2012.12.17
2012年12月16日の総選挙において、安倍自民は単独完全過半数を獲得し、民主党から政権を奪い返した。連立を組む公明党と合わせて320議席ほどの再議決可能議席も確保した。
しかし、この獲得議席はほぼ小泉郵政選挙と同じであり、また事前に想定されていたという意味でも当時ほどの衝撃はない。また、国会内における政治情勢は民・自・公の三党合意=事実上の大野合が成立した時に完成されている。「新保守+新自由主義」による政権である。
この政治潮流の危惧すべきところは、日の丸の旗で囲まれることを好む党首=首相安倍を産んだ国家主義的な右翼体質である。個人の基本的人権を認めず、政治・思想・結社・表現の自由を制限しようとする、片山さつき的な民衆の主権から国家主権へ移そうとする強権制を志向する政治体質である。外交においては排外主義・民族主義、軍事への傾斜である。
烏合の衆とは、この三年間に見た民主党の国会議員達のことである。彼らは政権幹部たちの道具として、党内政策論議の輪の中の人格としての議員ではなく、(幹部によって)決められたあとの与党議案を可決させるための(人格を剥奪された)単なる一票としてしか扱われていない。解散・総選挙によって政権の失政の結果責任をすべて負わされ、愚かにも国会議員職から追われた。
先に、三党合意による連立がなった時に右翼連合の政治潮流が決まったと書いたが、しかしこの総選挙の日は右派的な政治潮流を国民が選び取ったという意味で、メルクマールとして重要な節目として記録されていい。もちろん国民がその愚かさを発揮した日として。
日本をめぐる極東地域において、ちっぽけな島をめぐる領土問題を除いてさしたる国家関係の緊張感も未だなく、経済環境においても①社会的格差=貧富の差が拡大・固定化されつつあるとは言え失業率などが危機的状況にまで沸騰しているとは言えず②財政もまたギリシャやEUのラテン諸国ほどただちに緊縮財政を強いられるほどではない。つまり国民は、危機をバネにした選択ではなく、社会的・経済的危機を先取りして、能天気な右翼を選び取ったのだ。安倍や石原が酔うほどの切迫感も、熱情も大衆の間に広がっているようには、僕には感じられない。
とは言え、40歳より若い世代の視点からみれば、情勢はいささか違って見える。彼らが政治的アパシーを越えて右傾化する社会的な土壌があるように見えるのだ。
Twitterには何度も書いているが、野田時代に始まった政治状況を「大政翼賛社会2.0」と勝手に呼んでいる。
2012-12-26
2012-12-22
『フリーフォール』
読書ノート
副題:グローバル経済はどこまで落ちるのか
ジョセフ・E・スティグリッツ
出版:2010.2
1943年生まれ
クリントン政権時 経済諮問委員会 世銀副総裁
■序章
□2008年危機
・(世界で数千万人が失業するという)このような事態は想定されていなかった。自由市場とグローバル化に信をおく…。ニューエコノミーは、規制緩和や金融工学など、20世紀後半を特徴付ける驚異的なイノベーションの総称であり、より優れたリスク管理を可能とし、景気循環を消滅させるはずだった。少なくとも景気変動のショックを和らげるはずだった。
・四半世紀の間、幅を利かせていたのは、自由市場至上主義だった。
・アラン・グリーンスパン/ロバート・ルービン/ローレンス・サマーズ
・この危機が金融セクターで露わにした問題点はより一般的であり、他の領域にも似たような問題があることが明らかになっている。間違った経営者へのインセンティブ・報酬などの単に劣悪な企業統治の問題ではない。
・新型金融商品・サブプライムローン・債務担保証券(CDS)。金融工学により新たに開発された金融商品、手口により銀行/金融機関は投資を募りレバレッジを効かせて自ら投資行動をすることができたうえに、損失を先延ばし/目隠しする事が可能であった。このことはリスクを分散させるどころか実は危機を深化させた。
・ウォール街の住人たちは千年に一度の嵐の不運な犠牲者だと思いこんでいる。しかし危機は気まぐれに金融市場を襲ったりしない。それは人為的なものであり、ウォール街がみずからに対して、そして社会全体に対して行ったことの結果なのである。
・自由市場至上主義者は、今もなおある確率で仕方なく起こるように、腐ったリンゴが混じっただけだと看做してシステム全体の問題から眼を背けている。
・市場は何度も誤りを犯し続けてきた。金融機関を救ってきたのは政府なのだ。
※実質は、政府の権力を使って金融機関の損失を国民に押しつけてきたのだ。2008年金融危機後に表面化したウォール街の巨大損失を米国は多国籍の枠組みを使い、各国に負担させ、国内的にも金融街およびGMに対し巨額の救済資金を投入した。使われたのは、国民の税金あるいは国債である。
※経済単位をミクロ・マクロに巨大化させるグローバル経済そのものが間違っているのではないか。EUの失敗は、経済単位を巨大化した地域統合が間違っていることを指し示しているのではないか。もっと小さな単位で、つまり今までの国家単位程度の大きさの経済領域の方が、必ず起こる景気後退の波や、危機をより小さくとどめる事ができるのではないのだろうか。米国という巨人の存在自体が間違っているのだ。たやすく”いびつ”になり、”いびつ”になればそれを容易に修正できない巨人が(他人の犠牲の上で)自由に活動するような世界システムを構築してはならないのだ。
※価値観は、結局のところ米国では、分厚い中間層を形成したケインズか、億万長者をスーパーリッチに押し上げたフリードマンかに分かれるのだ。私たちは少なくとも社会格差を拡大させ続ける道を選ぶべきではない。
※ポストモダンとはシステム的に腐ったリンゴたちを生む世界のことではないのか。
第一章 金融の暴走を許した者たち
・2008年の金融危機に関して驚かされたのは、あまりに多くの人が危機の発生に驚いたというその事実だった。少数派からすれば、あの危機は教科書通りの実例であり、予測することは当然可能だったし、実際予測されていた。
・低金利/金余りで規制の緩い市場と、地球規模の不動産バブルと、サブプライムローンの激増は有害な組み合わせというほかない。
※※
2008年金融危機と原発事故の比較において、有責者=犯罪者たちの言葉、認識が余りに似ていることに気付く。失敗は常に想定外か他人のせいなのだ。それが彼らエリートの性向なのだろう。他人への責任の押しつけによって、彼らの成果は勝ち取られてきたのだ。例えば、金融の利益の源泉はじつにここにあるのではないか。未来への押しつけ、他人への押しつけこそが金融工学の本質ではないのか。
※
・2002年ハイテクバブルの崩壊
・短期利益至上主義の住宅ローン商品の押しつけ販売
・銀行のリスク評価機能の喪失 (※日本のバブル期にも同じ事が起こっていた。貸し込み競争が、出世競争に繋がっていたのだ。営業部の突出。リスク資産の積み増し。単一商品=土地融資への集中。変動型金利ローンの開発・推薦)
・現代の錬金術師は、不動産保有を証券化することで、収入なき定年後の人生を生き延びるために積み立てられた年金基金をリスク商品の購入に導いた。
・この銀行の所業を賛美し、トリプルAの格付けを与えたのが格付け会社だ。規制緩和により銀行は直接ギャンブルに手を染めるようになった。
・銀行と規制当局は自分たちが作り出したぞっとするようなリスクを他社=他者に転嫁できると思いこんでいたのかもしれない。
・絶頂期の2007年米国の金融セクターは、企業収益の41%を占めていた。
・金融界が作り出した複雑な商品には二つの効果があった。リスクの増大と、情報の不完全性を生んだことだ。
・金融イノベーションは、バブルの生成に貢献したことは確かだが、経済の持続的成長に貢献したという証拠はない。
・CDS Credit Default Swap デリバティブ derivative
・フレディマックとファニーメイは民営化され規制緩和された企業
・(規制緩和論者たちは安易に、十分な規制緩和が行われてこなかったためにリスクヘッジが行えなかったというが)彼らは重要な点を見落としている。銀行を厳しく規制しなければならないのは、銀行が破綻した場合、経済全体への悪影響の波及効果が巨大なためである。(※それに加えて、そのことを理由に(社会全体の利益のためにという大義名分を掲げて)今度は政府による救済を求めるのだ。)
・規制緩和で得をした金融セクターの政治的影響力と、規制を不必要と断じるイデオロギー。
・短期収益至上主義者は《利益は先取りし、損失は先送りする》
※※市場至上主義の社会では、ミクロ組織の短期利益追求こそが善とみなされる。数値化し単純化して、単一の尺度に収斂させるのが米国的社会の形(ポストモダニズム)冷たい熱狂。金への執着。いびつな欲望。
・工業資本ではなく金融資本の性格。金融資本は事業会社の中に金融資本に相似形の組織=持株会社を作り込む。持ち株会社の本社は金融資本と同じ尺度で企業運営を行い、支配下におかれた事業部門を管理・監視する。さらに、みずから金融資本プレイヤーとして、企業の売買に及ぶ。
※
・バブル抜きには総需要が弱いまま推移しただろう。その原因のひとつは格差拡大の中で消費をする層から消費をしない層に所得が移転したためである。
・イギリスにも不動産バブルは起こったが、公的資金を受け取った銀行のトップは引責辞任した。オバマ政権のように無償提供はしなかったのである。
・※アイスランド 外国金融機関によって起こされたバブル崩壊の責任をとらされたのは、利益をむさぼった外国金融機関ではなく、遅れてやってきてババを引かされたアイスランドという狭い国境の内側に住む逃げることが許されない国民だ。ドリームファンドという名の悪夢は、グローバリズムの下で国境を易々と越えてやってきて、破綻という名前に変わったとたんに尻拭いは国境の内側で過剰に支払わされる。
・コミットメントの漸増(いったん一つの立場をとったら、立場を守る方向に強迫観念が働く)
・オバマの危機対応チーム(バーナンキ・サマーズ・ガイトナー)は、危機の種を蒔いた者たちであり、ウォール街の利益の代弁者だった。損失負担を、ウォール街にではなく納税者に負担させる政策を採用した。
・企業のリストラやコスト削減という名の労働者の解雇と賃金引き下げは、短期的に株価の上昇を招いても、近い将来に経済全体に悪影響を及ぼす。家計所得の低下がGDPの70%を占める消費にマイナス影響を与える可能性がほとんど必然と言っていいほど高いからだ。
□効果の薄い減税 減税は国家の債務を増加させていくのに反して消費刺激効果はほとんど期待できない。
・自動車や家電の買い換え促進プログラムは、確かに需要を喚起したがそれは未来の先喰いに終わった。長期的な景気悪化が見込まれるときには不適切な政策だ。
・連邦支出の増加は地方の歳出減によって相殺された。
・米国人の消費を持続可能な範囲で上昇させるためには貯蓄の余裕のある富裕層から有り金をすべて使わなければならない下層へと大規模な所得再配分を断行しなければならない。税金の累進性を強めれば所得再配分だけでなく経済の安定化も図れる。
□サブプライムローンのペテン
・サブプライムローン 借り手の自己責任を強調し、貸し手の責任逃れを可能にした。結果として脆弱な一般庶民が破綻させられる。
・銀行は数百万人の人々をそそのかし身分不相応の生活をさせ、老後の備えを危機に晒した。
・最前線の戦犯、サブプライムローンのセールスでさえ、自分の役割をこなしただけだと強弁できる。当事者からすれば、「契約増ー収益増」というリスクが捨象されたインセンティブに応じてローン契約を推し進めたに過ぎないのだ。
・資本増強と貸し渋り解消のためにそそぎ込まれた公的資金1750億ドルのうち330億ドルは経営者たちのボーナスとして支給され、1000億ドルは損失を帳消しすることに、残りは「配当」として株主に分配された。
※※
・金融救済プログラムにより、銀行や投資機関は、リスクが高いことでハイリターンな過去の収益はそのまま受け取り、損失は政府支出を通じて未来の国民負担から受け取る。
・日本の銀行は公的資金返済及び毀損された資本の手当のために、税金の支払いを猶予されてきた。その間、配当はどうだったのか?
