2015-11-06

ロイターコラム:潜在成長率回復を阻む「真犯人」=河野龍太郎氏

 2015年 11月 5日 18:35 JST ロイター 
 多くの政策当局者がケインズ流のシンプルな「所得・支出アプローチ」ばかりで政策を語るようになったことは気がかりだ。日銀のように「期待に働きかける」などと装いを新たにするところもあるが、総需要喚起という点では、基本的な発想は変わらない。問題は、こうしたモデルでは政策規模が大きくなるほど効果も大きくなるといった結論しか得られないことである。効果が現れなければ、それは政策が十分ではないということになり、規模ばかりが追求される。 私たちは、個人消費が弱いとか、設備投資や輸出が弱いとか、とかく総需要の低迷を問題にしがちである。しかし、そうした支出の弱さには、単に需要が低迷しているといった分析では捉えられない問題が潜んでいる。

 <円安誘導政策は内需部門への課税、輸出部門への補助金に等しい>
 1つの問題は、私たちの所得獲得能力(付加価値の生産能力)が低下していることだ。潜在成長率そのものが低下している。短期的には、借り入れや資産売却を行うことで、所得以上の支出は可能である。しかし、永久に借り入れを増やすことはできないし、資産を切り売りすることもできない以上、私たちの支出は平均的に見れば、所得の伸びに規定され、その所得の伸びは付加価値を生産する私たちの能力、つまり人的資本によって決定される。
 この人的資本については、マクロ的に見ると大きく分けて2つの問題に我々は直面している。1つは少子高齢化の影響で、労働力の頭数そのものが減少していること。もう1つは、平均的な労働者の生産性の伸びが足踏みしていることだ。これらは、金融緩和で資産価格を一時的にかさ上げしても、解決される問題ではない。
 むしろ、アグレッシブなマクロ安定化政策を行って総需要を刺激すると、ぬるま湯となり、現状を変えるインセンティブが働かず、現状維持が積極的に選択されるケースが少なくない。この議論は神学論争になるので止めておくが、問題はアグレッシブな政策の長期化や固定化が、資源配分や所得分配を歪め、潜在成長率そのものを抑制することだ。
 1990年代以降の日本では、個人消費の回復の遅れが常に問題だった。そして、内需が脆弱で、追加財政を永久に続けることができない以上、輸出主導の景気回復を目指さざるを得ず、その場合、個人消費の回復が企業部門に比べて遅れるのは止むを得ないとされてきた。
 2000年代以降の日銀の「所得・支出アプローチ」が典型だが、2012年末に始まったアベノミクスでは明確にトリクルダウン(浸透)政策だと説明された(金利低下や円安によって、まずは企業の業績が回復し、最後に家計の所得が増えて個人消費が回復するのだと)。
 2000年代の長期の景気拡大局面では、円安によって輸出数量は大幅に増加し、輸出企業の設備投資が増えるところまでは何とか到達した。しかし、家計部門の実質所得の増加までには至らず、個人消費の明確な回復も見られなかった。戦略そのものが間違っていた可能性が大きいのだが、政策は再検討されず、むしろアグレッシブな金融緩和で超円安を目指すという戦略が採用された。それが2012年末から始まったアベノミクスだが、今回は超円安にもかかわらず、輸出数量の増加というプロセスの最初の部分も達成されていない。

 「所得・支出アプローチ」に固執すれば、効果が現れないのは、政策の規模が十分ではないからであり、効果が現れるまで、さらに金融緩和を追求し、一段の円安に誘導すれば良いという政策提言につながる。しかし、この政策は、内需部門に課税し、それを原資に輸出部門に補助金を与える政策に他ならない。日本では、製造業に比べて非製造業の生産性の低さがしばしば問題にされてきた。しかし、製造業が良く見える理由の1つは、円安という補助金が与えられているからではないか。
 製造業の経済活動が活発となれば、経済全体における利用可能な経済資源は限られているから、非製造業は利用できなくなる。人々が欲するサービスを新たに生み出す成長企業が非製造業から現れないのは、円安誘導策の弊害ではないのだろうか。そのことは、明らかに潜在成長率の低下要因となる。また、魅力的なサービスが非製造業から提供されないため、そのことも個人消費の回復の足かせとなる。
一方で、超円安という補助金を受け取る輸出部門が投資プロジェクトを国内で増やすと、そのことは、極端な円安の下でしか採算の取れない生産能力を増やすことになる。リーマンショック前の極端な実質円安を背景に電機セクターが国内で過剰ストックを積み上げたのは、その典型例だ。収益性の低い資本ストックを増やすことが潜在成長率の回復につながらないことは明らかだろう。

