2012-12-21

『グローバリズムという妄想』ジョン・グレイ

" False Dawn " The Delusion of Global Capitalism. Published in 1998
John Gray

□□1.大転換からグローバル市場への道程

□1800年代19世紀の英国
・経済生活を社会的・政治的支配から解放する実験が行われた。(レッセフェール=自由放任主義)
・それまで経済活動は、社会的制約や規制の中で行われてきた。ヴィクトリア王朝の中期、社会的必要とは独立して動く、自由市場が登場した。『大転換』"Great Transformation"と呼ばれる。

・現在のアメリカは、多様性から単一の原理=普遍性へと向かって文明が進歩していくとする啓蒙思想理論にその政策の基礎をおく、最後の大国である
・「ワシントン・コンセンサス」(世界の政治的首都であるワシントンで形成されるアメリカ主導の合意)によれば、「民主的資本主義」は全世界に受け入れられなければならないし、グローバル自由市場が現実になる。単一の全世界に行きわたる自由市場のことだ。
・この哲学に動かされている多国間機関は、世界中の経済活動に自由市場を押し付けようとしてきた。それを追い求めることは、すでに大規模な社会的混乱と経済的、政治的不安定を生じさせている。
・アメリカでは、他のどの国よりも家族が弱体化しており、社会秩序は大量の人間を刑務所に収容する政策によって保たれている。
・自由市場は、アメリカの国民の多数が与ることのない長期的な経済ブームを発生させた。不平等が拡大している。
・文化帝国主義という点において、共産主義とグローバリズムは共通の性格を持っている。理性と効率への信仰、文化的多様性の否定、拡大主義(囲い込み)。
・グローバリズムはユートピである。(=幻想的理想社会)
*グローバリズムは誰もが信じることができないのに、そこへ進んでいく「大きな物語」だ。人々の夢を破壊することによって現実化する世界。
*大政翼賛2.0の目指す理想社会は、中央権力が世襲化した共産中国だ。人々の基本的人権を認めず、公益性を上位におく、自民改憲論の目指すところは共産中国だ。国防軍を創出し、事あれば戦争で決着をつける。民族意識を煽り隣国への嫌悪感を醸成する。経済的自由主義プラス強力な中央政府。

・グローバル経済には、世界の多様な社会と不均等な発展から起きる社会的緊張を和らげるものが存在していない。資本と生産の急速な移動、カジノ化した通貨投機

□ヴィクトリア朝初期の自由市場の創造
・レッセフェール・自由貿易・工業化が同時に起こった英国は特異な存在である。
・レッセフェールは大規模な国家干渉によって行われた。19世紀のイギリスの自由市場の前提条件は、共有地を私有財産に転換するために国家権力を用いることだった。(*囲い込み。大地主への移行)
・囲い込みの手順を最終的に支配していたのは議会だった。公式には、地主が議会の法令によって囲い込みを行った手続きは公然たるものでかつ民主的ということになっていた。囲い込みは、イギリスの田舎を見分けがつかないほどに変貌させてしまった。
・束縛のない市場は民主的な政府とは両立できない。

**安倍自民党的な「自由と民主主義の目指すもの」:①自由主義的にに弱者や生活福祉を切り捨てる。②自由主義的に社会の共有財産を、私的大企業に売り渡す。③民主的に基本的人権を葬り去る。④民主的に大政翼賛体制=独裁制を作り出す。*

□穀物法の廃止(1846)と救貧法の改正(1830)
・穀物法の廃止は自由貿易主義者の勝利であった。
・救貧法は、救済の受給に極めて厳しく屈辱的な条件をつけることによって、受給者に恥の気持ちを持たせた。個人は自らの福祉について全面的に自分に責任があり、コミュニティーは責任を共有しないことになった。救貧法の規定する受給条件は、市場が決定するいかなる最低賃金を上回ってはならないし、夫、妻、子供を強制的に別れ別れにした。困窮状況から抜け出すことを不可能とし、困窮者を固定化した。救貧法の支給条件は、市場の最低賃金の引き下げに貢献した。

*失業率を高止まりさせることとの合わせ技があれば、労働条件と賃金の切り下げは容易に達成できる。
*自由市場社会は、自由主義的なイデオロギーに支えられた、市場による選択を社会の原理的基準だとする社会の特異な一形態にすぎない。自由主義社会は、
社会のあらゆる領域を市場領域の中に取り込もうとする。

