2015-11-06

ロイターコラム:潜在成長率回復を阻む「真犯人」=河野龍太郎氏

 2015年 11月 5日 18:35 JST ロイター 
 多くの政策当局者がケインズ流のシンプルな「所得・支出アプローチ」ばかりで政策を語るようになったことは気がかりだ。日銀のように「期待に働きかける」などと装いを新たにするところもあるが、総需要喚起という点では、基本的な発想は変わらない。問題は、こうしたモデルでは政策規模が大きくなるほど効果も大きくなるといった結論しか得られないことである。効果が現れなければ、それは政策が十分ではないということになり、規模ばかりが追求される。 私たちは、個人消費が弱いとか、設備投資や輸出が弱いとか、とかく総需要の低迷を問題にしがちである。しかし、そうした支出の弱さには、単に需要が低迷しているといった分析では捉えられない問題が潜んでいる。

 <円安誘導政策は内需部門への課税、輸出部門への補助金に等しい>
 1つの問題は、私たちの所得獲得能力(付加価値の生産能力)が低下していることだ。潜在成長率そのものが低下している。短期的には、借り入れや資産売却を行うことで、所得以上の支出は可能である。しかし、永久に借り入れを増やすことはできないし、資産を切り売りすることもできない以上、私たちの支出は平均的に見れば、所得の伸びに規定され、その所得の伸びは付加価値を生産する私たちの能力、つまり人的資本によって決定される。
 この人的資本については、マクロ的に見ると大きく分けて2つの問題に我々は直面している。1つは少子高齢化の影響で、労働力の頭数そのものが減少していること。もう1つは、平均的な労働者の生産性の伸びが足踏みしていることだ。これらは、金融緩和で資産価格を一時的にかさ上げしても、解決される問題ではない。
 むしろ、アグレッシブなマクロ安定化政策を行って総需要を刺激すると、ぬるま湯となり、現状を変えるインセンティブが働かず、現状維持が積極的に選択されるケースが少なくない。この議論は神学論争になるので止めておくが、問題はアグレッシブな政策の長期化や固定化が、資源配分や所得分配を歪め、潜在成長率そのものを抑制することだ。
 1990年代以降の日本では、個人消費の回復の遅れが常に問題だった。そして、内需が脆弱で、追加財政を永久に続けることができない以上、輸出主導の景気回復を目指さざるを得ず、その場合、個人消費の回復が企業部門に比べて遅れるのは止むを得ないとされてきた。
 2000年代以降の日銀の「所得・支出アプローチ」が典型だが、2012年末に始まったアベノミクスでは明確にトリクルダウン(浸透)政策だと説明された(金利低下や円安によって、まずは企業の業績が回復し、最後に家計の所得が増えて個人消費が回復するのだと)。
 2000年代の長期の景気拡大局面では、円安によって輸出数量は大幅に増加し、輸出企業の設備投資が増えるところまでは何とか到達した。しかし、家計部門の実質所得の増加までには至らず、個人消費の明確な回復も見られなかった。戦略そのものが間違っていた可能性が大きいのだが、政策は再検討されず、むしろアグレッシブな金融緩和で超円安を目指すという戦略が採用された。それが2012年末から始まったアベノミクスだが、今回は超円安にもかかわらず、輸出数量の増加というプロセスの最初の部分も達成されていない。

 「所得・支出アプローチ」に固執すれば、効果が現れないのは、政策の規模が十分ではないからであり、効果が現れるまで、さらに金融緩和を追求し、一段の円安に誘導すれば良いという政策提言につながる。しかし、この政策は、内需部門に課税し、それを原資に輸出部門に補助金を与える政策に他ならない。日本では、製造業に比べて非製造業の生産性の低さがしばしば問題にされてきた。しかし、製造業が良く見える理由の1つは、円安という補助金が与えられているからではないか。
 製造業の経済活動が活発となれば、経済全体における利用可能な経済資源は限られているから、非製造業は利用できなくなる。人々が欲するサービスを新たに生み出す成長企業が非製造業から現れないのは、円安誘導策の弊害ではないのだろうか。そのことは、明らかに潜在成長率の低下要因となる。また、魅力的なサービスが非製造業から提供されないため、そのことも個人消費の回復の足かせとなる。
一方で、超円安という補助金を受け取る輸出部門が投資プロジェクトを国内で増やすと、そのことは、極端な円安の下でしか採算の取れない生産能力を増やすことになる。リーマンショック前の極端な実質円安を背景に電機セクターが国内で過剰ストックを積み上げたのは、その典型例だ。収益性の低い資本ストックを増やすことが潜在成長率の回復につながらないことは明らかだろう。

