2013-08-15

『アベノミクス、限界に近づく』WSJ

ウォールストリートジャーナル 【社説】  2013年 8月 13日 

『アベノミクス、限界に近づく』 - 要約 -
  
 8月12日に発表された成長率(第2四半期(4-6月)年率2.6%)がエコノミストの予想に達しなかった大きな理由は、企業投資の不振で、この部門は誇大にもてはやされてきた安倍晋三首相の経済再生計画の水準に達していない。投資の伸びのほとんどは、政府の刺激策と東日本大震災の復興支出によるものだ。これはアベノミクスが約束したものではない。

 金額ベースでなく数量ベースでみた輸出も回復しており、3カ月移動平均で見ると、6月は2月以降12%伸びている。だが、オリエンタル・エコノミスト・アラートのリチャード・カッツ代表によると、これは2008年の水準を依然25%も下回っている。そしてこの伸びの大部分は、中国向け輸出によるものだ。両国間貿易は昨年の政治的緊張で減少したあと、やっと部分的に回復している。

 こうしたことは全て、これまでに実施されたアベノミクスの弱さを示している。予想されたように、財政拡大は期待された乗数効果をもたらしていない。また、急激な金融緩和とこれに伴う円安も持続的成長を促していない。日本の企業は海外で値下げして市場シェアを拡大しようとしておらず、同じ外貨建て価格で販売して得られた収入を円建てに換算して利益を膨らませている。

 超円安が持続しないことが分かったことから、円の対ドル相場が1ドル=約102円に下落してから3カ月もたたないうちに96円程度にまで上昇したことは驚きではない。円安で輸出と輸出利益が増え、その主たる結果として考えられていた賃金上昇は、そのほとんどが1回限りのボーナスによるもので、基本給は小幅減少した。これも企業は景気拡大が長続きするとは確信していないことをうかがわせる。

 日本の経済政策をめぐる議論は、第2四半期のGDP統計が安倍首相が来年4月に消費税を現在の5%から8%に引き上げるに十分なだけ強力かどうか、という点ばかりに終始している。増税は経済がまずまず健全な時にしか実行できない。

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(1)前原外相時代に引き起こされ安倍中国敵視政策として継続されている中国外交の失敗によって、日本経済は中国経済成長の果実を取り込むことができていない。
 米国は米中関係を対日関係より重要視していることは、首脳会談の開催や国務大臣・国防大臣の度重なる相互訪問、大規模な戦略的会話の開催によっても明らかだ。
(2)アベノミクスの成果は、実は野田時代と地続きの株高・円安、大規模財政支出によって支えられているが、いまだ自律的成長を促してはいない。
(3)経済的成果は輸出大企業に専ら取り込まれている。選挙前に唱えられた、賃金上昇は掛け声だけに終わっている。安倍約束はここでも果たされていない。
(4)ここにきて消費増税に関し消極的な意見表明がなされているように見えるが、野田”ポチのポチ”政権時にすでに(昨年6月)決着済みであり、関連法案は着実に成立されており、政権・マスコミ一体のポーズあるいは茶番だと思える。
(5)国民や国会審議を差し置いて、政府首脳によって勝手に約束された国際公約が優先されるのはおかしい、というのはそのとおりだろうが、TPPを見れば分かるように国境線を超えて、国際的なつまりはグローバル資本の意思が貫徹できるように世の中はすでに組み替えられていると思える。EUにおいても首脳たちが会議で約束したものが、国家の上位におかれているように思える。


2013-08-11

Bluetooth イヤホン


Sony SBH20 Mac OSX 設定

SonyのとってもちっちゃなBluetoothヘッドセットに、いいね!