・米国の不動産バブルの項を読んでいると胸が悪くなる。日本のあちこちで、まさにこのようにして銀行の不正なうそつき融資によって踊らされ、多くの人が破産に追い込まれたのだ。貸し手に都合のいい不動産鑑定士を連れてきて不当に高く見積もりさせ、融資をする。不動産屋が儲かり、ローン販売会社が儲かり、銀行や銀行の担当者が表向きにも裏でも儲かったのだ。契約するローンが借り手に不利であればあるほど、貸し手には多くの手数料と金利が支払われるのだ。借り手にとってリスクの高いローン契約を販売するインセンティブが構造化されていたのだ。
※
・リスクを見えなくする手法としての証券化
・信用格付け会社は、小さな将来リスクを評価できても、大きくて危険な将来リスクを、事前には評価できない。小さいリスクは少々外れたとしても小さな損失しか生み出さないので格付けなど不要だし、甚大な損失を生む未曾有のリスクは想定外に起こるので格付け会社は予測し得ない。つまり格付け会社によるリスク予測などクソの役にも立たないのだ。
□ブラックマンデーが起きる確率
・1987.10.19のブラックマンデーの大暴落は標準モデルによる計算では200億年に一回しか起こらない。少なくとも一生に一回しか起こらないだろうと思われるが、実際には10年に一度繰り返されている。
・住宅ローン・サービサー=債権回収代行業者の登場。債権回収に弁護士や業者に利益を生み出す新たなビジネスモデルが追加され、情け容赦なく債務者救済が毀損される。(※日本の公的サービサーは債権を買いたたき、また資産を超廉価で提供することで、結果的に中間層から超金持ち層への資産移転を行った。(結果的とは、ほとんどの場合意図的だという事だ)
・金融のメルトダウンが進行した。(※用語からしても、リスクの見積もりや経済人の行動にしても、原発と金融危機の構造はじつに似ている)
・金融セクターはさんざんイノベーション能力を喧伝しておきながら、リスクをアメリカの貧困層から取り去り、もっとリスクの高い層へ移転させるようなイノベーションは開発も提供もしなかった。
・例えば変動金利制度において、金利が上がるとそれに応じて満期日や返済期間を変動する商品を提供することも可能なのだ。(デンマークでは200年前からある)
(ノンリコース:資産から得られる収益のみを返済原資とするローン)
・エコノミストは銀行を経済の心臓と呼び、金融を血液循環に例える。心臓が病み、血液循環が滞ると経済がたちゆかなくなる。
(病んだ心臓は、確かに治療しなくてはならない。銀行家のためではなく経済のために。心臓部の欠陥は、取り除くという選択肢を含めて抜本的治療が必要かもしれない)
・循環を阻害した(利益至上主義の)非効率なシステムは、効率的で社会的に少しは公正なシステムに置き換えられなくてはならない。
・しかし米国政府(ブッシュ・オバマ)が採った銀行救済策の実態は銀行への巨額の贈与であり、納税者の目を欺く形で実行されている。
・金融危機が発生したとき、ブッシュ政権は銀行本体だけでなく、銀行家と投資家をまとめて救済することを決断した。そしてこの資金は透明性を欠いた形で供給された。
・何かが根本的に間違っていることを銀行家もその周辺にいる者たちも認めないし、過ちを犯したことさえ認めようとしない、…彼らが望んだのはとても完璧とはいえない既存のシステムを微調節した上で、2007年以前の世界へ、すなわち危機が起こる前の世界へ戻ることだったのである。
※※2008年のサブプライム危機に至るまでの金融工学によって新たに発明されたツールとは、日本のバブル発生時にに使われた”ふるい’”ツールである。米国は日本の危機から解決法を学んだのではなく、バブルの発生のさせ方を学んだのである。
※
・社会的利益と個人的利益の不一致。
・「大きすぎて潰せない」企業は、実は大きすぎて「経営不能」だったか、少なくとも舵の効きが悪かったのだ。
・人間の恐怖心を利用した謀略→大きすぎて財務リストラ=管財措置できないとの風評を広めた。
・システミック・リスク
・第三世界でこのような法案が通れば、それは間違いなく政府=納税者から銀行及びその後援者への大規模な再配分が行われることを意味する。財務長官ポールソンは、議会からポールソンへ白紙委任する法案を提案した。ポールソンはその出身地=ゴールドマンサックスとその仲間たちの代理人の役割を十分果たしたというわけだ。
・流動性の危機 自行は健全であると言い張る銀行が、他行の健全性に疑問を呈し資金を融通することを躊躇するようになった。他行の不健全性は自行の乱脈を経験している者には容易に推測が可能なのだ。
※※
(現状の日本のように低金利な国債にでも資金が向かうような投資先=借り手不足の状況で、産業への投資資金に不足がないとき)企業に外国に比べて相対的に重い税金を課せば、日本国に税金を支払うことをためらうような性悪な資本から日本の企業を守ることが出来る。
※
・銀行に税金を課せば経済効率性の向上と政府の歳入増を同時に達成できる。…しかし銀行はこう反論するだろう。課税によるコスト増は、民間からの資本調達を妨げ、金融システムの健全性回復の足を引っ張る。
※※政治こそが私的利益を優先するのではなく、国民国家全体にとっての利益=公共性を重視するモラル優先的な、誘導策(インセンティブ)を設計し、法案化することで市場の歪みを是正する必要がある。
※
・銀行の利害は、国民の利益から乖離しているだけでなく、経済全体の利害から乖離していた。(米国は金融界の利害に引きずられた)
※※
・世界最大の米国債保有者=中国は、日本と違って為替による減価を心配しなくて済む。(中国自身が為替管理を行っているため)インフレを起こさないように監視しているだけでよいのだ。インフレ抑止は米国内にもそのような自動安定化装置や勢力を持っているため、為替リスクに比べて中国の通貨危機の危険性は少ない。
・米国債は日銀にとって恒常的に減価していく不良資産だ。換金しない限り、つまりドルでおいておく限り減価しないと主張するなら、換金できないという点で究極の不良資産だ、と云っていることになる。
・ウォール街は持てる力と金を使って規制緩和を買い、ぼろ儲けをした。強欲ゲームのやり過ぎでバブルが崩壊すると、今度は同じ力を使って、自助努力することも自己破産させられることもなく、パブリックセクターから巨額の生活保護を厚顔無恥にも、せびり盗った。
・科学テクノロジーの進歩は金融リスク管理にも十分応用できるし、自分たちが開発した新しい金融テクノロジーによって生みだした金融商品によって、IT技術の進展によるバーチャル空間の拡大もあって、確かに利潤は拡大し続けた。10年ほども儲けが続くと、歴史書から学ぶべきものはすでになく、コントロール可能な新しい世界が到来したと、神童たちには思えたに違いない。
※
・金融業界は規制を求めるあらゆる動きに反対した。FRBも財務省も唱和したどころか、自由市場至上主義を主導した。ルービン財務長官、サマーズ財務副長官とアラン・グリーンスパンFRB議長が戦犯の名前だ。
※※
悪魔はどうしてこんなにもずる賢いのだろう。人々はどうしてこうも愚かなのだろう。大衆んの心理は、システムや枠組みの構造的問題こそが問題が引き起こすのだとは思わないように出来ているらしい。細部にはこだわるが、大局の動きには素直に従うか、無意識に目をそらす。※
※短期的成果給は、中下級管理者に適用するのが間違っているだけではなく、役員にもCEOにも適用するのは間違っている。
※銀行は透明性を好まない。透明性を実現した市場は競争が激しくなり、手数料を含め収益が低下するからだ。高度なリスク管理を行う事を目的に開発された金融商品は、極めて複雑に設計された。複雑化によって、金融市場はルールに定められたはずの透明性を失った。
しかも、リスクは管理されたのではなく隠されていただけだということが、バブルの崩壊によって誰の目にも明らかになった。
※グラス・スティーガル法が廃止されたのは1999年。商業銀行と投資銀行の垣根が取り壊されてしまった。
※米国の銀行は寡占化した。その流れで日本の銀行も超寡占化した。独占禁止法に触れずに寡占化させるために使われた論理が、巨大な外国企業の存在だ。グローバル化した世界の中では大型化しないと競争にも勝ち残れないし、なにより買収される危険性が増した。米国の野放図な産業政策のあおりを受けないためには=伝染病を防ぐためのフィルターが必要なのだ。国境というフィルターによって消費者利益・国民利益は守られねばならない。
言葉 derivative デリバティブ 派生
CDS credit derivative Swap
ロング ショート 値上がりに賭けるのがロング
・透明性/公開性の要求に対する金融界の決めゼリフは、”ビジネス上の秘密”である。ビジネス上の秘密がある取引をする場合は、それに対する自己責任を全うさせなければならないし、公的なものに関わらせてはならない。
・金融市場の甚だしい強欲さが顕著にみられるのは、大学生向け融資プログラムを継続させるために政治的圧力を使った場面だ。
・税制のありようは社会の価値観を反映させる。汗水垂らして働くことより、ギャンブルに精を出す投機家を優遇する必要はなく、いやそれははっきり云って不公平だ。
・米国の経済状態はGDPでみる程には良くない。30代男性の収入中央値は、30年前より低くなっている。
※米国大学の成功の秘密 ①ユダヤ人がいること②日本の進学校と同じく、優秀な人間を集めているから、優秀であること。
※民主的でもなく、国家統治にも長けていないことが明白な財務省=野田政権にその権限の増大をもたらす政策枠組みを与えることは間違っている。
・米国の優れた大学はすべて州立か非営利である。
※新自由主義的な仕組みでは、非雇用者=労働者には企業利益=全体利益に貢献する動機は見あたらない。アメとムチにより個々人の利益に直結する仕方=成果報酬型人事制度を導入することで、(短期の)企業利益の最大化が図れる。そのような利益誘導制度=インセンティブがない公務員は労働意欲がなく、民間企業のような効率的な組織運営が出来ない。→あらゆるサービスの民営化が必要である。
※スティグリッツはこう言う「市場がうまく機能し、機能しないかの問題は、詰まるところインセンティブの問題に行き着く。どんなインセンティブを与えたときに個人への見返りと社会的利益が合致するのか。」米国プラグマチスト哲学の正義論から離れることはない。
・金融業界への大規模な救済策は、ソ連崩壊時に国家財産が一部マフィアに集中的に譲渡されたときに匹敵するほどの富の再配分となった。
・市場に任せるか、規制をどの程度導入するか《制度の濫用は、透明性を高めた民主主義的プロセスを通じて点検していくしかない。》
・規制緩和というレーガンとブッシュのお題目は、政府への不信に基づいていた。※そうは思えない。むしろ金持ちの富の拡大欲望とそれを支持した大衆の大量消費欲望に基づいていたと思える。※
・企業への様々な減税や便宜供与などの利益供与が拡大され、セイフティーネットが供与されるのに反して、一般市民の福祉とセイフティーネットは削減された。
・G8は2007年まで、2008年の危機の後11月に初めてG20に拡大された。
・IMF資金提供条件
①中央銀行の金利引き上げ②財政赤字削減③銀行の民営化な
ど構造改革(民営化)④中央銀行の独立(政治・財政政策か
らの独立)
・これらの政策は債権国への資金回収を第一目的に立案されたもので、資金注入された債務国の景気回復や国民の生活維持の為ではない。したがってIMFによる管理はしばしば国民の激しい抗議行動を伴う。
・《朗報といえるのは、ドミニク・ストラウス・カーンが専務理事に指名されたことだ。彼の就任によってIMFがようやくケインズ流のマクロ刺激政策の必要性を認めた。》
※1989年ベルリンの壁の崩壊で、私たちは共産主義に終止符を打った。311を経てもなお私たち日本人は、この地震多発国で、核発電という巨大なリスクに終止符を打つことさえ出来ないほど愚かな政府/政府広報に徹し民意をゆがめるマスメディア/民意を汲み取ることの出来ない政治システム、に耐え続ける愚か者なのだろうか?※