・カール・ポランニーによれば、市場社会が出現したのはシステマチックな政治的介入という人為的なものを通じてである。
・多くのヨーロッパのどの国とも違って、固定した農村生活は普遍的ではなく、イギリスにはほとんど見られなかった。家族生活も近代以前の大家族よりも今の核家族に近かった。(*歴史的な発展段階というよりも、アングロサクソン固有の家族形態かもしれない。②都市化された文化的多様性の文化だ。)

・一回目は十九世紀のイギリスのパラダイムの中であり、二回目は今世紀の80年代、イギリス、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドにおけるネオリベラル政策の結果としてである。
・これらアングロサクソン系国家は、農村個人主義の文化と経済が工業化に先立って存在した社会だった。

・グローバルな自由市場を構築しようとする企てにおいて、市場のゲームのルールは民主的な討議と政治的な修正から遮断されなければならない。民主主義と自由市場は互いに敵対するのであって、味方ではない。
・資本主義が自由市場を意味するものであるならば、「民主的な資本主義」という言葉は矛盾に満ちている。

□十九世紀に市場経済を作り出すのに必要とされた立法についてのポランニーの説明
>>何者も市場の形成を妨げることは許されない。物の販売以外の方法で所得が得られることも許されない。価格ーー財であれ労働であれ土地であれ、あるいは貨幣であれーーが市場の状況変化に適応する事にも干渉があってはならない。したがって、産業のすべての要素に市場がなければならないだけでなく、これらの市場の行動に影響を及ぼすような手段や政策は容認されてはならない。価格も供給も需要も規制されてはならない。市場を経済活動の分野で唯一の統合力にする状況を作り出すことによって市場の自律力を確保するような政策や手段だけが必要なのである。>>

□□2.国家が構築した自由市場
□サッチャリズム
・パートタイム労働と契約労働が激増した。多くの低水準技能労働者の賃金水準は家族を養う最低限を下回り、妻=家族を低賃金パート労働者として働かせざるを得ない状況が出現した。
・同時に福祉受給資格は一律に制限され、失業保険受給者を(惨めな)福祉受給におちいる前に、たとえ低賃金であろうと非正規であろうと、職に就くように追いつめた。
・家族のうち一人も仕事のない所帯が'75年の6.5%から'94年の19.4%へと増大した。
・治安の悪化 '70年重大犯罪件数160万件▷'92年560万件。
・格差の拡大 '77年から'90年にかけてどの国よりも早く不平等が拡大した。

*ネオリベラリズムにとって国民国家とはなになのだろうか。国家像とは何なのだろうか。保守主義的な心情において、文化的伝統は尊重されるべきものとされ、民族国家としても社会秩序維持のためにも国家は重要視されるが、新自由主義的な経済政策において、政府はできる限り小さく不干渉なものであり、グローバリズムにおいて経済だけでなく文化も社会も国際的に開かれていることが理想である。とすると、国家像において、ネオリベラリズムは引き裂かれている。

*グローバル化は国民文化の分裂・解消を促進する。(もちろん経済のグローバライゼーションだけでなく、技術の進展がグローバライゼーションを加速している。

□ニュージーランド
・ニュージーランドのネオリベラリズムは、かつてこの国に存在したことのなかった下層階級を生んだ。世界でもっとも社会民主的だった国がネオリベラリズム国家となった。
・ニュージーランドの構造改革は、政治の内部から起こったのではない。公務員の間から=財務省によって生み出された。
・この政策は'84-'90は労働党政権において、それ以後は国民党政権によって実施された。
・全国的な団体交渉制度は、民間部門のみならず公共部門においても市場決定的で個人主義的な労働市場が作り出された。物価安定だけを唯一の目標とする独立した中央銀行が創設された。
・国家は雇用水準へのいかなる責任からも自由になった。マクロ経済政策は国家の手からはずされた。
・公立病院は私企業に転換され、医療サービスは民間との競争にさらされた。学校は教育サービス料金を徴収するようになった。国のサービスのほとんどは、私企業に売り渡され、福祉機能は縮減された。警察、裁判所、刑務所のための予算は伸び続けた。
・完全雇用状態が終わり、失業者が増加したことと同時に福祉給付が後退した。必要とされるときに、必要とされるものが姿を消したのである。
*日本における生活保護の切り捨ては現在の受給者への攻撃を表向きの理由にして、近い未来に増大する困窮者を標的にしている。必要なときに、必要なものが社会から消え去るように、準備されているのだ。
・福祉制度が勤労意欲を失わせた結果、貧困層が生じるのだというのが、新自由主義者の主張である。福祉国家は勤労者にモラルハザードをもたらすという法則が信じられている。
**バブルに至る日本のサラリーマンは、毎日残業にあけくれ有休さえもろくに取らないほど働き蜂だといわれた。十分に福祉国家であったし福祉充実を目標としていた。彼らのことをモラルハザードに見舞われた勤労意欲のない労働者だとでも言うのだろうか。
 現在の労働者は長く厳しい就活を強いられ、労働法の改悪によって労働市場はかつてより、より競争的だ。ところで、勤労意欲は向上したのだろうか?
 モラルハザードは、救済が必要な貧困層の切り捨てに走るものたちにこそ起きていると云わざるを得ない。

