2012-04-06

アンチテーゼとしてしか表明されない市民の意思


なぜ私たちは、容易に政府の広報にやられてしまうのだろう。

原発再稼働問題については政府の結論は最初から決まっているのに、ストレステスト評価などの節々のイベントに対しての、枝野大臣の世論迎合的なコメントにガス抜きされ、藤村修官房長官の政府の本音を垣間見せる非妥協的コメントに腹を立てつつ、落としどころはここだなと自己の洞察に密かに満足する。
そのようにしてまんまと政権の世論誘導にのせられている。
政策と政府への批判は、脱原発に舵を切るかも知れないという淡い希望に鋭さを鈍麻され、政権によってスケジュールされた日程に同調することで常に後手に回ることを強いられている。批判を徹底する機会を奪われ政権の思惑の中に市民の意思は回収される。

(たとえ誤りであったとしても)正のベクトルへの遂行的な言明は常に政権の側にあり、アンチテーゼとしてしか市民の意思は表明されない。(たとえ正しくとも)<脱、反、阻止>+<テーマ>… 。このようにパターン化されたスローガンに収斂されうる言葉に、政権側の遂行的言明を乗り越えるポテンシャルはない。

そしてこれから使われる政府の素材が、北朝鮮の衛星打ち上げだ。この惑乱材料でメディアの紙面と時間を乗っ取り、重要なテーマをバックグラウンドに後退させあるいは隠蔽する。市民にショックを与えて世論を現状維持や保守的立場に誘導し政府支持を取り付ける。

原発、消費税増税、TPP…が危ない。

結論はそんなところにもっていけば、これもまたアンチテーゼに過ぎない。市民は市民のマニフェスト、近未来を描くデザインを持たなくては、と思う。

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