・2008.9.15リーマンブラザーズ破綻によって、市場原理主義は終止符を打たれ、今日では、市場は自己修復できるとか、規制なき市場では参加者の利己的行動が全員の利益になるように機能するとかいう言説は、時代錯誤な詐欺師の言説であることが証明された。
・世界銀行とIMFはシカゴ学派のエコノミストに占められている。すなわちフリードマン流の新自由主義者たちだ。かれらは債務危機に陥った新興国に、金融部門の規制緩和、構造改革という名の民営化、貿易の自由化非関税障壁の撤廃を迫った。
※結果、各国で富の集中が起こり格差は拡大され、経済危機は何度も起こっている。民族資本が興隆するよりも、多国籍企業が各国に自由に参入するチャンスを拡大し、資本系列に置くことが出来るようになった。また金融市場の自由化は外国人投資家の自由を拡大した。ルールを多国籍企業に有利にしただけではなく、ショックドクトリンによって意図的に経済破壊を起こしたことが強く疑われている。
※米国の経済危機の際には、財政出動を行い金利を低下させたが、IMFは東アジアの新興国に対して全く逆の政策を押しつけたのだ。
※起こされた経済危機の中で、破綻を余儀なくされた金融機関は破格の値段で(優秀で効率的な経営を行うことが出来、金融テクノロジーのノウハウを持つ)時には国家によって、米国証券機関への手数料のおまけ付きで米国の投資家に売り渡された。
・トリクルダウン理論は、全くの幻想であった。もしくは詐欺だった。
※※政・官・経のエリートが愚か者であることが人間的に愚かであることを意味しても、統治する狡知において愚かであることを意味しない。橋下の品性の下劣さと、ポピュリストの才能に恵まれていることに似ている。
※多くの米国人は、比較優位すなわち各国が相対的に得意な分野の生産に特化する事で貿易が成り立ち、総体的な利益に貢献するメカニズムが理解できず、貿易相手国が政府の為替操作や補助金で不正なダンピングを働いていると信じ、非難してきた。
※農業には巨大なバッファ機能がある。他の産業へ供給できる余剰農業人口がある間は、労働者供給圧力が維持できるので産業の賃金は総体的に低く押さえることが出来る。農家は他産業に人口を拠出することで、所得の拡大が図れる。
以上
副題:グローバル経済はどこまで落ちるのか
ジョセフ・E・スティグリッツ
出版:2010.2
1943年生まれ
クリントン政権時 経済諮問委員会 世銀副総裁
■序章
□2008年危機
・(世界で数千万人が失業するという)このような事態は想定されていなかった。自由市場とグローバル化に信をおく…。ニューエコノミーは、規制緩和や金融工学など、20世紀後半を特徴付ける驚異的なイノベーションの総称であり、より優れたリスク管理を可能とし、景気循環を消滅させるはずだった。少なくとも景気変動のショックを和らげるはずだった。
・四半世紀の間、幅を利かせていたのは、自由市場至上主義だった。
・アラン・グリーンスパン/ロバート・ルービン/ローレンス・サマーズ
・この危機が金融セクターで露わにした問題点はより一般的であり、他の領域にも似たような問題があることが明らかになっている。間違った経営者へのインセンティブ・報酬などの単に劣悪な企業統治の問題ではない。
・新型金融商品・サブプライムローン・債務担保証券(CDS)。金融工学により新たに開発された金融商品、手口により銀行/金融機関は投資を募りレバレッジを効かせて自ら投資行動をすることができたうえに、損失を先延ばし/目隠しする事が可能であった。このことはリスクを分散させるどころか実は危機を深化させた。
・ウォール街の住人たちは千年に一度の嵐の不運な犠牲者だと思いこんでいる。しかし危機は気まぐれに金融市場を襲ったりしない。それは人為的なものであり、ウォール街がみずからに対して、そして社会全体に対して行ったことの結果なのである。
・自由市場至上主義者は、今もなおある確率で仕方なく起こるように、腐ったリンゴが混じっただけだと看做してシステム全体の問題から眼を背けている。
・市場は何度も誤りを犯し続けてきた。金融機関を救ってきたのは政府なのだ。
※実質は、政府の権力を使って金融機関の損失を国民に押しつけてきたのだ。2008年金融危機後に表面化したウォール街の巨大損失を米国は多国籍の枠組みを使い、各国に負担させ、国内的にも金融街およびGMに対し巨額の救済資金を投入した。使われたのは、国民の税金あるいは国債である。
※経済単位をミクロ・マクロに巨大化させるグローバル経済そのものが間違っているのではないか。EUの失敗は、経済単位を巨大化した地域統合が間違っていることを指し示しているのではないか。もっと小さな単位で、つまり今までの国家単位程度の大きさの経済領域の方が、必ず起こる景気後退の波や、危機をより小さくとどめる事ができるのではないのだろうか。米国という巨人の存在自体が間違っているのだ。たやすく”いびつ”になり、”いびつ”になればそれを容易に修正できない巨人が(他人の犠牲の上で)自由に活動するような世界システムを構築してはならないのだ。
※価値観は、結局のところ米国では、分厚い中間層を形成したケインズか、億万長者をスーパーリッチに押し上げたフリードマンかに分かれるのだ。私たちは少なくとも社会格差を拡大させ続ける道を選ぶべきではない。
※ポストモダンとはシステム的に腐ったリンゴたちを生む世界のことではないのか。
第一章 金融の暴走を許した者たち
・2008年の金融危機に関して驚かされたのは、あまりに多くの人が危機の発生に驚いたというその事実だった。少数派からすれば、あの危機は教科書通りの実例であり、予測することは当然可能だったし、実際予測されていた。
・低金利/金余りで規制の緩い市場と、地球規模の不動産バブルと、サブプライムローンの激増は有害な組み合わせというほかない。
※※
2008年金融危機と原発事故の比較において、有責者=犯罪者たちの言葉、認識が余りに似ていることに気付く。失敗は常に想定外か他人のせいなのだ。それが彼らエリートの性向なのだろう。他人への責任の押しつけによって、彼らの成果は勝ち取られてきたのだ。例えば、金融の利益の源泉はじつにここにあるのではないか。未来への押しつけ、他人への押しつけこそが金融工学の本質ではないのか。
※
・2002年ハイテクバブルの崩壊
・短期利益至上主義の住宅ローン商品の押しつけ販売
・銀行のリスク評価機能の喪失 (※日本のバブル期にも同じ事が起こっていた。貸し込み競争が、出世競争に繋がっていたのだ。営業部の突出。リスク資産の積み増し。単一商品=土地融資への集中。変動型金利ローンの開発・推薦)
・現代の錬金術師は、不動産保有を証券化することで、収入なき定年後の人生を生き延びるために積み立てられた年金基金をリスク商品の購入に導いた。
・この銀行の所業を賛美し、トリプルAの格付けを与えたのが格付け会社だ。規制緩和により銀行は直接ギャンブルに手を染めるようになった。
・銀行と規制当局は自分たちが作り出したぞっとするようなリスクを他社=他者に転嫁できると思いこんでいたのかもしれない。
・絶頂期の2007年米国の金融セクターは、企業収益の41%を占めていた。
・金融界が作り出した複雑な商品には二つの効果があった。リスクの増大と、情報の不完全性を生んだことだ。
・金融イノベーションは、バブルの生成に貢献したことは確かだが、経済の持続的成長に貢献したという証拠はない。
・CDS Credit Default Swap デリバティブ derivative
・フレディマックとファニーメイは民営化され規制緩和された企業
・(規制緩和論者たちは安易に、十分な規制緩和が行われてこなかったためにリスクヘッジが行えなかったというが)彼らは重要な点を見落としている。銀行を厳しく規制しなければならないのは、銀行が破綻した場合、経済全体への悪影響の波及効果が巨大なためである。(※それに加えて、そのことを理由に(社会全体の利益のためにという大義名分を掲げて)今度は政府による救済を求めるのだ。)
・規制緩和で得をした金融セクターの政治的影響力と、規制を不必要と断じるイデオロギー。
・短期収益至上主義者は《利益は先取りし、損失は先送りする》
※※市場至上主義の社会では、ミクロ組織の短期利益追求こそが善とみなされる。数値化し単純化して、単一の尺度に収斂させるのが米国的社会の形(ポストモダニズム)冷たい熱狂。金への執着。いびつな欲望。
・工業資本ではなく金融資本の性格。金融資本は事業会社の中に金融資本に相似形の組織=持株会社を作り込む。持ち株会社の本社は金融資本と同じ尺度で企業運営を行い、支配下におかれた事業部門を管理・監視する。さらに、みずから金融資本プレイヤーとして、企業の売買に及ぶ。
※
・バブル抜きには総需要が弱いまま推移しただろう。その原因のひとつは格差拡大の中で消費をする層から消費をしない層に所得が移転したためである。
・イギリスにも不動産バブルは起こったが、公的資金を受け取った銀行のトップは引責辞任した。オバマ政権のように無償提供はしなかったのである。
・※アイスランド 外国金融機関によって起こされたバブル崩壊の責任をとらされたのは、利益をむさぼった外国金融機関ではなく、遅れてやってきてババを引かされたアイスランドという狭い国境の内側に住む逃げることが許されない国民だ。ドリームファンドという名の悪夢は、グローバリズムの下で国境を易々と越えてやってきて、破綻という名前に変わったとたんに尻拭いは国境の内側で過剰に支払わされる。
・コミットメントの漸増(いったん一つの立場をとったら、立場を守る方向に強迫観念が働く)
・オバマの危機対応チーム(バーナンキ・サマーズ・ガイトナー)は、危機の種を蒔いた者たちであり、ウォール街の利益の代弁者だった。損失負担を、ウォール街にではなく納税者に負担させる政策を採用した。
・企業のリストラやコスト削減という名の労働者の解雇と賃金引き下げは、短期的に株価の上昇を招いても、近い将来に経済全体に悪影響を及ぼす。家計所得の低下がGDPの70%を占める消費にマイナス影響を与える可能性がほとんど必然と言っていいほど高いからだ。
□効果の薄い減税 減税は国家の債務を増加させていくのに反して消費刺激効果はほとんど期待できない。
・自動車や家電の買い換え促進プログラムは、確かに需要を喚起したがそれは未来の先喰いに終わった。長期的な景気悪化が見込まれるときには不適切な政策だ。
・連邦支出の増加は地方の歳出減によって相殺された。
・米国人の消費を持続可能な範囲で上昇させるためには貯蓄の余裕のある富裕層から有り金をすべて使わなければならない下層へと大規模な所得再配分を断行しなければならない。税金の累進性を強めれば所得再配分だけでなく経済の安定化も図れる。
□サブプライムローンのペテン
・サブプライムローン 借り手の自己責任を強調し、貸し手の責任逃れを可能にした。結果として脆弱な一般庶民が破綻させられる。
・銀行は数百万人の人々をそそのかし身分不相応の生活をさせ、老後の備えを危機に晒した。
・最前線の戦犯、サブプライムローンのセールスでさえ、自分の役割をこなしただけだと強弁できる。当事者からすれば、「契約増ー収益増」というリスクが捨象されたインセンティブに応じてローン契約を推し進めたに過ぎないのだ。
・資本増強と貸し渋り解消のためにそそぎ込まれた公的資金1750億ドルのうち330億ドルは経営者たちのボーナスとして支給され、1000億ドルは損失を帳消しすることに、残りは「配当」として株主に分配された。
※※
・金融救済プログラムにより、銀行や投資機関は、リスクが高いことでハイリターンな過去の収益はそのまま受け取り、損失は政府支出を通じて未来の国民負担から受け取る。
・日本の銀行は公的資金返済及び毀損された資本の手当のために、税金の支払いを猶予されてきた。その間、配当はどうだったのか?