夜遅くに大きな音で音楽やムービーを聴きたくなる時がある。もちろんそこはこらえて、周囲の迷惑を考えスピーカーのボリュームは絞っている。そのストレスから解放されたいが、ヘッドフォン/有線で本体と繋がれているのもイヤだ。無線で身動きの自由が確保できて手軽にそこそこの音質で聞けるイヤホンの出現を待っていた。
これまではBluetoothは音質が悪いし、接続にも問題があるとの評判だった。
オーディオについて色々参考にしているLeanAudio氏が、最近Bluetoothイヤホンを手に入れて詳しくその性質や性能についても書いているブログ記事をみて、わたしも購入する気になった。

手に入れたのは、つい最近発売されたSonyのヘッドセットSBH20。Amazonで3700円程度と安い。
Amazonのいくつかのレビュー通り、セットされているイヤホンは素人のわたしでもちょっと納得いかない音質だったが、レシーバー本体のその小ささ/軽さ、接続のイージーさ、そして音楽再生6時間/待機200時間というバッテリー性能…は気に入った。
腕時計の本体くらいの小ささのレシーバーだが、イヤホンジャックが備わっているので手持ちのイヤホンに取り替えられるのもいい。

iPhoneには、問題なく接続できた。
ところがMacMini/OSX マウンテン・ライオンに接続すると、音割れ&音飛びが起きた。うわさ通りのBluetoothの悪さがでた。ありゃこれはしまったと思わされた。

そこでまずSBH20をマニュアルを参考にリセットした。音飛びが解消した。
そして、システム環境設定を開いてBluetoothとスピーカーの設定をしたのだが、これではうまく行かなかった。



そこで、Google先生に教えてもらって、デスクトップ画面上部のメニューバーのスピーカーマークをキーボードのオプションキーと同時にクリックすると、メニューに”SBH20”とは別に”SBH20 Stereo”と云う項目が現れる。これにチェックマークしなおすと、問題は解決されて、音割れなし/音飛びなしのイヤホン本来のクリアーな音が流れだした。

いや、満足! 

ウォーキング時には、iPhoneとイヤホンが切り離されて、コードに邪魔/制限されることなくiPhoneをポケットに入れてもバッグにしまっておけるし、必要なら取り出してiPhone本体をいじってアプリ操作も自由にできるし、さらに軽快になった。

レシーバー単体で購入できるチョイスがあってもいいが、付属のイヤホンが使えなくてもこの値段ならコスパも悪いとは言えない。



2013-08-01

逆さまの全体主義  ーシェルドン・ウォーリン


 逆さまの全体主義
    ー企業権力に支配されたアメリカ政治の病理ー
                                2003年5月19日付 米ネイション誌プリンストン大学 名誉教授
  シェルドン・ウォーリン



 イラク戦争がアメリカ市民の注目を独占したために、自国で起きている体制の変動(regime change)を目立たなくする結果となった。われわれは、イラクにデモクラシーをもたらし全体主義体制を倒すために侵攻(invade)したかもしれないが、その過程でわが体制の方が全体主義に近づき、デモクラシーがさらに弱まりつつあるのではなかろうか。こうした変動は、以前にはめったにアメリカの政治体制に適用されることのなかった二つの政治用語が突如、一般化したことに暗示されている。すなわち、「帝国」(Empire)と「超大国」(superpower)という表現はともに、集権的で膨張的な新しい権力のシステムが出現し、既存の用語に取って代わったことを示唆している。「帝国」と「超大国」は、正確にはアメリカの対外的な権力行使を象徴する表現であるが、それだけにアメリカ国内への諸影響を覆い隠すものとなっている。もしわれわれが「アメリカ帝国憲法」("the constitution of the American Empire")とか「超大国デモクラシー」("superpower democracy")などといった言い方をしたなら、いかに奇異に聞こえるか想像してみてほしい。こうした言葉遣いがおかしく響くのは、「憲法」が権力の制限を意味し、「デモクラシー」が通常、政府への市民の積極的な関与と市民の意向への政府の応答を指すものだからである。「帝国」と「超大国」は、権力の制限からの逸脱と一般市民の萎縮を意味している。