<分配の歪みもGDP低迷要因に、問われるマクロ経済運営の目的>
 振り返れば2000年代半ばに実質円安という極端なカンフル剤が打たれなければ、電機セクターは経営判断を誤ることもなく、国内生産能力の拡充の代わりに、収益性の高い新規ビジネスに打って出た可能性がある。もし革新性やデザイン性、コンテンツに自信があるのなら、生産工程を全て外部化しファブレス企業に進化することもできた。電子機器の受託製造サービス(EMS)やファウンドリーに進化し、モノづくりで徹底的に勝負するという選択もあり得ただろう。
 過剰ストックを積み上げた電機セクターの苦境は明らかだが、経済資源を奪われ、成長分野の出現を阻害された内需セクターのデメリットについては、出現しなかったがゆえに、計測不能で忘れがちである。
 いずれにせよ、2000年代に潜在成長率が低下した理由は、単に労働力が減少しただけでなく、超金融緩和の長期化・固定化を背景とした超実質円安の下で、収益性の低い過剰ストックが積み上がり、生産性上昇率も低迷、その後の資本蓄積が滞ったことが影響したと筆者は考えている。
 このことは、2010年代初頭にはすでに明らかだったはずだが、こともあろうに2012年末に開始されたアベノミクスで全く同じ過ちが繰り返されてしまった。正確に言うと、過ちを犯したのは政策当局だけで、輸出企業は当時の電機セクターの失敗に学び、極端な実質円安が進んでいるにもかかわらず、誘惑に耐え、今のところ国内投資を積極化させていない。
 とはいえ、今回は問題が小さいとも言い切れない。確かに過剰ストックが積み上がるという資源配分の問題は観察されていないが、大幅な実質円安の進展によって、所得分配が大きく歪められ、個人消費の回復を明らかに阻害している。分配が歪められても、現象面としては国内総生産(GDP)が低迷する要因となる。
 前述した通り、「所得・支出アプローチ」に立つと、基点の輸出増を何とか達成しようと、景気回復が始まった後も、金利を低く抑え、円安に維持しようとする。それでも所期の効果が得られないのなら、アプローチが間違っていると考えても良さそうだが、さらにアグレッシブな金融緩和を行い、円安を助長したのがアベノミクスである。
 しかし、その結果、家計の実質所得が抑制され、個人消費はさらに低迷している。筆者は早い段階から懸念を表明していたが、2014年年初に経済が完全雇用の領域に入ったため、円安になっても輸出数量はなかなか増えない状況になっていた。経済が完全雇用に達し、円安になっても、輸出数量が増えていない以上、円安は単に家計から輸出企業への所得移転に堕している。
 所得制約に直面し支出性向の比較的高い家計部門から、キャッシュ・リッチで支出性向の低い輸出企業に所得を移転することは、一般論として、景気拡張的に働くと言えるだろうか。
 もちろん、輸出企業の業績改善を反映して株価は上昇しているが、日本では株式を保有するのは限られた富裕層であり、その支出性向も当然、一般の家計に比べれば相当に低い。インバウンド消費が刺激されているといっても、要は外国人に対して大安売りを行っているだけであり、その代償に食料やエネルギーなどの日用品購入に日本人が割高なコストを強いられているのなら、一体何を目的にマクロ経済運営を行っているのかということになる。

<円高アレルギーが市場メカニズムによる景気回復の波及を遮断>
 ケインズ流の「所得・支出アプローチ」の視点に立った政策は、資源配分の歪みが多少生じるとしても、数量増で未稼働資源が減少することによって、何とか実行が正当化されていた。数量が増えていなければ、こうした政策は資源配分や所得分配を歪めるだけで、全く正当化されない。個人消費が弱いのは消費増税の後遺症だけではなく、円安によって家計部門の実質購買力が抑制されているためである。原油安のプラス効果がなかなか現れない理由の1つも、円安がその効果を相殺しているためだ。

