2011-03-02

リビアとソーシャルメディアとジャーナリスト

リビアでは反政府運動が始まって以来、当初から政府側による厳しい弾圧があって報道記者もほとんど入れない厳しい状況でした。
従って従来型のメディアからの情報は絞られていました。
しかし、細々ではありましたがTwitterやYouTubeなどによって動画を含む一次情報が様々な人から世界へ発信され続けていました。また電話などで得られた情報もTwitterを通して広く発信されました。
ジャーナリストが取材した情報も、直接Twitterで、またアルジャジーラやBBCなどのWEBを介してTweetされました。

タハリール以後、私たちはそれまでと随分ちがった仕方で世界の出来事を見ている気がします。
断片的な一次情報は事後的に検証され、訂正されなければならないことも少なからずあるかも知れません。スピンも充分に警戒されるべきでしょう。
でもソーシャルメディアから得られた情報は、一つ一つは断片であったとしても多面的に即時的に発信され、直接的に受信されると共に、ソーシャルメディア空間の中で多面的に検証されつつ、interactiveに受信されかつ発信されます。

事実がエコーによって散乱されるのではなく、焦点が定まっていくように私には思えました。

既存のメディアによる情報の流通では避けられない、編集フィルター(紙面作りやニュース構成、言葉遣いやしぐさ、を含め)を通さずに、直接的・多面的・即時的に情報が届くと云う新しい地平に私たちは立っているのだと思います。

日本では面白いことに、ソーシャルメディアに集う人々はツイッターとツイッターをポータルにした諸外国の報道機関から情報を得て出来事を把握し、事後的にマスメディアの報道の検証をしているように見えます。既存のマスメディアの情報などほとんどアテにはしなかったし、そのタイムラグもまた決定的でした。 
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情報面においてタハリール革命との違いは2つ
1)アルジャジーラのダダもれライブがなかったこと
2)優秀な多数のジャーナリストがいなかったこと

私はあのアルジャジーラの固定カメラの映像がとても印象的です。ほかの編集された映像よりずっと私たちにタハリール革命の実相をリアルタイムに体験させてくれました。あの映像をエジプトから遙か遠い地点から見ている我々は不確定な事実だからこそ、ある種の判断を常に迫られていました。日本の新聞やテレビによるお仕着せの観点に汚されることがなかったのです。
(アルジャジーラの視点でアルジャジーラの編集の枠組みで見ていたことも忘れてはならないところではあります)
映像の影響力は圧倒的です。私たちの認知はそこに縛られていると云っても良いくらいです。その映像をいつでも見ることができた。映像によって真偽を確認することが出来ました。

二番目はタハリールで(私には)初めて知ることになった勇敢で沈着冷静かつ判断力に富んだ多くのジャーナリストが現場にいてくれた。彼らはプロの判断に基づく事実を知らせてくれました。
彼らがいないとさすがに私たちは不安になる。ベクトルの違う細切れになった情報が様々な方向から飛んでくると整理さえ出来ないし、真偽の判断はもちろん心許ないのです。

by manomasumi