 国家権力の拡大とその国家権力の統制を目的とした諸制度の衰退は、かなり前から見られる現象である。アメリカの政党システムは、評判の悪いものの一例である。アメリカ史においては珍しい現象であるが、共和党がきわめて教条的、熱狂的、無慈悲で、反民主的な政党と堕し、辛うじて過半数を占めているにすぎないにもかかわらず、多数党であると豪語する有様である。このように共和党がイデオロギー的に不寛容になっているなかで、民主党はリベラルの看板と批判精神を有し改革を志向する同党の支持層を捨てて、中道主義(centrism)を奉じ「イデオロギーの終焉」を補強している。真の反対党であることをやめることで、民主党は、国外で帝国化の促進を、国内では企業権力(corporate power)を促進するためにその権力を用いたがっている共和党の政権への道を容易なものとしている。20世紀のあらゆる全体主義体制において、大衆的基盤を有しイデオロギーに駆られた、無慈悲な政党は、決定的に重要な要素であった。

 代議制度はもはや、アメリカの有権者を代表していない。逆に代議制度は麻痺状態にあり、制度化された賄賂のシステムによって着実に腐敗してきた。この賄賂システムによって代議制度は、大企業や最富裕層を支持者とする有力な利益集団の意に沿うようになった。裁判所については、次第に企業権力の手先となり、さらに一貫して国家安全保障の要求を尊重している。選挙は、巨額の資金が費やされながら、せいぜいで有権者の半分しか投票に参加しない単なる行事と化した。また、その有権者が得る国内・国際政治に関する情報も、企業が支配するメディアのフィルターを通した偏ったものとなっている。市民は、横行する犯罪やテロリストのネットワークに関するメディアの報道や、検事総長によるあけすけな脅し、失業の恐怖などによっていいように操作されて、不安な心理状態に置かれている。ここで決定的に重要なのは政府権力の膨張だけでなく、立憲主義的な制限に対する不信感がとどめようもないものとなっており、市民を幻滅させ、政治的無関心の状態におく制度的過程が存在していることである。

 以上の意見が一部の人間から心配しすぎであるとして簡単に片付けられてしまうであろうことはあきらかであるが、わたしはさらに議論を進め、現れつつある政治体制を「逆さまの全体主義」(inverted totalitarianism)と名づけたい。この「逆さま」ということで、わたしが云わんとするのは、既存の体制とその運用における無制限の権力と攻撃的な膨張主義に対する激しい欲求の点ではナチズムと共通している一方で、その手法や行動はナチズムとは逆であるように思われることである。たとえば、ナチスが政権に就くまえ、ワイマール・ドイツでは、街頭は全体主義を志向するごろつき集団に占められ、デモクラシーがあるとすれば政府内に限られていた。しかしアメリカでは、きわめて活発なデモクラシーは街頭に存在し、真の危険は暴走し次第に抑えが効かなくなってきた政府にある。

 「逆さま」のもう一つの例を挙げよう。ナチスの支配下にあっては大企業は明らかに政治体制に服従していた。しかし、アメリカではこの数十年間、企業権力が政治的エスタブリッシュメントにおいて、とりわけ共和党においてきわめて優越した立場にあり、政策にも大きな影響力をもったために、ナチス期とは正反対の形での立場の逆転が生じたことである。同時に、ナチス支配下において全体主義化の推進力は「生存圏」(Lebensraumu)といったイデオロギー的観念によって供給されたが、今日のアメリカで全体主義化の推進力を生み出しているのは企業権力である。この企業権力は、資本主義の原動力や、科学技術と資本主義との統合によって入手可能となった無限膨張的な力を代表している。

 アメリカ国内には、ナチス体制下の拷問や強制収容所、その他のテロルの装置に相当するものは存在しないという反論もあろう。しかし、われわれはつぎのことを想起すべきである。すなわち、ナチスによるテロルは、たいていの場合、国民一般に直接向けられたものではなくて、むしろ、拷問のうわさなどによるある種の漠然とした恐怖を広めることが目的であった。そして、こうした恐怖によって、大衆を管理したり操作することが容易となったのである。もっと言えば、ナチスは、国家のための際限のない戦争や膨張、献身を熱心に支持する、動員された社会を望んでいた。

