2011-03-01

NAFTA 11章 投資保護の問題

http://goo.gl/QaBjA     (投資に関する部分抜き出し)

CREP 地域主義比較プロジェクト
第9回月例公開セミナー「国家主権と地域主義」 2006.2.21
佐藤義明氏(広島市立大)
「NAFTAの合衆国憲法適合性:法化における"precision" と"delegation"」


 まず、第2の点、すなわちNAFTA第 11 章ですが、これは投資を保護する規定でありまして、NAFTAのある加盟国の国民が他の加盟国に投資をするという場合には、その投資に関して投資受け入れ国からの侵害があった場合には、強制的な仲裁に付託することができるということを規定している章であります。たとえば、合衆国の企業がカナダの環境規制が緩いということで、合衆国内であれば環境規制にひっかかって設立することのできない工場をカナダにおいて設立した。その後で、カナダの国内で環境保護運動が高まったがために、カナダが環境規制を厳しくして、その会社が工場を運営することができなくなった。これが、投資の保護との関係でどうなるのかということが、この第 11 章で争われることになります。
 現在では、投資家の保護が他の公益との関係でかなり厳しく運営されるようになっていますけれども、NAFTAが締結された初期には、投資をどこまで保護すべきであるのかということがかなり不明確でありまして、投資をした企業を過剰に保護するような方向にその仲裁廷が先例法をつくっていくのではないかという恐れが出ました。先ほど例に挙げたのは、エチル事件という事件のかいつまんだご紹介ですけれども、合衆国の会社がカナダに対して仲裁を申し立てた際に、この仲裁廷が管轄権を肯定した時点で、カナダはその会社と和解することを選びました。その際には、何億ドルという高額な和解金を支払うことになったわけであります。
 そうしますと、カナダ国内の環境保護運動を進めている人々からいたしますと、環境を保護するためのカナダが主権を行使して環境基準を決定をした際に、なぜそれによって汚染物質を生み出していた外国企業に和解または場合によってはNAFTA上の補償金を支払わなければならないのか、という疑問が生じてくるわけであります。そのような中で、ある意味では"delegation"の行き過ぎが問題視されることになる、つまり強制的仲裁を制度化することによって、その仲裁人となる国際経済法の専門家がNAFTA当事国の意思をも超えて投資を保護することになりかねない状況が主権に対する不当な制約として問題視されるに至るわけであります。

 このような仲裁裁定に対して、加盟国側からの対抗策が出まして、それがレジュメにご紹介いたしております 2001 年7月 31 日付けの「北米自由貿易委員会解釈ノート」であります。先ほどのエチル事件のように、投資の保護という名目で環境規制などが十分発動できないなど、お金を払わないと公益上必要な国内法制を整備することができないという状況に立ち至ったところで、この自由貿易委員会という、NAFTAの解釈に関して法的に拘束的な決定をすることができるNAFTA当事国の貿易担当閣僚で構成される委員会が、その投資の保護の水準については国際法の最低基準にする」という解釈ノートを出したわけであります。NAFTA上の投資保護が環境規制などさえも不可能にするほどに高いものではないということを加盟国の側が決定するという”precision”を進める措置ことによって、NAFTA第 11 章上の強制的な仲裁の仲裁人たちがつくり上げようとしていた先例法に、一定の歯止めをかけたわけであります。
 これは、ある意味ではNAFTA加盟国が"delegation"を受け入れ過ぎることによって、それらの国自身が予想していなかった効果が現れたことに対して、それら国の側が主権を行使して、”precision”を操作することによって、その効果に対してコントロールをかけたという事例であったということになります。
このNAFTAの強制的仲裁の先例というのは、その後に国々が投資保護協定を締結する際に、同じような強制的仲裁の制度をとるべきなのかという議論を引き起こしました。たとえば、最近のアメリカとオーストラリアの間の投資保護協定においては、NAFTA型の強制的仲裁の制度が意識的にとられないことになっております。したがいまして、ここに一つの主権委譲コスト、"delegation"のコストに関するせめぎあいが見られるであろうと考えます。

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