<分配の歪みもGDP低迷要因に、問われるマクロ経済運営の目的>
 振り返れば2000年代半ばに実質円安という極端なカンフル剤が打たれなければ、電機セクターは経営判断を誤ることもなく、国内生産能力の拡充の代わりに、収益性の高い新規ビジネスに打って出た可能性がある。もし革新性やデザイン性、コンテンツに自信があるのなら、生産工程を全て外部化しファブレス企業に進化することもできた。電子機器の受託製造サービス(EMS)やファウンドリーに進化し、モノづくりで徹底的に勝負するという選択もあり得ただろう。
 過剰ストックを積み上げた電機セクターの苦境は明らかだが、経済資源を奪われ、成長分野の出現を阻害された内需セクターのデメリットについては、出現しなかったがゆえに、計測不能で忘れがちである。
 いずれにせよ、2000年代に潜在成長率が低下した理由は、単に労働力が減少しただけでなく、超金融緩和の長期化・固定化を背景とした超実質円安の下で、収益性の低い過剰ストックが積み上がり、生産性上昇率も低迷、その後の資本蓄積が滞ったことが影響したと筆者は考えている。
 このことは、2010年代初頭にはすでに明らかだったはずだが、こともあろうに2012年末に開始されたアベノミクスで全く同じ過ちが繰り返されてしまった。正確に言うと、過ちを犯したのは政策当局だけで、輸出企業は当時の電機セクターの失敗に学び、極端な実質円安が進んでいるにもかかわらず、誘惑に耐え、今のところ国内投資を積極化させていない。
 とはいえ、今回は問題が小さいとも言い切れない。確かに過剰ストックが積み上がるという資源配分の問題は観察されていないが、大幅な実質円安の進展によって、所得分配が大きく歪められ、個人消費の回復を明らかに阻害している。分配が歪められても、現象面としては国内総生産(GDP)が低迷する要因となる。
 前述した通り、「所得・支出アプローチ」に立つと、基点の輸出増を何とか達成しようと、景気回復が始まった後も、金利を低く抑え、円安に維持しようとする。それでも所期の効果が得られないのなら、アプローチが間違っていると考えても良さそうだが、さらにアグレッシブな金融緩和を行い、円安を助長したのがアベノミクスである。
 しかし、その結果、家計の実質所得が抑制され、個人消費はさらに低迷している。筆者は早い段階から懸念を表明していたが、2014年年初に経済が完全雇用の領域に入ったため、円安になっても輸出数量はなかなか増えない状況になっていた。経済が完全雇用に達し、円安になっても、輸出数量が増えていない以上、円安は単に家計から輸出企業への所得移転に堕している。
 所得制約に直面し支出性向の比較的高い家計部門から、キャッシュ・リッチで支出性向の低い輸出企業に所得を移転することは、一般論として、景気拡張的に働くと言えるだろうか。
 もちろん、輸出企業の業績改善を反映して株価は上昇しているが、日本では株式を保有するのは限られた富裕層であり、その支出性向も当然、一般の家計に比べれば相当に低い。インバウンド消費が刺激されているといっても、要は外国人に対して大安売りを行っているだけであり、その代償に食料やエネルギーなどの日用品購入に日本人が割高なコストを強いられているのなら、一体何を目的にマクロ経済運営を行っているのかということになる。

<円高アレルギーが市場メカニズムによる景気回復の波及を遮断>
 ケインズ流の「所得・支出アプローチ」の視点に立った政策は、資源配分の歪みが多少生じるとしても、数量増で未稼働資源が減少することによって、何とか実行が正当化されていた。数量が増えていなければ、こうした政策は資源配分や所得分配を歪めるだけで、全く正当化されない。個人消費が弱いのは消費増税の後遺症だけではなく、円安によって家計部門の実質購買力が抑制されているためである。原油安のプラス効果がなかなか現れない理由の1つも、円安がその効果を相殺しているためだ。

 「所得・支出アプローチ」に囚われていると陥りやすい誤りなのだが、起点の輸出増を促そうとする努力が、終点の個人消費の足を引っ張ってしまう。新古典派的なメカニズムで考えると明らかだが、本来、景気回復が進めば、金融市場では市場金利が上昇し、そのことによって為替市場では円高圧力が生まれる。景気回復で短期的な自然利子率が上昇し、為替の均衡レートも増価するのである。そして金利上昇は家計の利子所得を増やし、円高は輸入物価の低下を通じ実質購買力を一段と改善させる企業部門が改善すれば、その恩恵は家計部門にも当然広がっていくが、その経路は雇用者所得を通じたものだけでなく、金利上昇や円高を通じたメカニズムも存在する。
 しかし、輸出への悪影響を恐れ、我々は、いつまでも金利上昇を回避し、円高を回避しようとして、市場メカニズムがもたらす景気回復の波及を遮断してきた。家計部門を痛めつける政策を20年も続けているのだから、個人消費が回復しないのも無理はないだろう。2000年代の長期の景気拡大局面において、企業部門は相当に潤ったが、家計部門への波及は限られていた。今回も、企業業績は大幅に改善しているが、家計部門は利子所得の上昇や円高を通じた実質購買力の改善を全く味わうことなく、いずれ後退局面を迎えるのだろうか。
 ゼロ金利政策や大量の国債購入政策、それらがもたらす実質円安を前提にした経済主体が増えれば増えるほど、収益性の低いビジネスばかりが増え、我々はますます、低成長から抜け出すことができなくなり、結局、政策も終わりを迎えることができなくなる。日本だけのストーリーとして終わるのだろうか。あるいは、この問題でもまた日本がフロントランナーとなるのだろうか。

*河野龍太郎氏は、BNPパリバ証券の経済調査本部長・チーフエコノミスト。横浜国立大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)に入行し、大和投資顧問(現大和住銀投信投資顧問)や第一生命経済研究所を経て、2000年より現職。