 ナチスは大衆に集団のもつ力や強さの感覚、「喜びによる強さ」(Kraft durch Freude)を付与しようと努めたが、「逆さまの全体主義」は弱さの感覚、集団的無力感を助長している。ナチスは、継続的に動員された社会、すなわち、不平を言わずに体制を支持するだけでなく、定期的な国民投票において熱狂的に賛成票を投じてくれる社会を欲したが、「逆さまの全体主義」は誰も投票しない、政治的に動員解除された社会を望んでいる。9月11日の大惨事の直後にブッシュ大統領が発した言葉を思い出してほしい。かれが不安がる市民に向かって言ったことは、「団結し、お金を使ってください。そして飛行機に乗ってください」("Unite, consume, and fly")であった。テロを戦争になぞらえながらも、ブッシュは戦時における民主的指導者に慣例となっていることを避けた。すなわち、市民を動員し、差し迫った危険についての警告を発し、市民全員に戦争への参加や協力を強く勧めるといったことをしなかったのである。「逆さまの全体主義」は、すでに一般化した不安をさらに煽る手段を有している。突然の警報や定期的な発表である。発表されるのは、最近発見されたテロリスト集団に関するものや、怪しい人間の逮捕、外国人に対する厳重な取り扱い、グアンタナモ湾の地獄島、拷問を用いた、もしくはそれに近い尋問法に急に興味をもつことなどに関するものである。しかし不安を煽る手段は、こうした警報や発表だけではない。容赦のないリストラを行う企業経済や、年金や医療給付の廃止や削減によって不安感を拡げることもある。とりわけ貧困層に対して、社会保障やただでさえ小額の医療給付を自己負担にするぞと情け容赦のない脅しをする企業寄りの政治システムもまた不安を醸成している。そして「逆さまの全体主義」において、不確実性と従属性を強めるこうした諸施策に加えて、厳罰主義を採り、死刑を積極的に容認し、常に弱者に厳しい偏向を有する刑事司法システムが用いられることは、過剰殺戮に近いものがある。

 かくして、諸要素は揃った。弱い立法府。迎合的でありながら、抑圧的でもある司法制度。与党としてであれ野党としてであれ、コネを多くもつ富裕層や企業からなる支配階級(ruling class)を常に支えるべく既存の体制を再編することに熱心な共和党が存在する政党システム。より貧しい市民を無力感と政治的絶望感のなかに放置する政党システム。同時に、失業の恐怖とニュー・エコノミーの回復による途方もない報酬への期待とのあいだで中産階級をやきもきさせる政党システム。こうした構図をいっそう推し進めているのは、迎合的で次第に一極化しつつあるメディアや、後援企業と結びついた大学、豊富な研究資金を提供されたシンク・タンクや保守的な財団・基金といった形に制度化されたプロパガンダ装置である。さらに、テロリストや疑わしい外国人、国内の反体制派の特定を目的とする国家の法執行機関と地方警察とのあいだの協力関係も深まりつつある。

 われわれが直面している問題は、かなり自由な社会から20世紀の極端な体制の一変種への意図的な変容がはかられていることにほかならない。この脈絡において、2004年の大統領選挙は、危機(crisis)の元来の意味である岐路(turning point)となろう。市民に投げかけられた問いは、いずれの道をとるかにある。
(2003.8.3, 2004.2.9一部修正)
                                   (訳者=中野 直樹)
Original Title: "Inverted Totalitarianism", The Nation, May 19, 2003.
Author: Sheldon Wolin.

※本稿は、杉田敦氏による既訳「逆・全体主義」(『世界』8月号、岩波書店、所収)を一部参考にして、訳出したものである。
  なお副題は、訳者が書き加えたものであることを付記する。