2011-05-16

1号機メルトダウンは3月12日早朝 東電発表

枝野長官や東京電力は、フリーランス記者達が当初から指摘していたにもかかわらずこれまでメルトダウンについて認めようとせず「燃料損傷の可能性」などとごまかしてきたが、5月15日の東電記者会見において地震の翌日3月12日の早朝(6:50)にはほとんど全ての燃料が溶融し圧力容器の下部に落ちてしまうメルトダウンを起こしていたと発表した。
左図:3/12-15:36    右図:3/14-11:01
従来燃料棒の半分は水面下にあるとしていたが(-1700mm)、この発表によると地震後(東電はどうしても『津波後』にこだわるが)時をおかずに水位が急激に低下し、燃料棒が水面上に露出すると共に炉心温度も急上昇した。
今まで東電が言ってきたイメージとは違い、炉心温度が被覆管(ジルコニュウム)が溶け出す1100℃から燃料ペレット融解温度2800℃まであっという間に駆け上がり、震災当日20:00には燃料溶融が始っていたことになる。




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もし東電や官邸がこのデータや状況を本当に隠していたのではなく、判っていなかったとしたら…。しかも余人には容易に想定できたこの事態を想定外としていたら…。いやいや、当事者が知らなかったことなど、専門家としての能力や当日の資料(当ブログ記事LINK …これは2号機の例だが)からしてもありえない。
とすると、データ解析及び事前想定の一番確度の高いストーリーを国民に知らせなかった官邸の罪は重い。漸次的避難区域の拡大や炉心への海水注入のおくれなどを、原発事故対応が的外れあるいは少なくとも後手にまわった要因だろう。

今からでは初期の放射線汚染を取り返すことができないが、日本としての最高能力を発揮できるだけの対策司令部の再構築を急いでほしい。

東電資料 LINK

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