・米国の不動産バブルの項を読んでいると胸が悪くなる。日本のあちこちで、まさにこのようにして銀行の不正なうそつき融資によって踊らされ、多くの人が破産に追い込まれたのだ。貸し手に都合のいい不動産鑑定士を連れてきて不当に高く見積もりさせ、融資をする。不動産屋が儲かり、ローン販売会社が儲かり、銀行や銀行の担当者が表向きにも裏でも儲かったのだ。契約するローンが借り手に不利であればあるほど、貸し手には多くの手数料と金利が支払われるのだ。借り手にとってリスクの高いローン契約を販売するインセンティブが構造化されていたのだ。
※
・リスクを見えなくする手法としての証券化
・信用格付け会社は、小さな将来リスクを評価できても、大きくて危険な将来リスクを、事前には評価できない。小さいリスクは少々外れたとしても小さな損失しか生み出さないので格付けなど不要だし、甚大な損失を生む未曾有のリスクは想定外に起こるので格付け会社は予測し得ない。つまり格付け会社によるリスク予測などクソの役にも立たないのだ。
□ブラックマンデーが起きる確率
・1987.10.19のブラックマンデーの大暴落は標準モデルによる計算では200億年に一回しか起こらない。少なくとも一生に一回しか起こらないだろうと思われるが、実際には10年に一度繰り返されている。
・住宅ローン・サービサー=債権回収代行業者の登場。債権回収に弁護士や業者に利益を生み出す新たなビジネスモデルが追加され、情け容赦なく債務者救済が毀損される。(※日本の公的サービサーは債権を買いたたき、また資産を超廉価で提供することで、結果的に中間層から超金持ち層への資産移転を行った。(結果的とは、ほとんどの場合意図的だという事だ)
・金融のメルトダウンが進行した。(※用語からしても、リスクの見積もりや経済人の行動にしても、原発と金融危機の構造はじつに似ている)
・金融セクターはさんざんイノベーション能力を喧伝しておきながら、リスクをアメリカの貧困層から取り去り、もっとリスクの高い層へ移転させるようなイノベーションは開発も提供もしなかった。
・例えば変動金利制度において、金利が上がるとそれに応じて満期日や返済期間を変動する商品を提供することも可能なのだ。(デンマークでは200年前からある)
(ノンリコース:資産から得られる収益のみを返済原資とするローン)
・エコノミストは銀行を経済の心臓と呼び、金融を血液循環に例える。心臓が病み、血液循環が滞ると経済がたちゆかなくなる。
(病んだ心臓は、確かに治療しなくてはならない。銀行家のためではなく経済のために。心臓部の欠陥は、取り除くという選択肢を含めて抜本的治療が必要かもしれない)
・循環を阻害した(利益至上主義の)非効率なシステムは、効率的で社会的に少しは公正なシステムに置き換えられなくてはならない。
・しかし米国政府(ブッシュ・オバマ)が採った銀行救済策の実態は銀行への巨額の贈与であり、納税者の目を欺く形で実行されている。
・金融危機が発生したとき、ブッシュ政権は銀行本体だけでなく、銀行家と投資家をまとめて救済することを決断した。そしてこの資金は透明性を欠いた形で供給された。
・何かが根本的に間違っていることを銀行家もその周辺にいる者たちも認めないし、過ちを犯したことさえ認めようとしない、…彼らが望んだのはとても完璧とはいえない既存のシステムを微調節した上で、2007年以前の世界へ、すなわち危機が起こる前の世界へ戻ることだったのである。
※※2008年のサブプライム危機に至るまでの金融工学によって新たに発明されたツールとは、日本のバブル発生時にに使われた”ふるい’”ツールである。米国は日本の危機から解決法を学んだのではなく、バブルの発生のさせ方を学んだのである。
※
・社会的利益と個人的利益の不一致。
・「大きすぎて潰せない」企業は、実は大きすぎて「経営不能」だったか、少なくとも舵の効きが悪かったのだ。
・人間の恐怖心を利用した謀略→大きすぎて財務リストラ=管財措置できないとの風評を広めた。
・システミック・リスク
・第三世界でこのような法案が通れば、それは間違いなく政府=納税者から銀行及びその後援者への大規模な再配分が行われることを意味する。財務長官ポールソンは、議会からポールソンへ白紙委任する法案を提案した。ポールソンはその出身地=ゴールドマンサックスとその仲間たちの代理人の役割を十分果たしたというわけだ。
・流動性の危機 自行は健全であると言い張る銀行が、他行の健全性に疑問を呈し資金を融通することを躊躇するようになった。他行の不健全性は自行の乱脈を経験している者には容易に推測が可能なのだ。
※※
(現状の日本のように低金利な国債にでも資金が向かうような投資先=借り手不足の状況で、産業への投資資金に不足がないとき)企業に外国に比べて相対的に重い税金を課せば、日本国に税金を支払うことをためらうような性悪な資本から日本の企業を守ることが出来る。
※
・銀行に税金を課せば経済効率性の向上と政府の歳入増を同時に達成できる。…しかし銀行はこう反論するだろう。課税によるコスト増は、民間からの資本調達を妨げ、金融システムの健全性回復の足を引っ張る。
※※政治こそが私的利益を優先するのではなく、国民国家全体にとっての利益=公共性を重視するモラル優先的な、誘導策(インセンティブ)を設計し、法案化することで市場の歪みを是正する必要がある。
※
・銀行の利害は、国民の利益から乖離しているだけでなく、経済全体の利害から乖離していた。(米国は金融界の利害に引きずられた)
※※
・世界最大の米国債保有者=中国は、日本と違って為替による減価を心配しなくて済む。(中国自身が為替管理を行っているため)インフレを起こさないように監視しているだけでよいのだ。インフレ抑止は米国内にもそのような自動安定化装置や勢力を持っているため、為替リスクに比べて中国の通貨危機の危険性は少ない。
・米国債は日銀にとって恒常的に減価していく不良資産だ。換金しない限り、つまりドルでおいておく限り減価しないと主張するなら、換金できないという点で究極の不良資産だ、と云っていることになる。
・ウォール街は持てる力と金を使って規制緩和を買い、ぼろ儲けをした。強欲ゲームのやり過ぎでバブルが崩壊すると、今度は同じ力を使って、自助努力することも自己破産させられることもなく、パブリックセクターから巨額の生活保護を厚顔無恥にも、せびり盗った。
・科学テクノロジーの進歩は金融リスク管理にも十分応用できるし、自分たちが開発した新しい金融テクノロジーによって生みだした金融商品によって、IT技術の進展によるバーチャル空間の拡大もあって、確かに利潤は拡大し続けた。10年ほども儲けが続くと、歴史書から学ぶべきものはすでになく、コントロール可能な新しい世界が到来したと、神童たちには思えたに違いない。
※
・金融業界は規制を求めるあらゆる動きに反対した。FRBも財務省も唱和したどころか、自由市場至上主義を主導した。ルービン財務長官、サマーズ財務副長官とアラン・グリーンスパンFRB議長が戦犯の名前だ。
※※
悪魔はどうしてこんなにもずる賢いのだろう。人々はどうしてこうも愚かなのだろう。大衆んの心理は、システムや枠組みの構造的問題こそが問題が引き起こすのだとは思わないように出来ているらしい。細部にはこだわるが、大局の動きには素直に従うか、無意識に目をそらす。※
※短期的成果給は、中下級管理者に適用するのが間違っているだけではなく、役員にもCEOにも適用するのは間違っている。
※銀行は透明性を好まない。透明性を実現した市場は競争が激しくなり、手数料を含め収益が低下するからだ。高度なリスク管理を行う事を目的に開発された金融商品は、極めて複雑に設計された。複雑化によって、金融市場はルールに定められたはずの透明性を失った。
しかも、リスクは管理されたのではなく隠されていただけだということが、バブルの崩壊によって誰の目にも明らかになった。
※グラス・スティーガル法が廃止されたのは1999年。商業銀行と投資銀行の垣根が取り壊されてしまった。
※米国の銀行は寡占化した。その流れで日本の銀行も超寡占化した。独占禁止法に触れずに寡占化させるために使われた論理が、巨大な外国企業の存在だ。グローバル化した世界の中では大型化しないと競争にも勝ち残れないし、なにより買収される危険性が増した。米国の野放図な産業政策のあおりを受けないためには=伝染病を防ぐためのフィルターが必要なのだ。国境というフィルターによって消費者利益・国民利益は守られねばならない。
言葉 derivative デリバティブ 派生
CDS credit derivative Swap
ロング ショート 値上がりに賭けるのがロング
・透明性/公開性の要求に対する金融界の決めゼリフは、”ビジネス上の秘密”である。ビジネス上の秘密がある取引をする場合は、それに対する自己責任を全うさせなければならないし、公的なものに関わらせてはならない。
・金融市場の甚だしい強欲さが顕著にみられるのは、大学生向け融資プログラムを継続させるために政治的圧力を使った場面だ。
・税制のありようは社会の価値観を反映させる。汗水垂らして働くことより、ギャンブルに精を出す投機家を優遇する必要はなく、いやそれははっきり云って不公平だ。
・米国の経済状態はGDPでみる程には良くない。30代男性の収入中央値は、30年前より低くなっている。
※米国大学の成功の秘密 ①ユダヤ人がいること②日本の進学校と同じく、優秀な人間を集めているから、優秀であること。
※民主的でもなく、国家統治にも長けていないことが明白な財務省=野田政権にその権限の増大をもたらす政策枠組みを与えることは間違っている。
・米国の優れた大学はすべて州立か非営利である。
※新自由主義的な仕組みでは、非雇用者=労働者には企業利益=全体利益に貢献する動機は見あたらない。アメとムチにより個々人の利益に直結する仕方=成果報酬型人事制度を導入することで、(短期の)企業利益の最大化が図れる。そのような利益誘導制度=インセンティブがない公務員は労働意欲がなく、民間企業のような効率的な組織運営が出来ない。→あらゆるサービスの民営化が必要である。
※スティグリッツはこう言う「市場がうまく機能し、機能しないかの問題は、詰まるところインセンティブの問題に行き着く。どんなインセンティブを与えたときに個人への見返りと社会的利益が合致するのか。」米国プラグマチスト哲学の正義論から離れることはない。
・金融業界への大規模な救済策は、ソ連崩壊時に国家財産が一部マフィアに集中的に譲渡されたときに匹敵するほどの富の再配分となった。
・市場に任せるか、規制をどの程度導入するか《制度の濫用は、透明性を高めた民主主義的プロセスを通じて点検していくしかない。》
・規制緩和というレーガンとブッシュのお題目は、政府への不信に基づいていた。※そうは思えない。むしろ金持ちの富の拡大欲望とそれを支持した大衆の大量消費欲望に基づいていたと思える。※
・企業への様々な減税や便宜供与などの利益供与が拡大され、セイフティーネットが供与されるのに反して、一般市民の福祉とセイフティーネットは削減された。
・G8は2007年まで、2008年の危機の後11月に初めてG20に拡大された。
・IMF資金提供条件
①中央銀行の金利引き上げ②財政赤字削減③銀行の民営化な
ど構造改革(民営化)④中央銀行の独立(政治・財政政策か
らの独立)
・これらの政策は債権国への資金回収を第一目的に立案されたもので、資金注入された債務国の景気回復や国民の生活維持の為ではない。したがってIMFによる管理はしばしば国民の激しい抗議行動を伴う。
・《朗報といえるのは、ドミニク・ストラウス・カーンが専務理事に指名されたことだ。彼の就任によってIMFがようやくケインズ流のマクロ刺激政策の必要性を認めた。》
※1989年ベルリンの壁の崩壊で、私たちは共産主義に終止符を打った。311を経てもなお私たち日本人は、この地震多発国で、核発電という巨大なリスクに終止符を打つことさえ出来ないほど愚かな政府/政府広報に徹し民意をゆがめるマスメディア/民意を汲み取ることの出来ない政治システム、に耐え続ける愚か者なのだろうか?※
・2008.9.15リーマンブラザーズ破綻によって、市場原理主義は終止符を打たれ、今日では、市場は自己修復できるとか、規制なき市場では参加者の利己的行動が全員の利益になるように機能するとかいう言説は、時代錯誤な詐欺師の言説であることが証明された。
・世界銀行とIMFはシカゴ学派のエコノミストに占められている。すなわちフリードマン流の新自由主義者たちだ。かれらは債務危機に陥った新興国に、金融部門の規制緩和、構造改革という名の民営化、貿易の自由化非関税障壁の撤廃を迫った。
※結果、各国で富の集中が起こり格差は拡大され、経済危機は何度も起こっている。民族資本が興隆するよりも、多国籍企業が各国に自由に参入するチャンスを拡大し、資本系列に置くことが出来るようになった。また金融市場の自由化は外国人投資家の自由を拡大した。ルールを多国籍企業に有利にしただけではなく、ショックドクトリンによって意図的に経済破壊を起こしたことが強く疑われている。
※米国の経済危機の際には、財政出動を行い金利を低下させたが、IMFは東アジアの新興国に対して全く逆の政策を押しつけたのだ。
※起こされた経済危機の中で、破綻を余儀なくされた金融機関は破格の値段で(優秀で効率的な経営を行うことが出来、金融テクノロジーのノウハウを持つ)時には国家によって、米国証券機関への手数料のおまけ付きで米国の投資家に売り渡された。
・トリクルダウン理論は、全くの幻想であった。もしくは詐欺だった。
※※政・官・経のエリートが愚か者であることが人間的に愚かであることを意味しても、統治する狡知において愚かであることを意味しない。橋下の品性の下劣さと、ポピュリストの才能に恵まれていることに似ている。
※多くの米国人は、比較優位すなわち各国が相対的に得意な分野の生産に特化する事で貿易が成り立ち、総体的な利益に貢献するメカニズムが理解できず、貿易相手国が政府の為替操作や補助金で不正なダンピングを働いていると信じ、非難してきた。
※農業には巨大なバッファ機能がある。他の産業へ供給できる余剰農業人口がある間は、労働者供給圧力が維持できるので産業の賃金は総体的に低く押さえることが出来る。農家は他産業に人口を拠出することで、所得の拡大が図れる。
以上
2012-12-21
『グローバリズムという妄想』ジョン・グレイ
" False Dawn " The Delusion of Global Capitalism. Published in 1998
John Gray
□□1.大転換からグローバル市場への道程
□1800年代19世紀の英国
・経済生活を社会的・政治的支配から解放する実験が行われた。(レッセフェール=自由放任主義)
・それまで経済活動は、社会的制約や規制の中で行われてきた。ヴィクトリア王朝の中期、社会的必要とは独立して動く、自由市場が登場した。『大転換』"Great Transformation"と呼ばれる。
・現在のアメリカは、多様性から単一の原理=普遍性へと向かって文明が進歩していくとする啓蒙思想理論にその政策の基礎をおく、最後の大国である
・「ワシントン・コンセンサス」(世界の政治的首都であるワシントンで形成されるアメリカ主導の合意)によれば、「民主的資本主義」は全世界に受け入れられなければならないし、グローバル自由市場が現実になる。単一の全世界に行きわたる自由市場のことだ。
・この哲学に動かされている多国間機関は、世界中の経済活動に自由市場を押し付けようとしてきた。それを追い求めることは、すでに大規模な社会的混乱と経済的、政治的不安定を生じさせている。
・アメリカでは、他のどの国よりも家族が弱体化しており、社会秩序は大量の人間を刑務所に収容する政策によって保たれている。
・自由市場は、アメリカの国民の多数が与ることのない長期的な経済ブームを発生させた。不平等が拡大している。
