の初の施政方針 演説(昨年12月28日)でこう言い放ちました。年が明けた年頭会見(1月 4日)には、市長選に関与した職員がいたとして「本当なら身分を失うところ だ。仕事があるだけありがたいと思え」と攻撃をエスカレートさせました。

府につづき、市でも教育・職員基本2条例制定をめざす橋下市長は2条例案 を議会に提出。職員条例案の審議では、「(市役所で)市長の顔色をうかがわ ないで誰の顔色をうかがうのか」と答弁。

2日の市新規職員発令式では、「みなさんは国民に命令する立場に立つんで す」「命令を出すなんて公権力をもったみなさんしかできない」などとのべま した。

公務員を「全体の奉仕者」から国民への「命令者」へ、その「命令者」を 「首長の下僕」にする―公務員攻撃をエスカレートさせる一方で、最悪の公務 員づくりに走っているのです。

◆「君が代」強制 口元をチェック

橋下氏は府市ともに「日の丸・君が代強制条例」を制定し、強制を強めてい ます。

府立和泉高校の卒業式で、橋下市長が府知事時代に年齢制限を大幅に下げて 公募採用した友人の校長が、君が代斉唱時に「口パク」チェック(歌っている 口元の調査)をしたことがニュースになりました。

不起立の教員が出た学校では、校長が保護者に「説明会」を開くまでに。父 母や生徒まで「君が代」が強制される重苦しい雰囲気がつくられています。

「口パク」チェックにとどまらず橋下市長は「君が代」を歌う姿勢まで問題 視するようになっています。

「先生たちは手を前に組んで休めの姿勢でうたっていた。なかには花粉症な のかマスクをした人もいた。これはちがう」(3月24日、維新政治塾開講式 でのあいさつ)

4月2日の発令式でも、橋下市長は「君が代斉唱の時は手は横、気をつけ」 と語りました。

◇ (この特集は、豊田栄光、藤原直、大阪府・小浜明代が担当しました)

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橋下「改革」の危険 4年の実態に見る