*おそらくこのニュージーランドの政策は、シカゴ学派のミルトンフリードマンの学校から生まれたものだ。この推測はほとんど確実なものだと思う。
またこのプロセスが社会民主主義的な政党=労働党政権によって行われたことは示唆的である。改革を訴える新自由主義者は社会民主的な政党とも親和的なのだ。すなわち日本民主党のうちに、巣くうことなど容易いことなのだ。

民主的な責任=アカウンタビリティー

・何よりも決定的だったのは、ニュージーランド経済を規制なき資本の流れに開放するという改革の結果、国際資本に公共政策に対する実質的な拒否権を与えたことである。公共政策が競争力、利益、経済的安定性に影響をもたらすと国際資本に認識されたら、どんな場合にも資本の逃避という脅しによってその政策は撤回されかねない。ネオリベラル改革は後戻り不可能なものとして認識された。
・社会民主的な目標は、解消・放棄あるいは逆転されたが、それらは民主主義的な選択のもとにおこなわれたのだ。
・すべての政党がばらばらになって溶解した。保守の国民党は国家主義政党と連立することによって政権を維持する道を選んだ。
*日本でも政党がバラバラに分裂し、民主党は溶解した。総選挙において阿倍自民党が圧倒的な議席を獲得したが、得票を詳細に分析するまでもなく、投票結果は政治はまとまりを持たなくなったことを示している。安定政権をもたらすことはない。

□メキシコ
・メキシコは新自由主義者のショウウィンドウだった。NAFTAの加盟国であり貿易相手として生産センターとしてアメリカにとって大きな位置を占める。カナダより下で日本より上。
・メキシコにおいてネオリベラリズムは、経済的にも何ら成果を得られなかった。

□□3.グローバリゼーションの虚実
・グローバリゼーションは類のない状況でも、線形の課程でも、社会変化の最終点でもない。
・EU諸国は互いの文化のどんな側面よりもハリウッド映画から吸収するイメージの方をより多く共有している。東アジアでも同じである。

*このことは奇妙なことではないか。日本人は隣国である韓国や中国よりも、太平洋で隔てられたアメリカのイメージをよほど多く共有している。アメリカから日本への像はどうであるかは分からないが…

・国内価格は、ローカルな要因で決まるよりもむしろ、グローバルな要因でグローバル市場の変動に影響されて決まる。

**限定性・希少性が「市場」の根拠。希少資源をいかに合理的・効率的に配分し経済活動に供するか…が、(市場)経済学のテーマである。資源が限定的・希少である都いうのは、ある種の思い込みではないのか。エネルギーであれば、自然エネルギーに限ってもシェールガスが採掘可能になっているしその他の代替エネルギーも立ち上がってきている。鉄はプラスティックに代替されてきている。長らく貨幣価値の基準となった金は、間違いなく思い込みの産物だ。これらのことは根底から疑って見たい。

・*著者はグローバリズムの世界でも、その経済形態はグローバルに単一化されるというよりは様々な変種を生むと考えている。特に中国は文化的伝統の長さからも、アメリカ型の経済形態とは違ったものとして存在可能だという。
>>華僑が形成したファミリー・ビジネスモデルは、本格的な別種のモデルであり…フィリピンでは華僑はわずか人工の1%を占めるにすぎないが、株式市場の半分以上を握っている。インドネシアでは4%に対し75%、マレーシアでは32%に対し60%である。1996年時点で5100万人の華僑は7千億ドル相当の経済を支配しており…▷中国華僑はグローバル経済が始まるより前から国民国家に縛られないグローバルな存在である。