・文化帝国主義という点において、共産主義とグローバリズムは共通の性格を持っている。理性と効率への信仰、文化的多様性の否定、拡大主義(囲い込み)。
・グローバリズムはユートピである。(=幻想的理想社会)
*グローバリズムは誰もが信じることができないのに、そこへ進んでいく「大きな物語」だ。人々の夢を破壊することによって現実化する世界。
*大政翼賛2.0の目指す理想社会は、中央権力が世襲化した共産中国だ。人々の基本的人権を認めず、公益性を上位におく、自民改憲論の目指すところは共産中国だ。国防軍を創出し、事あれば戦争で決着をつける。民族意識を煽り隣国への嫌悪感を醸成する。経済的自由主義プラス強力な中央政府。
・グローバル経済には、世界の多様な社会と不均等な発展から起きる社会的緊張を和らげるものが存在していない。資本と生産の急速な移動、カジノ化した通貨投機
□ヴィクトリア朝初期の自由市場の創造
・レッセフェール・自由貿易・工業化が同時に起こった英国は特異な存在である。
・レッセフェールは大規模な国家干渉によって行われた。19世紀のイギリスの自由市場の前提条件は、共有地を私有財産に転換するために国家権力を用いることだった。(*囲い込み。大地主への移行)
・囲い込みの手順を最終的に支配していたのは議会だった。公式には、地主が議会の法令によって囲い込みを行った手続きは公然たるものでかつ民主的ということになっていた。囲い込みは、イギリスの田舎を見分けがつかないほどに変貌させてしまった。
・束縛のない市場は民主的な政府とは両立できない。
**安倍自民党的な「自由と民主主義の目指すもの」:①自由主義的にに弱者や生活福祉を切り捨てる。②自由主義的に社会の共有財産を、私的大企業に売り渡す。③民主的に基本的人権を葬り去る。④民主的に大政翼賛体制=独裁制を作り出す。*
□穀物法の廃止(1846)と救貧法の改正(1830)
・穀物法の廃止は自由貿易主義者の勝利であった。
・救貧法は、救済の受給に極めて厳しく屈辱的な条件をつけることによって、受給者に恥の気持ちを持たせた。個人は自らの福祉について全面的に自分に責任があり、コミュニティーは責任を共有しないことになった。救貧法の規定する受給条件は、市場が決定するいかなる最低賃金を上回ってはならないし、夫、妻、子供を強制的に別れ別れにした。困窮状況から抜け出すことを不可能とし、困窮者を固定化した。救貧法の支給条件は、市場の最低賃金の引き下げに貢献した。
*失業率を高止まりさせることとの合わせ技があれば、労働条件と賃金の切り下げは容易に達成できる。
*自由市場社会は、自由主義的なイデオロギーに支えられた、市場による選択を社会の原理的基準だとする社会の特異な一形態にすぎない。自由主義社会は、
社会のあらゆる領域を市場領域の中に取り込もうとする。
・カール・ポランニーによれば、市場社会が出現したのはシステマチックな政治的介入という人為的なものを通じてである。
・多くのヨーロッパのどの国とも違って、固定した農村生活は普遍的ではなく、イギリスにはほとんど見られなかった。家族生活も近代以前の大家族よりも今の核家族に近かった。(*歴史的な発展段階というよりも、アングロサクソン固有の家族形態かもしれない。②都市化された文化的多様性の文化だ。)
・一回目は十九世紀のイギリスのパラダイムの中であり、二回目は今世紀の80年代、イギリス、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドにおけるネオリベラル政策の結果としてである。
・これらアングロサクソン系国家は、農村個人主義の文化と経済が工業化に先立って存在した社会だった。
・グローバルな自由市場を構築しようとする企てにおいて、市場のゲームのルールは民主的な討議と政治的な修正から遮断されなければならない。民主主義と自由市場は互いに敵対するのであって、味方ではない。
・資本主義が自由市場を意味するものであるならば、「民主的な資本主義」という言葉は矛盾に満ちている。
□十九世紀に市場経済を作り出すのに必要とされた立法についてのポランニーの説明
>>何者も市場の形成を妨げることは許されない。物の販売以外の方法で所得が得られることも許されない。価格ーー財であれ労働であれ土地であれ、あるいは貨幣であれーーが市場の状況変化に適応する事にも干渉があってはならない。したがって、産業のすべての要素に市場がなければならないだけでなく、これらの市場の行動に影響を及ぼすような手段や政策は容認されてはならない。価格も供給も需要も規制されてはならない。市場を経済活動の分野で唯一の統合力にする状況を作り出すことによって市場の自律力を確保するような政策や手段だけが必要なのである。>>
□□2.国家が構築した自由市場
□サッチャリズム
・パートタイム労働と契約労働が激増した。多くの低水準技能労働者の賃金水準は家族を養う最低限を下回り、妻=家族を低賃金パート労働者として働かせざるを得ない状況が出現した。
・同時に福祉受給資格は一律に制限され、失業保険受給者を(惨めな)福祉受給におちいる前に、たとえ低賃金であろうと非正規であろうと、職に就くように追いつめた。
・家族のうち一人も仕事のない所帯が'75年の6.5%から'94年の19.4%へと増大した。
・治安の悪化 '70年重大犯罪件数160万件▷'92年560万件。
・格差の拡大 '77年から'90年にかけてどの国よりも早く不平等が拡大した。
*ネオリベラリズムにとって国民国家とはなになのだろうか。国家像とは何なのだろうか。保守主義的な心情において、文化的伝統は尊重されるべきものとされ、民族国家としても社会秩序維持のためにも国家は重要視されるが、新自由主義的な経済政策において、政府はできる限り小さく不干渉なものであり、グローバリズムにおいて経済だけでなく文化も社会も国際的に開かれていることが理想である。とすると、国家像において、ネオリベラリズムは引き裂かれている。
*グローバル化は国民文化の分裂・解消を促進する。(もちろん経済のグローバライゼーションだけでなく、技術の進展がグローバライゼーションを加速している。
□ニュージーランド
・ニュージーランドのネオリベラリズムは、かつてこの国に存在したことのなかった下層階級を生んだ。世界でもっとも社会民主的だった国がネオリベラリズム国家となった。
・ニュージーランドの構造改革は、政治の内部から起こったのではない。公務員の間から=財務省によって生み出された。
・この政策は'84-'90は労働党政権において、それ以後は国民党政権によって実施された。
・全国的な団体交渉制度は、民間部門のみならず公共部門においても市場決定的で個人主義的な労働市場が作り出された。物価安定だけを唯一の目標とする独立した中央銀行が創設された。
・国家は雇用水準へのいかなる責任からも自由になった。マクロ経済政策は国家の手からはずされた。
・公立病院は私企業に転換され、医療サービスは民間との競争にさらされた。学校は教育サービス料金を徴収するようになった。国のサービスのほとんどは、私企業に売り渡され、福祉機能は縮減された。警察、裁判所、刑務所のための予算は伸び続けた。
・完全雇用状態が終わり、失業者が増加したことと同時に福祉給付が後退した。必要とされるときに、必要とされるものが姿を消したのである。
*日本における生活保護の切り捨ては現在の受給者への攻撃を表向きの理由にして、近い未来に増大する困窮者を標的にしている。必要なときに、必要なものが社会から消え去るように、準備されているのだ。
・福祉制度が勤労意欲を失わせた結果、貧困層が生じるのだというのが、新自由主義者の主張である。福祉国家は勤労者にモラルハザードをもたらすという法則が信じられている。
**バブルに至る日本のサラリーマンは、毎日残業にあけくれ有休さえもろくに取らないほど働き蜂だといわれた。十分に福祉国家であったし福祉充実を目標としていた。彼らのことをモラルハザードに見舞われた勤労意欲のない労働者だとでも言うのだろうか。
現在の労働者は長く厳しい就活を強いられ、労働法の改悪によって労働市場はかつてより、より競争的だ。ところで、勤労意欲は向上したのだろうか?
モラルハザードは、救済が必要な貧困層の切り捨てに走るものたちにこそ起きていると云わざるを得ない。
*おそらくこのニュージーランドの政策は、シカゴ学派のミルトンフリードマンの学校から生まれたものだ。この推測はほとんど確実なものだと思う。
またこのプロセスが社会民主主義的な政党=労働党政権によって行われたことは示唆的である。改革を訴える新自由主義者は社会民主的な政党とも親和的なのだ。すなわち日本民主党のうちに、巣くうことなど容易いことなのだ。
民主的な責任=アカウンタビリティー
・何よりも決定的だったのは、ニュージーランド経済を規制なき資本の流れに開放するという改革の結果、国際資本に公共政策に対する実質的な拒否権を与えたことである。公共政策が競争力、利益、経済的安定性に影響をもたらすと国際資本に認識されたら、どんな場合にも資本の逃避という脅しによってその政策は撤回されかねない。ネオリベラル改革は後戻り不可能なものとして認識された。
・社会民主的な目標は、解消・放棄あるいは逆転されたが、それらは民主主義的な選択のもとにおこなわれたのだ。
・すべての政党がばらばらになって溶解した。保守の国民党は国家主義政党と連立することによって政権を維持する道を選んだ。
*日本でも政党がバラバラに分裂し、民主党は溶解した。総選挙において阿倍自民党が圧倒的な議席を獲得したが、得票を詳細に分析するまでもなく、投票結果は政治はまとまりを持たなくなったことを示している。安定政権をもたらすことはない。
□メキシコ
・メキシコは新自由主義者のショウウィンドウだった。NAFTAの加盟国であり貿易相手として生産センターとしてアメリカにとって大きな位置を占める。カナダより下で日本より上。
・メキシコにおいてネオリベラリズムは、経済的にも何ら成果を得られなかった。
□□3.グローバリゼーションの虚実
・グローバリゼーションは類のない状況でも、線形の課程でも、社会変化の最終点でもない。
・EU諸国は互いの文化のどんな側面よりもハリウッド映画から吸収するイメージの方をより多く共有している。東アジアでも同じである。
*このことは奇妙なことではないか。日本人は隣国である韓国や中国よりも、太平洋で隔てられたアメリカのイメージをよほど多く共有している。アメリカから日本への像はどうであるかは分からないが…
・国内価格は、ローカルな要因で決まるよりもむしろ、グローバルな要因でグローバル市場の変動に影響されて決まる。
**限定性・希少性が「市場」の根拠。希少資源をいかに合理的・効率的に配分し経済活動に供するか…が、(市場)経済学のテーマである。資源が限定的・希少である都いうのは、ある種の思い込みではないのか。エネルギーであれば、自然エネルギーに限ってもシェールガスが採掘可能になっているしその他の代替エネルギーも立ち上がってきている。鉄はプラスティックに代替されてきている。長らく貨幣価値の基準となった金は、間違いなく思い込みの産物だ。これらのことは根底から疑って見たい。
・*著者はグローバリズムの世界でも、その経済形態はグローバルに単一化されるというよりは様々な変種を生むと考えている。特に中国は文化的伝統の長さからも、アメリカ型の経済形態とは違ったものとして存在可能だという。
>>華僑が形成したファミリー・ビジネスモデルは、本格的な別種のモデルであり…フィリピンでは華僑はわずか人工の1%を占めるにすぎないが、株式市場の半分以上を握っている。インドネシアでは4%に対し75%、マレーシアでは32%に対し60%である。1996年時点で5100万人の華僑は7千億ドル相当の経済を支配しており…▷中国華僑はグローバル経済が始まるより前から国民国家に縛られないグローバルな存在である。
□1900年前後のグローバリゼーション
・当時のグローバル市場の技術的基盤は、大陸間海底電信ケーブルと蒸気船だった。それ以降世界の港は互いに結ばれ、多くの商品について世界価格が存在するようになった。
□多国籍企業
・多国籍企業の成長と力は巨大であり…多国籍企業は世界生産の三分の一を占め世界貿易の三分の二を占める。'93年の多国籍企業の生産はアメリカ合衆国全体の生産にほぼ匹敵する。
・今日の多国籍企業は生産過程をバラバラの部分に分け、世界中の様々な国に配置することができる。国内状況に依存する必要はかつてなく低くなっている。労働市場・税・規制・インフラストラクチャについて自由に選べる。直接的には投資と撤退の選択による脅しによって、間接的には(金と人と情報のネットワークを背景にする)政治力によって、多国籍企業は国民国家の政策を左右する力を持っている。
**
*'90年代は多国籍企業が経済の主役であったが、今や金融が経済の主役である。多国籍企業=生産複合体から金融資本は権力関係を逆転させた。いや正確には、主役としての姿を隠さなくなったと言うべきかもしれない。
*生産複合体としての多国籍企業がグローバル市場の主役であるとすれば、ローカルな多様性に縛られる、あるいは積極的に評価すれば、アンカーをおろし独自の色に染められることもあるだろう。しかし金融資本は、情報・金融工学の進展によってバーチャル空間にその活動領域を移したこともあって、その基本的な性格=抽象性にさらに磨きをかけた。単一の普遍性を持った=モノクロームなグローバリズムの世界を実現したのだ。金融バーチャル世界において国民国家が再び国境の壁を築けるかどうかは、金融取引税が実行性を持つかどうかに見ることができるだろう。
**グローバル市場経済におけるリスク(確率的に把握可能とは云うものの)と不確定性は、なぜこれほど深刻なのか。市場の自律性に任せればいいなどと云う言い草は戯言(たわごと)だということは明白だ。
・アメリカの企業でさえも、グローバルな性格を持つと云うよりもアメリカ的文化・価値観・組織形態の固有性をもっている。(と著者は云うけれど…)
*TPPの日本加入については、米国内の政治的反対はきっと大きい。NAFTAというアメリカと名が付いた隣接地域との経済協定でさえ、アメリカ国内では政治的反対が強かった。産業先進国である日本とのTPPは、経済規模が小さくまた植民地としての性格がより強い韓国とのFTAとは違う。
・*企業内でも仕事はパッケージとしてバラされ外部化(外注)されるとともに、残された内部の業務の多くは非正規化・パートタイマー化されている。正規従業員の中核社員はごく一部分で済ますことができるのだ。ダウンサイジングはもちろん中間管理者に及んでいる。企業が負担してきた社会福祉コストは年金積み立てが個人のものに移し替えられるなど、コストの切り詰めが行われている。
・多国籍企業が生き残ることができるのは、新しい技術を使ってライバルに対して競争上優位に立つことのみによってである。
(*という風には思わない。知的所有権や資力を使った同類企業や消費市場の囲い込みによって、独占力を構築したものが長らえ、利益を享受することができる。そのような仕組みを作れるのは、ユダヤ人(ユダヤ的知識技術とユダヤネットワークを持ったもの)のみだ。)
・多国籍企業がライバルに対して決定的な優位を獲得できる源泉は、新しい技術を創造し、それを有効に使う能力である。企業がどのように知識を蓄え生み出すかにかかっている。新しい知識を獲得し活用できない企業、従業員の間にある暗黙の知識の蓄積を無駄にし、従業員が新しい知識を身につける意欲を起こさせないような企業はすぐに衰退するだろう。
□□4.新しいグレシャムの法則 グローバル自由市場はどのように最悪の資本主義に行き着くのか
・ソ連崩壊の後、中央計画経済と資本主義におの競争は、様々な異なった種類の資本主義ーーアメリカ、ドイツ、日本、ロシア、中国ーーの間の競争に取って代わられた。(*当たってる?)