□1900年前後のグローバリゼーション
・当時のグローバル市場の技術的基盤は、大陸間海底電信ケーブルと蒸気船だった。それ以降世界の港は互いに結ばれ、多くの商品について世界価格が存在するようになった。
□多国籍企業
・多国籍企業の成長と力は巨大であり…多国籍企業は世界生産の三分の一を占め世界貿易の三分の二を占める。'93年の多国籍企業の生産はアメリカ合衆国全体の生産にほぼ匹敵する。
・今日の多国籍企業は生産過程をバラバラの部分に分け、世界中の様々な国に配置することができる。国内状況に依存する必要はかつてなく低くなっている。労働市場・税・規制・インフラストラクチャについて自由に選べる。直接的には投資と撤退の選択による脅しによって、間接的には(金と人と情報のネットワークを背景にする)政治力によって、多国籍企業は国民国家の政策を左右する力を持っている。

**
*'90年代は多国籍企業が経済の主役であったが、今や金融が経済の主役である。多国籍企業=生産複合体から金融資本は権力関係を逆転させた。いや正確には、主役としての姿を隠さなくなったと言うべきかもしれない。
*生産複合体としての多国籍企業がグローバル市場の主役であるとすれば、ローカルな多様性に縛られる、あるいは積極的に評価すれば、アンカーをおろし独自の色に染められることもあるだろう。しかし金融資本は、情報・金融工学の進展によってバーチャル空間にその活動領域を移したこともあって、その基本的な性格=抽象性にさらに磨きをかけた。単一の普遍性を持った=モノクロームなグローバリズムの世界を実現したのだ。金融バーチャル世界において国民国家が再び国境の壁を築けるかどうかは、金融取引税が実行性を持つかどうかに見ることができるだろう。

**グローバル市場経済におけるリスク(確率的に把握可能とは云うものの)と不確定性は、なぜこれほど深刻なのか。市場の自律性に任せればいいなどと云う言い草は戯言(たわごと)だということは明白だ。

・アメリカの企業でさえも、グローバルな性格を持つと云うよりもアメリカ的文化・価値観・組織形態の固有性をもっている。(と著者は云うけれど…)

*TPPの日本加入については、米国内の政治的反対はきっと大きい。NAFTAというアメリカと名が付いた隣接地域との経済協定でさえ、アメリカ国内では政治的反対が強かった。産業先進国である日本とのTPPは、経済規模が小さくまた植民地としての性格がより強い韓国とのFTAとは違う。

・*企業内でも仕事はパッケージとしてバラされ外部化(外注)されるとともに、残された内部の業務の多くは非正規化・パートタイマー化されている。正規従業員の中核社員はごく一部分で済ますことができるのだ。ダウンサイジングはもちろん中間管理者に及んでいる。企業が負担してきた社会福祉コストは年金積み立てが個人のものに移し替えられるなど、コストの切り詰めが行われている。

・多国籍企業が生き残ることができるのは、新しい技術を使ってライバルに対して競争上優位に立つことのみによってである。
(*という風には思わない。知的所有権や資力を使った同類企業や消費市場の囲い込みによって、独占力を構築したものが長らえ、利益を享受することができる。そのような仕組みを作れるのは、ユダヤ人(ユダヤ的知識技術とユダヤネットワークを持ったもの)のみだ。)
・多国籍企業がライバルに対して決定的な優位を獲得できる源泉は、新しい技術を創造し、それを有効に使う能力である。企業がどのように知識を蓄え生み出すかにかかっている。新しい知識を獲得し活用できない企業、従業員の間にある暗黙の知識の蓄積を無駄にし、従業員が新しい知識を身につける意欲を起こさせないような企業はすぐに衰退するだろう。

□□4.新しいグレシャムの法則 グローバル自由市場はどのように最悪の資本主義に行き着くのか

・ソ連崩壊の後、中央計画経済と資本主義におの競争は、様々な異なった種類の資本主義ーーアメリカ、ドイツ、日本、ロシア、中国ーーの間の競争に取って代わられた。(*当たってる?)