・*社会的共有資本や環境維持・社会福祉コストを負担することから免れている多国籍企業は、競争条件において有利である。税負担もそのように考えられ、負担回避策が政治的・会計的に行われる。国民経済(経世済民)からみての良貨は、悪貨に勝てない。
・社会民主主義とグローバル資本
*グローバル資本は為替管理権を国民国家政府から奪い取ることによって、①為替取引をカジノ化する事。②各国政府財政政策・中央銀行通貨政策への攻撃の武器とすること…が可能となった。国民国家の財政政策・通貨政策をコントロールする事が可能となった。
*為替取引は『国際通貨市場』と名を変えた。
*社会民主主義政策とは、端的に言えば国民に対して文化的生活を営むための福祉を提供する政策である。国民とは、改めて云う必要があるが、国境に囲まれた地域に住まう住民のことである。グローバル資本は国境を越えて自由に移動できる存在であり、国民とは、存在の根拠と有り様において、ちがう。グローバル資本は経済活動で得た利益に対して、国境を越えて移し替えることができ、あるいは経済活動に対して税や規制などの負担の少ない地域へ資本を移動させることができる。いまや企業にとって負担回避行動こそが合理的行動なのだ。倫理の介入する余地はない。短期的利益追究の行き着いた先である。社員に酬いることや地域への貢献は省みられることはない。20世紀の日本企業とは、もう違うのだ。それらは、できるだけ回避すべきコスト負担だと認識するに至った。企業・資本家と従業員が敵対的に対峙するマルクスの時代に時計は巻き戻された。
(社会民主主義政策が考慮の対象となるのは、さすがに著者が欧州に近いところ(英国)にいるおかげだ。アメリカ人著者とは違う視点だ)
*グローバル企業が自由に振る舞うことによって、経済活動が効率的になることさえ絵空事だ。神の見えざる手ではなく、悪魔の見えざる手が動き出しているのだ。経済功利性+短期利益追及の行動基準がグローバルに行き渡ることによって、また、国民経済の隅々に浸透するによって、国民の経済・雇用と生活(教育・環境・治安・文化的生活)が脅かされ破壊されつつある。
*グローバル金融資本の力は強大となり、メキシコや東南アジア諸国という経済的に脆弱で規模の小さい国ではなく、G7大国であるイタリアやスペインに対して緊縮財政政策を押しつけるまでになった。怪しげな民間格付け機関のレーティング操作によって、一国の政府債務の利率が跳ね上がる。金融機関の信用収縮が国際的な広がりをもっておこる。支配し利益を享受し、負担を押しつけ、同時に制御できないリスクを拡散強化する。
□グローバル自由市場vsヨーロッパ社会市場
『社会市場経済』:自由市場経済に対する言葉
・ドイツ 企業統治にステークホルダーを参加させるーー従業員・地域社会・銀行
株式会社よりは有限会社が主要であった。銀行による間接金融が大きな位置を占めていた。
*株式市場と為替市場の開放・自由化こそが新自由主義経済=市場原理主義のグローバル化の要石である。その空間が、金融資本が侵入し膨らませ、他の経済活動を随伴・服従させることができるコマンディングハイツであり、(ユダヤ)金融資本家が他の金融資本家に比べても、もっとも得意で自由に動き回ることができる場所である。
・ドイツモデルという独自の経済形態は、将来にわたって形を変えて、活かしていけると著者は云う。
・外国への進出による外国人雇用者の増大が、ドイツ国内の労働者の地位へ影響を与えている。
□□5.アメリカとグローバル資本主義のユートピア
アメリカの国民的な信念である教条的な楽観主義は、アメリカ社会のあらゆる公的なレベルにあふれている。
・グローバルなレッセフェールはアメリカの企てである。
・民主主義体制の資本主義国家が唯一の正当な国家形態であると主張する原理主義的なネオ保守主義者(ネオコン)は、伝統的な外交の実践を拒む。敵対的な関係を抑制し、緩和させることを目指す外交を受け入れないのである。(啓蒙思想的な原理主義者だと、著者は云う)
(啓蒙思想のことを「モダン」ととらえている。ポストモダンな世界に適合しないと著者は云う。)
□アメリカにおけるネオコンサーバティブの台頭
・アメリカの大衆文化においてリベラリズムは非合法化され、政治的においてマイナスなものとされた。リベラリズムは追いつめられた少数派である。
・アメリカの神話では、憲法制定が時間を超えた普遍的な価値を持つ原則を体現しているとされている。この神話によれば、アメリカは歴史的な時間の中で生まれ、変遷し、いつか消滅する、そういう歴史的な存在ではなく、普遍性をもって永続する存在であるらしい。
・自由と民主主義と自由市場制度は、アメリカ的価値観と一体不離であり、普遍的真理を体現するものであるがゆえに、全世界に行き渡らねばならないーーとアメリカは信じている。
しかし、もっとも成功した新興国で自由市場原理主義を採用する国はないであろう、と著者は云う。
・原理主義は、保守への回帰ではない、反革命なのだ。
・新自由主義はアメリカ社会に経済的不平等をもたらし、1%vs99%の富の極端な偏在をもたらした。1%の人々は、アメリカの内側に自らをアメリカから隔離するために城塞都市を作りだし、そのなかに身を隠そうとしている。
□アメリカの不安 階級対立の再出現
*個人所得が向上した人にとってもリスクが目に見えて増大した。大半のアメリカ人にとって、人生半ばにそこから立ち直れないかもしれない経済的混乱が、近い将来起るだろうと考えるのが普通のことになった。終身雇用から見放された人がほとんどだし、将来所得が増えるどころか減ることに怯えなくてはならない。これらは人々から恒常心を奪い、将来への希望を失わせる。
・*アメリカはもはや(分厚い中間層が存在する豊かで安定した)市民社会ではない。経済的に不安定な多数派と、富を独占的に集積しつつも、市民的責任や負担から免れることに長けたごく一部の上流階級に分裂した社会になった。
・アメリカの労働者の週当たり平均賃金は、'73年から'95年にかけて物価変動を考慮した指数で18%低下し、$315▷$258になった。一方富裕層上位1%の資産は'83年31%▷'89年36%
□アメリカの治安状況
・'94年 殺人被害者10万人につき 米国 9.3 欧州1.6 日本1.0
強姦 米国 42.8 日本1.5
窃盗 米国255.8 日本1.75
・子供の殺害のうち世界の四分の三は米国で起きている。
□アメリカの宗教心
・アメリカでは熱烈で原理主義的な宗教心がいまだ根強い。
・多くのアメリカ人は宗教的な信心や習わしを保持し続けている。アメリカ人の70%の人が悪魔を信じている。アメリカの世俗的伝統はトルコのそれより弱い。近代化が世俗化と併せて進行するという図式はアメリカには適用できない。(おそらくイスラム社会でも)
□□6.共産主義崩壊後のロシアのアナーキー資本主義
アナーキーと云うより、無秩序だろう。
□□7.西欧の黄昏とアジア型資本主義の勃興
・リークワンユー
アメリカにとって、自堕落で弱く腐敗し無能だと、長い間さげすまれてきたアジア人によって、世界とまではいかないまでも西太平洋から排除されることは、感情的に受け入れがたい。アメリカの文化的優越性意識がこのような調整を受け入れることを困難にしているのだ。アメリカ人は自分たちの理想ーー個人と自由で束縛のない表現が何より大切だということーーが普遍的だと信じている。しかし彼らの理想は普遍的でないし、かつてもそうでなかった。
□日本
・ワシントンコンセンサスの要求は、日本に日本であることをやめよと要求しているに等しい。
・戦後日本の中核的特徴ーー完全雇用の追究=国民の大部分に職を保証する書かれざる社会契約の存続ーーがグローバル自由主義によって脅威にさらされている。
・この制度は、労使関係と社会の平和を維持する戦略として第二次大戦後に導入された。また、下層階級の出現を防止してきた。日本はほぼすべての人が中産階級である平等社会なのである。
・もし日本の政策決定者がワシントン・コンセンサスの要求に屈するなら、日本は大量失業、社会的まとまりの崩壊という解決が極めて困難な問題を抱えることになり、西欧社会と同質なものとなるだろう。
**ここのところは、十分に検討する必要がある。分かれ道は存在したかもしれない。
・アジア的自由、というよりも融通無碍さが教条主義的な対立を回避している。資本主義発展にはいくつもの道があるという考え方。
□□8.レッセフェール時代の終焉
・(規制を排除した)自由市場では、ルールさえ明確にさせれば市場参加者が形成する未来への期待の集合は合理性を内包している…と新自由主義者は主張する。《合理的期待形成》
・だが、実際の自由市場は、ジョージ・ソロスの云う「反射的相互作用」が支配している。
*市場は、特に自由市場は、行き過ぎる能力は持っている。自律的・合理的に歪みを調整する機能や、能力を持っていると証明されたことはない。
・景気循環は時代遅れのものになったという盲信は、アラン・グリーンスパンによってお墨付きを与えられた。
・グローバルな自由放任主義は、世界の株式市場と金融機関に制御不可能な危機が発生して崩壊するのかもしれない。金融デリバティブという巨大で全貌を知ることができないバーチャル経済が制度的崩壊の危機を増大させる。
ー 以上
John Gray
□□1.大転換からグローバル市場への道程
□1800年代19世紀の英国
・経済生活を社会的・政治的支配から解放する実験が行われた。(レッセフェール=自由放任主義)
・それまで経済活動は、社会的制約や規制の中で行われてきた。ヴィクトリア王朝の中期、社会的必要とは独立して動く、自由市場が登場した。『大転換』"Great Transformation"と呼ばれる。
・現在のアメリカは、多様性から単一の原理=普遍性へと向かって文明が進歩していくとする啓蒙思想理論にその政策の基礎をおく、最後の大国である
・「ワシントン・コンセンサス」(世界の政治的首都であるワシントンで形成されるアメリカ主導の合意)によれば、「民主的資本主義」は全世界に受け入れられなければならないし、グローバル自由市場が現実になる。単一の全世界に行きわたる自由市場のことだ。
・この哲学に動かされている多国間機関は、世界中の経済活動に自由市場を押し付けようとしてきた。それを追い求めることは、すでに大規模な社会的混乱と経済的、政治的不安定を生じさせている。
・アメリカでは、他のどの国よりも家族が弱体化しており、社会秩序は大量の人間を刑務所に収容する政策によって保たれている。
・自由市場は、アメリカの国民の多数が与ることのない長期的な経済ブームを発生させた。不平等が拡大している。
・文化帝国主義という点において、共産主義とグローバリズムは共通の性格を持っている。理性と効率への信仰、文化的多様性の否定、拡大主義(囲い込み)。
・グローバリズムはユートピである。(=幻想的理想社会)
*グローバリズムは誰もが信じることができないのに、そこへ進んでいく「大きな物語」だ。人々の夢を破壊することによって現実化する世界。
*大政翼賛2.0の目指す理想社会は、中央権力が世襲化した共産中国だ。人々の基本的人権を認めず、公益性を上位におく、自民改憲論の目指すところは共産中国だ。国防軍を創出し、事あれば戦争で決着をつける。民族意識を煽り隣国への嫌悪感を醸成する。経済的自由主義プラス強力な中央政府。
・グローバル経済には、世界の多様な社会と不均等な発展から起きる社会的緊張を和らげるものが存在していない。資本と生産の急速な移動、カジノ化した通貨投機
□ヴィクトリア朝初期の自由市場の創造
・レッセフェール・自由貿易・工業化が同時に起こった英国は特異な存在である。
・レッセフェールは大規模な国家干渉によって行われた。19世紀のイギリスの自由市場の前提条件は、共有地を私有財産に転換するために国家権力を用いることだった。(*囲い込み。大地主への移行)
・囲い込みの手順を最終的に支配していたのは議会だった。公式には、地主が議会の法令によって囲い込みを行った手続きは公然たるものでかつ民主的ということになっていた。囲い込みは、イギリスの田舎を見分けがつかないほどに変貌させてしまった。
・束縛のない市場は民主的な政府とは両立できない。
**安倍自民党的な「自由と民主主義の目指すもの」:①自由主義的にに弱者や生活福祉を切り捨てる。②自由主義的に社会の共有財産を、私的大企業に売り渡す。③民主的に基本的人権を葬り去る。④民主的に大政翼賛体制=独裁制を作り出す。*
□穀物法の廃止(1846)と救貧法の改正(1830)
・穀物法の廃止は自由貿易主義者の勝利であった。
・救貧法は、救済の受給に極めて厳しく屈辱的な条件をつけることによって、受給者に恥の気持ちを持たせた。個人は自らの福祉について全面的に自分に責任があり、コミュニティーは責任を共有しないことになった。救貧法の規定する受給条件は、市場が決定するいかなる最低賃金を上回ってはならないし、夫、妻、子供を強制的に別れ別れにした。困窮状況から抜け出すことを不可能とし、困窮者を固定化した。救貧法の支給条件は、市場の最低賃金の引き下げに貢献した。
*失業率を高止まりさせることとの合わせ技があれば、労働条件と賃金の切り下げは容易に達成できる。