・*社会的共有資本や環境維持・社会福祉コストを負担することから免れている多国籍企業は、競争条件において有利である。税負担もそのように考えられ、負担回避策が政治的・会計的に行われる。国民経済(経世済民)からみての良貨は、悪貨に勝てない。

・社会民主主義とグローバル資本
*グローバル資本は為替管理権を国民国家政府から奪い取ることによって、①為替取引をカジノ化する事。②各国政府財政政策・中央銀行通貨政策への攻撃の武器とすること…が可能となった。国民国家の財政政策・通貨政策をコントロールする事が可能となった。
*為替取引は『国際通貨市場』と名を変えた。

*社会民主主義政策とは、端的に言えば国民に対して文化的生活を営むための福祉を提供する政策である。国民とは、改めて云う必要があるが、国境に囲まれた地域に住まう住民のことである。グローバル資本は国境を越えて自由に移動できる存在であり、国民とは、存在の根拠と有り様において、ちがう。グローバル資本は経済活動で得た利益に対して、国境を越えて移し替えることができ、あるいは経済活動に対して税や規制などの負担の少ない地域へ資本を移動させることができる。いまや企業にとって負担回避行動こそが合理的行動なのだ。倫理の介入する余地はない。短期的利益追究の行き着いた先である。社員に酬いることや地域への貢献は省みられることはない。20世紀の日本企業とは、もう違うのだ。それらは、できるだけ回避すべきコスト負担だと認識するに至った。企業・資本家と従業員が敵対的に対峙するマルクスの時代に時計は巻き戻された。

(社会民主主義政策が考慮の対象となるのは、さすがに著者が欧州に近いところ(英国)にいるおかげだ。アメリカ人著者とは違う視点だ)

*グローバル企業が自由に振る舞うことによって、経済活動が効率的になることさえ絵空事だ。神の見えざる手ではなく、悪魔の見えざる手が動き出しているのだ。経済功利性+短期利益追及の行動基準がグローバルに行き渡ることによって、また、国民経済の隅々に浸透するによって、国民の経済・雇用と生活(教育・環境・治安・文化的生活)が脅かされ破壊されつつある。

*グローバル金融資本の力は強大となり、メキシコや東南アジア諸国という経済的に脆弱で規模の小さい国ではなく、G7大国であるイタリアやスペインに対して緊縮財政政策を押しつけるまでになった。怪しげな民間格付け機関のレーティング操作によって、一国の政府債務の利率が跳ね上がる。金融機関の信用収縮が国際的な広がりをもっておこる。支配し利益を享受し、負担を押しつけ、同時に制御できないリスクを拡散強化する。


□グローバル自由市場vsヨーロッパ社会市場
『社会市場経済』:自由市場経済に対する言葉
・ドイツ 企業統治にステークホルダーを参加させるーー従業員・地域社会・銀行
株式会社よりは有限会社が主要であった。銀行による間接金融が大きな位置を占めていた。

*株式市場と為替市場の開放・自由化こそが新自由主義経済=市場原理主義のグローバル化の要石である。その空間が、金融資本が侵入し膨らませ、他の経済活動を随伴・服従させることができるコマンディングハイツであり、(ユダヤ)金融資本家が他の金融資本家に比べても、もっとも得意で自由に動き回ることができる場所である。

・ドイツモデルという独自の経済形態は、将来にわたって形を変えて、活かしていけると著者は云う。
・外国への進出による外国人雇用者の増大が、ドイツ国内の労働者の地位へ影響を与えている。

□□5.アメリカとグローバル資本主義のユートピア
アメリカの国民的な信念である教条的な楽観主義は、アメリカ社会のあらゆる公的なレベルにあふれている。

・グローバルなレッセフェールはアメリカの企てである。
・民主主義体制の資本主義国家が唯一の正当な国家形態であると主張する原理主義的なネオ保守主義者(ネオコン)は、伝統的な外交の実践を拒む。敵対的な関係を抑制し、緩和させることを目指す外交を受け入れないのである。(啓蒙思想的な原理主義者だと、著者は云う)
(啓蒙思想のことを「モダン」ととらえている。ポストモダンな世界に適合しないと著者は云う。)

□アメリカにおけるネオコンサーバティブの台頭
・アメリカの大衆文化においてリベラリズムは非合法化され、政治的においてマイナスなものとされた。リベラリズムは追いつめられた少数派である。
・アメリカの神話では、憲法制定が時間を超えた普遍的な価値を持つ原則を体現しているとされている。この神話によれば、アメリカは歴史的な時間の中で生まれ、変遷し、いつか消滅する、そういう歴史的な存在ではなく、普遍性をもって永続する存在であるらしい。
・自由と民主主義と自由市場制度は、アメリカ的価値観と一体不離であり、普遍的真理を体現するものであるがゆえに、全世界に行き渡らねばならないーーとアメリカは信じている。
しかし、もっとも成功した新興国で自由市場原理主義を採用する国はないであろう、と著者は云う。
・原理主義は、保守への回帰ではない、反革命なのだ。
・新自由主義はアメリカ社会に経済的不平等をもたらし、1%vs99%の富の極端な偏在をもたらした。1%の人々は、アメリカの内側に自らをアメリカから隔離するために城塞都市を作りだし、そのなかに身を隠そうとしている。