*自由市場社会は、自由主義的なイデオロギーに支えられた、市場による選択を社会の原理的基準だとする社会の特異な一形態にすぎない。自由主義社会は、
社会のあらゆる領域を市場領域の中に取り込もうとする。
・カール・ポランニーによれば、市場社会が出現したのはシステマチックな政治的介入という人為的なものを通じてである。
・多くのヨーロッパのどの国とも違って、固定した農村生活は普遍的ではなく、イギリスにはほとんど見られなかった。家族生活も近代以前の大家族よりも今の核家族に近かった。(*歴史的な発展段階というよりも、アングロサクソン固有の家族形態かもしれない。②都市化された文化的多様性の文化だ。)
・一回目は十九世紀のイギリスのパラダイムの中であり、二回目は今世紀の80年代、イギリス、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドにおけるネオリベラル政策の結果としてである。
・これらアングロサクソン系国家は、農村個人主義の文化と経済が工業化に先立って存在した社会だった。
・グローバルな自由市場を構築しようとする企てにおいて、市場のゲームのルールは民主的な討議と政治的な修正から遮断されなければならない。民主主義と自由市場は互いに敵対するのであって、味方ではない。
・資本主義が自由市場を意味するものであるならば、「民主的な資本主義」という言葉は矛盾に満ちている。
□十九世紀に市場経済を作り出すのに必要とされた立法についてのポランニーの説明
>>何者も市場の形成を妨げることは許されない。物の販売以外の方法で所得が得られることも許されない。価格ーー財であれ労働であれ土地であれ、あるいは貨幣であれーーが市場の状況変化に適応する事にも干渉があってはならない。したがって、産業のすべての要素に市場がなければならないだけでなく、これらの市場の行動に影響を及ぼすような手段や政策は容認されてはならない。価格も供給も需要も規制されてはならない。市場を経済活動の分野で唯一の統合力にする状況を作り出すことによって市場の自律力を確保するような政策や手段だけが必要なのである。>>
□□2.国家が構築した自由市場
□サッチャリズム
・パートタイム労働と契約労働が激増した。多くの低水準技能労働者の賃金水準は家族を養う最低限を下回り、妻=家族を低賃金パート労働者として働かせざるを得ない状況が出現した。
・同時に福祉受給資格は一律に制限され、失業保険受給者を(惨めな)福祉受給におちいる前に、たとえ低賃金であろうと非正規であろうと、職に就くように追いつめた。
・家族のうち一人も仕事のない所帯が'75年の6.5%から'94年の19.4%へと増大した。
・治安の悪化 '70年重大犯罪件数160万件▷'92年560万件。
・格差の拡大 '77年から'90年にかけてどの国よりも早く不平等が拡大した。
*ネオリベラリズムにとって国民国家とはなになのだろうか。国家像とは何なのだろうか。保守主義的な心情において、文化的伝統は尊重されるべきものとされ、民族国家としても社会秩序維持のためにも国家は重要視されるが、新自由主義的な経済政策において、政府はできる限り小さく不干渉なものであり、グローバリズムにおいて経済だけでなく文化も社会も国際的に開かれていることが理想である。とすると、国家像において、ネオリベラリズムは引き裂かれている。
*グローバル化は国民文化の分裂・解消を促進する。(もちろん経済のグローバライゼーションだけでなく、技術の進展がグローバライゼーションを加速している。
□ニュージーランド
・ニュージーランドのネオリベラリズムは、かつてこの国に存在したことのなかった下層階級を生んだ。世界でもっとも社会民主的だった国がネオリベラリズム国家となった。
・ニュージーランドの構造改革は、政治の内部から起こったのではない。公務員の間から=財務省によって生み出された。
・この政策は'84-'90は労働党政権において、それ以後は国民党政権によって実施された。
・全国的な団体交渉制度は、民間部門のみならず公共部門においても市場決定的で個人主義的な労働市場が作り出された。物価安定だけを唯一の目標とする独立した中央銀行が創設された。
・国家は雇用水準へのいかなる責任からも自由になった。マクロ経済政策は国家の手からはずされた。
・公立病院は私企業に転換され、医療サービスは民間との競争にさらされた。学校は教育サービス料金を徴収するようになった。国のサービスのほとんどは、私企業に売り渡され、福祉機能は縮減された。警察、裁判所、刑務所のための予算は伸び続けた。
・完全雇用状態が終わり、失業者が増加したことと同時に福祉給付が後退した。必要とされるときに、必要とされるものが姿を消したのである。
*日本における生活保護の切り捨ては現在の受給者への攻撃を表向きの理由にして、近い未来に増大する困窮者を標的にしている。必要なときに、必要なものが社会から消え去るように、準備されているのだ。
・福祉制度が勤労意欲を失わせた結果、貧困層が生じるのだというのが、新自由主義者の主張である。福祉国家は勤労者にモラルハザードをもたらすという法則が信じられている。
**バブルに至る日本のサラリーマンは、毎日残業にあけくれ有休さえもろくに取らないほど働き蜂だといわれた。十分に福祉国家であったし福祉充実を目標としていた。彼らのことをモラルハザードに見舞われた勤労意欲のない労働者だとでも言うのだろうか。
現在の労働者は長く厳しい就活を強いられ、労働法の改悪によって労働市場はかつてより、より競争的だ。ところで、勤労意欲は向上したのだろうか?
モラルハザードは、救済が必要な貧困層の切り捨てに走るものたちにこそ起きていると云わざるを得ない。
*おそらくこのニュージーランドの政策は、シカゴ学派のミルトンフリードマンの学校から生まれたものだ。この推測はほとんど確実なものだと思う。
またこのプロセスが社会民主主義的な政党=労働党政権によって行われたことは示唆的である。改革を訴える新自由主義者は社会民主的な政党とも親和的なのだ。すなわち日本民主党のうちに、巣くうことなど容易いことなのだ。
民主的な責任=アカウンタビリティー
・何よりも決定的だったのは、ニュージーランド経済を規制なき資本の流れに開放するという改革の結果、国際資本に公共政策に対する実質的な拒否権を与えたことである。公共政策が競争力、利益、経済的安定性に影響をもたらすと国際資本に認識されたら、どんな場合にも資本の逃避という脅しによってその政策は撤回されかねない。ネオリベラル改革は後戻り不可能なものとして認識された。
・社会民主的な目標は、解消・放棄あるいは逆転されたが、それらは民主主義的な選択のもとにおこなわれたのだ。
・すべての政党がばらばらになって溶解した。保守の国民党は国家主義政党と連立することによって政権を維持する道を選んだ。
*日本でも政党がバラバラに分裂し、民主党は溶解した。総選挙において阿倍自民党が圧倒的な議席を獲得したが、得票を詳細に分析するまでもなく、投票結果は政治はまとまりを持たなくなったことを示している。安定政権をもたらすことはない。
□メキシコ
・メキシコは新自由主義者のショウウィンドウだった。NAFTAの加盟国であり貿易相手として生産センターとしてアメリカにとって大きな位置を占める。カナダより下で日本より上。
・メキシコにおいてネオリベラリズムは、経済的にも何ら成果を得られなかった。
□□3.グローバリゼーションの虚実
・グローバリゼーションは類のない状況でも、線形の課程でも、社会変化の最終点でもない。
・EU諸国は互いの文化のどんな側面よりもハリウッド映画から吸収するイメージの方をより多く共有している。東アジアでも同じである。
*このことは奇妙なことではないか。日本人は隣国である韓国や中国よりも、太平洋で隔てられたアメリカのイメージをよほど多く共有している。アメリカから日本への像はどうであるかは分からないが…
・国内価格は、ローカルな要因で決まるよりもむしろ、グローバルな要因でグローバル市場の変動に影響されて決まる。
**限定性・希少性が「市場」の根拠。希少資源をいかに合理的・効率的に配分し経済活動に供するか…が、(市場)経済学のテーマである。資源が限定的・希少である都いうのは、ある種の思い込みではないのか。エネルギーであれば、自然エネルギーに限ってもシェールガスが採掘可能になっているしその他の代替エネルギーも立ち上がってきている。鉄はプラスティックに代替されてきている。長らく貨幣価値の基準となった金は、間違いなく思い込みの産物だ。これらのことは根底から疑って見たい。
・*著者はグローバリズムの世界でも、その経済形態はグローバルに単一化されるというよりは様々な変種を生むと考えている。特に中国は文化的伝統の長さからも、アメリカ型の経済形態とは違ったものとして存在可能だという。
>>華僑が形成したファミリー・ビジネスモデルは、本格的な別種のモデルであり…フィリピンでは華僑はわずか人工の1%を占めるにすぎないが、株式市場の半分以上を握っている。インドネシアでは4%に対し75%、マレーシアでは32%に対し60%である。1996年時点で5100万人の華僑は7千億ドル相当の経済を支配しており…▷中国華僑はグローバル経済が始まるより前から国民国家に縛られないグローバルな存在である。
□1900年前後のグローバリゼーション
・当時のグローバル市場の技術的基盤は、大陸間海底電信ケーブルと蒸気船だった。それ以降世界の港は互いに結ばれ、多くの商品について世界価格が存在するようになった。
□多国籍企業
・多国籍企業の成長と力は巨大であり…多国籍企業は世界生産の三分の一を占め世界貿易の三分の二を占める。'93年の多国籍企業の生産はアメリカ合衆国全体の生産にほぼ匹敵する。
・今日の多国籍企業は生産過程をバラバラの部分に分け、世界中の様々な国に配置することができる。国内状況に依存する必要はかつてなく低くなっている。労働市場・税・規制・インフラストラクチャについて自由に選べる。直接的には投資と撤退の選択による脅しによって、間接的には(金と人と情報のネットワークを背景にする)政治力によって、多国籍企業は国民国家の政策を左右する力を持っている。
**
*'90年代は多国籍企業が経済の主役であったが、今や金融が経済の主役である。多国籍企業=生産複合体から金融資本は権力関係を逆転させた。いや正確には、主役としての姿を隠さなくなったと言うべきかもしれない。
*生産複合体としての多国籍企業がグローバル市場の主役であるとすれば、ローカルな多様性に縛られる、あるいは積極的に評価すれば、アンカーをおろし独自の色に染められることもあるだろう。しかし金融資本は、情報・金融工学の進展によってバーチャル空間にその活動領域を移したこともあって、その基本的な性格=抽象性にさらに磨きをかけた。単一の普遍性を持った=モノクロームなグローバリズムの世界を実現したのだ。金融バーチャル世界において国民国家が再び国境の壁を築けるかどうかは、金融取引税が実行性を持つかどうかに見ることができるだろう。
**グローバル市場経済におけるリスク(確率的に把握可能とは云うものの)と不確定性は、なぜこれほど深刻なのか。市場の自律性に任せればいいなどと云う言い草は戯言(たわごと)だということは明白だ。
・アメリカの企業でさえも、グローバルな性格を持つと云うよりもアメリカ的文化・価値観・組織形態の固有性をもっている。(と著者は云うけれど…)
*TPPの日本加入については、米国内の政治的反対はきっと大きい。NAFTAというアメリカと名が付いた隣接地域との経済協定でさえ、アメリカ国内では政治的反対が強かった。産業先進国である日本とのTPPは、経済規模が小さくまた植民地としての性格がより強い韓国とのFTAとは違う。
・*企業内でも仕事はパッケージとしてバラされ外部化(外注)されるとともに、残された内部の業務の多くは非正規化・パートタイマー化されている。正規従業員の中核社員はごく一部分で済ますことができるのだ。ダウンサイジングはもちろん中間管理者に及んでいる。企業が負担してきた社会福祉コストは年金積み立てが個人のものに移し替えられるなど、コストの切り詰めが行われている。
・多国籍企業が生き残ることができるのは、新しい技術を使ってライバルに対して競争上優位に立つことのみによってである。
(*という風には思わない。知的所有権や資力を使った同類企業や消費市場の囲い込みによって、独占力を構築したものが長らえ、利益を享受することができる。そのような仕組みを作れるのは、ユダヤ人(ユダヤ的知識技術とユダヤネットワークを持ったもの)のみだ。)
・多国籍企業がライバルに対して決定的な優位を獲得できる源泉は、新しい技術を創造し、それを有効に使う能力である。企業がどのように知識を蓄え生み出すかにかかっている。新しい知識を獲得し活用できない企業、従業員の間にある暗黙の知識の蓄積を無駄にし、従業員が新しい知識を身につける意欲を起こさせないような企業はすぐに衰退するだろう。
□□4.新しいグレシャムの法則 グローバル自由市場はどのように最悪の資本主義に行き着くのか
・ソ連崩壊の後、中央計画経済と資本主義におの競争は、様々な異なった種類の資本主義ーーアメリカ、ドイツ、日本、ロシア、中国ーーの間の競争に取って代わられた。(*当たってる?)
・*社会的共有資本や環境維持・社会福祉コストを負担することから免れている多国籍企業は、競争条件において有利である。税負担もそのように考えられ、負担回避策が政治的・会計的に行われる。国民経済(経世済民)からみての良貨は、悪貨に勝てない。
・社会民主主義とグローバル資本
*グローバル資本は為替管理権を国民国家政府から奪い取ることによって、①為替取引をカジノ化する事。②各国政府財政政策・中央銀行通貨政策への攻撃の武器とすること…が可能となった。国民国家の財政政策・通貨政策をコントロールする事が可能となった。
*為替取引は『国際通貨市場』と名を変えた。
*社会民主主義政策とは、端的に言えば国民に対して文化的生活を営むための福祉を提供する政策である。国民とは、改めて云う必要があるが、国境に囲まれた地域に住まう住民のことである。グローバル資本は国境を越えて自由に移動できる存在であり、国民とは、存在の根拠と有り様において、ちがう。グローバル資本は経済活動で得た利益に対して、国境を越えて移し替えることができ、あるいは経済活動に対して税や規制などの負担の少ない地域へ資本を移動させることができる。いまや企業にとって負担回避行動こそが合理的行動なのだ。倫理の介入する余地はない。短期的利益追究の行き着いた先である。社員に酬いることや地域への貢献は省みられることはない。20世紀の日本企業とは、もう違うのだ。それらは、できるだけ回避すべきコスト負担だと認識するに至った。企業・資本家と従業員が敵対的に対峙するマルクスの時代に時計は巻き戻された。
(社会民主主義政策が考慮の対象となるのは、さすがに著者が欧州に近いところ(英国)にいるおかげだ。アメリカ人著者とは違う視点だ)
*グローバル企業が自由に振る舞うことによって、経済活動が効率的になることさえ絵空事だ。神の見えざる手ではなく、悪魔の見えざる手が動き出しているのだ。経済功利性+短期利益追及の行動基準がグローバルに行き渡ることによって、また、国民経済の隅々に浸透するによって、国民の経済・雇用と生活(教育・環境・治安・文化的生活)が脅かされ破壊されつつある。
*グローバル金融資本の力は強大となり、メキシコや東南アジア諸国という経済的に脆弱で規模の小さい国ではなく、G7大国であるイタリアやスペインに対して緊縮財政政策を押しつけるまでになった。怪しげな民間格付け機関のレーティング操作によって、一国の政府債務の利率が跳ね上がる。金融機関の信用収縮が国際的な広がりをもっておこる。支配し利益を享受し、負担を押しつけ、同時に制御できないリスクを拡散強化する。
□グローバル自由市場vsヨーロッパ社会市場
『社会市場経済』:自由市場経済に対する言葉
・ドイツ 企業統治にステークホルダーを参加させるーー従業員・地域社会・銀行
株式会社よりは有限会社が主要であった。銀行による間接金融が大きな位置を占めていた。
*株式市場と為替市場の開放・自由化こそが新自由主義経済=市場原理主義のグローバル化の要石である。その空間が、金融資本が侵入し膨らませ、他の経済活動を随伴・服従させることができるコマンディングハイツであり、(ユダヤ)金融資本家が他の金融資本家に比べても、もっとも得意で自由に動き回ることができる場所である。
・ドイツモデルという独自の経済形態は、将来にわたって形を変えて、活かしていけると著者は云う。
・外国への進出による外国人雇用者の増大が、ドイツ国内の労働者の地位へ影響を与えている。
□□5.アメリカとグローバル資本主義のユートピア
アメリカの国民的な信念である教条的な楽観主義は、アメリカ社会のあらゆる公的なレベルにあふれている。
・グローバルなレッセフェールはアメリカの企てである。
・民主主義体制の資本主義国家が唯一の正当な国家形態であると主張する原理主義的なネオ保守主義者(ネオコン)は、伝統的な外交の実践を拒む。敵対的な関係を抑制し、緩和させることを目指す外交を受け入れないのである。(啓蒙思想的な原理主義者だと、著者は云う)
(啓蒙思想のことを「モダン」ととらえている。ポストモダンな世界に適合しないと著者は云う。)
□アメリカにおけるネオコンサーバティブの台頭
・アメリカの大衆文化においてリベラリズムは非合法化され、政治的においてマイナスなものとされた。リベラリズムは追いつめられた少数派である。
・アメリカの神話では、憲法制定が時間を超えた普遍的な価値を持つ原則を体現しているとされている。この神話によれば、アメリカは歴史的な時間の中で生まれ、変遷し、いつか消滅する、そういう歴史的な存在ではなく、普遍性をもって永続する存在であるらしい。
・自由と民主主義と自由市場制度は、アメリカ的価値観と一体不離であり、普遍的真理を体現するものであるがゆえに、全世界に行き渡らねばならないーーとアメリカは信じている。
しかし、もっとも成功した新興国で自由市場原理主義を採用する国はないであろう、と著者は云う。
・原理主義は、保守への回帰ではない、反革命なのだ。
・新自由主義はアメリカ社会に経済的不平等をもたらし、1%vs99%の富の極端な偏在をもたらした。1%の人々は、アメリカの内側に自らをアメリカから隔離するために城塞都市を作りだし、そのなかに身を隠そうとしている。
□アメリカの不安 階級対立の再出現
*個人所得が向上した人にとってもリスクが目に見えて増大した。大半のアメリカ人にとって、人生半ばにそこから立ち直れないかもしれない経済的混乱が、近い将来起るだろうと考えるのが普通のことになった。終身雇用から見放された人がほとんどだし、将来所得が増えるどころか減ることに怯えなくてはならない。これらは人々から恒常心を奪い、将来への希望を失わせる。
・*アメリカはもはや(分厚い中間層が存在する豊かで安定した)市民社会ではない。経済的に不安定な多数派と、富を独占的に集積しつつも、市民的責任や負担から免れることに長けたごく一部の上流階級に分裂した社会になった。
・アメリカの労働者の週当たり平均賃金は、'73年から'95年にかけて物価変動を考慮した指数で18%低下し、$315▷$258になった。一方富裕層上位1%の資産は'83年31%▷'89年36%
□アメリカの治安状況
・'94年 殺人被害者10万人につき 米国 9.3 欧州1.6 日本1.0
強姦 米国 42.8 日本1.5
窃盗 米国255.8 日本1.75
・子供の殺害のうち世界の四分の三は米国で起きている。
□アメリカの宗教心
・アメリカでは熱烈で原理主義的な宗教心がいまだ根強い。
・多くのアメリカ人は宗教的な信心や習わしを保持し続けている。アメリカ人の70%の人が悪魔を信じている。アメリカの世俗的伝統はトルコのそれより弱い。近代化が世俗化と併せて進行するという図式はアメリカには適用できない。(おそらくイスラム社会でも)
□□6.共産主義崩壊後のロシアのアナーキー資本主義
アナーキーと云うより、無秩序だろう。
□□7.西欧の黄昏とアジア型資本主義の勃興
・リークワンユー
アメリカにとって、自堕落で弱く腐敗し無能だと、長い間さげすまれてきたアジア人によって、世界とまではいかないまでも西太平洋から排除されることは、感情的に受け入れがたい。アメリカの文化的優越性意識がこのような調整を受け入れることを困難にしているのだ。アメリカ人は自分たちの理想ーー個人と自由で束縛のない表現が何より大切だということーーが普遍的だと信じている。しかし彼らの理想は普遍的でないし、かつてもそうでなかった。
□日本
・ワシントンコンセンサスの要求は、日本に日本であることをやめよと要求しているに等しい。
・戦後日本の中核的特徴ーー完全雇用の追究=国民の大部分に職を保証する書かれざる社会契約の存続ーーがグローバル自由主義によって脅威にさらされている。
・この制度は、労使関係と社会の平和を維持する戦略として第二次大戦後に導入された。また、下層階級の出現を防止してきた。日本はほぼすべての人が中産階級である平等社会なのである。
・もし日本の政策決定者がワシントン・コンセンサスの要求に屈するなら、日本は大量失業、社会的まとまりの崩壊という解決が極めて困難な問題を抱えることになり、西欧社会と同質なものとなるだろう。
**ここのところは、十分に検討する必要がある。分かれ道は存在したかもしれない。
・アジア的自由、というよりも融通無碍さが教条主義的な対立を回避している。資本主義発展にはいくつもの道があるという考え方。
□□8.レッセフェール時代の終焉
・(規制を排除した)自由市場では、ルールさえ明確にさせれば市場参加者が形成する未来への期待の集合は合理性を内包している…と新自由主義者は主張する。《合理的期待形成》
・だが、実際の自由市場は、ジョージ・ソロスの云う「反射的相互作用」が支配している。
*市場は、特に自由市場は、行き過ぎる能力は持っている。自律的・合理的に歪みを調整する機能や、能力を持っていると証明されたことはない。
・景気循環は時代遅れのものになったという盲信は、アラン・グリーンスパンによってお墨付きを与えられた。
・グローバルな自由放任主義は、世界の株式市場と金融機関に制御不可能な危機が発生して崩壊するのかもしれない。金融デリバティブという巨大で全貌を知ることができないバーチャル経済が制度的崩壊の危機を増大させる。
ー 以上
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