□アメリカの不安 階級対立の再出現
*個人所得が向上した人にとってもリスクが目に見えて増大した。大半のアメリカ人にとって、人生半ばにそこから立ち直れないかもしれない経済的混乱が、近い将来起るだろうと考えるのが普通のことになった。終身雇用から見放された人がほとんどだし、将来所得が増えるどころか減ることに怯えなくてはならない。これらは人々から恒常心を奪い、将来への希望を失わせる。
・*アメリカはもはや(分厚い中間層が存在する豊かで安定した)市民社会ではない。経済的に不安定な多数派と、富を独占的に集積しつつも、市民的責任や負担から免れることに長けたごく一部の上流階級に分裂した社会になった。
・アメリカの労働者の週当たり平均賃金は、'73年から'95年にかけて物価変動を考慮した指数で18%低下し、$315▷$258になった。一方富裕層上位1%の資産は'83年31%▷'89年36%

□アメリカの治安状況
・'94年 殺人被害者10万人につき 米国 9.3 欧州1.6 日本1.0
  強姦 米国 42.8 日本1.5
窃盗 米国255.8 日本1.75

・子供の殺害のうち世界の四分の三は米国で起きている。

□アメリカの宗教心
・アメリカでは熱烈で原理主義的な宗教心がいまだ根強い。
・多くのアメリカ人は宗教的な信心や習わしを保持し続けている。アメリカ人の70%の人が悪魔を信じている。アメリカの世俗的伝統はトルコのそれより弱い。近代化が世俗化と併せて進行するという図式はアメリカには適用できない。(おそらくイスラム社会でも)

□□6.共産主義崩壊後のロシアのアナーキー資本主義
アナーキーと云うより、無秩序だろう。

□□7.西欧の黄昏とアジア型資本主義の勃興
・リークワンユー
 アメリカにとって、自堕落で弱く腐敗し無能だと、長い間さげすまれてきたアジア人によって、世界とまではいかないまでも西太平洋から排除されることは、感情的に受け入れがたい。アメリカの文化的優越性意識がこのような調整を受け入れることを困難にしているのだ。アメリカ人は自分たちの理想ーー個人と自由で束縛のない表現が何より大切だということーーが普遍的だと信じている。しかし彼らの理想は普遍的でないし、かつてもそうでなかった。

□日本
・ワシントンコンセンサスの要求は、日本に日本であることをやめよと要求しているに等しい。
・戦後日本の中核的特徴ーー完全雇用の追究=国民の大部分に職を保証する書かれざる社会契約の存続ーーがグローバル自由主義によって脅威にさらされている。
・この制度は、労使関係と社会の平和を維持する戦略として第二次大戦後に導入された。また、下層階級の出現を防止してきた。日本はほぼすべての人が中産階級である平等社会なのである。
・もし日本の政策決定者がワシントン・コンセンサスの要求に屈するなら、日本は大量失業、社会的まとまりの崩壊という解決が極めて困難な問題を抱えることになり、西欧社会と同質なものとなるだろう。
**ここのところは、十分に検討する必要がある。分かれ道は存在したかもしれない。

・アジア的自由、というよりも融通無碍さが教条主義的な対立を回避している。資本主義発展にはいくつもの道があるという考え方。

□□8.レッセフェール時代の終焉
・(規制を排除した)自由市場では、ルールさえ明確にさせれば市場参加者が形成する未来への期待の集合は合理性を内包している…と新自由主義者は主張する。《合理的期待形成》
・だが、実際の自由市場は、ジョージ・ソロスの云う「反射的相互作用」が支配している。
*市場は、特に自由市場は、行き過ぎる能力は持っている。自律的・合理的に歪みを調整する機能や、能力を持っていると証明されたことはない。

・景気循環は時代遅れのものになったという盲信は、アラン・グリーンスパンによってお墨付きを与えられた。
・グローバルな自由放任主義は、世界の株式市場と金融機関に制御不可能な危機が発生して崩壊するのかもしれない。金融デリバティブという巨大で全貌を知ることができないバーチャル経済が制度的崩壊の危機を増大させる。

ー 以上

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