 「所得・支出アプローチ」に囚われていると陥りやすい誤りなのだが、起点の輸出増を促そうとする努力が、終点の個人消費の足を引っ張ってしまう。新古典派的なメカニズムで考えると明らかだが、本来、景気回復が進めば、金融市場では市場金利が上昇し、そのことによって為替市場では円高圧力が生まれる。景気回復で短期的な自然利子率が上昇し、為替の均衡レートも増価するのである。そして金利上昇は家計の利子所得を増やし、円高は輸入物価の低下を通じ実質購買力を一段と改善させる企業部門が改善すれば、その恩恵は家計部門にも当然広がっていくが、その経路は雇用者所得を通じたものだけでなく、金利上昇や円高を通じたメカニズムも存在する。
 しかし、輸出への悪影響を恐れ、我々は、いつまでも金利上昇を回避し、円高を回避しようとして、市場メカニズムがもたらす景気回復の波及を遮断してきた。家計部門を痛めつける政策を20年も続けているのだから、個人消費が回復しないのも無理はないだろう。2000年代の長期の景気拡大局面において、企業部門は相当に潤ったが、家計部門への波及は限られていた。今回も、企業業績は大幅に改善しているが、家計部門は利子所得の上昇や円高を通じた実質購買力の改善を全く味わうことなく、いずれ後退局面を迎えるのだろうか。
 ゼロ金利政策や大量の国債購入政策、それらがもたらす実質円安を前提にした経済主体が増えれば増えるほど、収益性の低いビジネスばかりが増え、我々はますます、低成長から抜け出すことができなくなり、結局、政策も終わりを迎えることができなくなる。日本だけのストーリーとして終わるのだろうか。あるいは、この問題でもまた日本がフロントランナーとなるのだろうか。

*河野龍太郎氏は、BNPパリバ証券の経済調査本部長・チーフエコノミスト。横浜国立大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)に入行し、大和投資顧問(現大和住銀投信投資顧問)や第一生命経済研究所を経て、2000年より現職。

2014-03-10

Al Jazeeraが伝える311 アーカイブより


Radiation-leak fears at Japan plant - Asia-Pacific - Al Jazeera English リンク

Third explosion hits Fukushima Daiichi nuclear-power complex since earthquake and tsunami crippled its cooling systems.

このYoutubeには、フクシマ第一の爆発映像があります



日本の出来事が、こうしてきちんとまとめられて、ジャーナリズムとして伝えようとしていることに、感心します

2014-03-07

長谷川三千子『民主主義とは何なのか』第四章インチキとごまかしの産物−人権

長谷川三千子『民主主義とは何なのか』  2001年文春文庫

第一章 「いかがわしい言葉」 デモクラシー
要約へのリンク http://manomasumi.blogspot.jp/2014/03/blog-post.html

第二章 「われとわれとが戦う」病い 第三章 抑制なき力の原理 「国民主権」
要約へのリンク http://manomasumi.blogspot.jp/2014/03/blog-post_4.html

第四章 インチキとごまかしの産物 人権  要約

 仏教に「悉有仏性」(しつうぶっしょう)すべてのものにはことごとく仏性がそなわっているという教えがある。すべての人間のみならず万物が平等であるという思想なのである。
 悟りをひらくことの第一歩は、何かを「権利」として要求するようなさもしい根性を洗い流すことにあるのであり、「自由」とはまさにそのような執着から自己の心身を解き放つことにある。
 …そうした立場から見れば、次の「独立宣言」の一節は、ただ嗤うべき矮小さ、そのものでしかない。
 「われわれは、次の真理を自明のものと信じる。すなわち、すべての人間は平等につくられている。すべて人間は創造主によって、誰にも譲ることのできない一定の権利を与えられている。これらの権利の中には、生命、自由、及び幸福の追求が含まれる」 
 宗教といえばキリスト教しか知らない、当時のアメリカ植民地人にとっては、これは十分に「自明の真理」であったに違いない。
 ところで、「独立宣言」を手本として作られた「人権宣言」においても、「人の譲渡不能かつ神聖な自然権」という権利には、それに見合った「神聖な義務」については完全な沈黙がある。これは一方的な義務なき権利なのである。
 一口に言って「人権」の概念は、こっそり裏側では神に頼り、神のご威光によって正当化しておきながら、それと一対となるべき「神への義務」に頬かむりを決め込んでいる、そういう代物なのである。

 人民が結束して政府を作るのは、「人権」の確保のためであり、「国民主権」のもとで人民が同意を与えたとき、はじめて正当な政府として認められる、という筋書きがある。政府がその大目的に肯かなくなったとき、人民はその政府を改廃する権利を持つという筋書きである。国家の指導者を悪玉扱いして引きずり落とそうとする性癖がギリシャの時代からあった。デモクラシーとはその性癖をイデオロギーとして掲げる運動なのだ。人権はこの運動の原動力として使われている。

 わたしたちには権利があるという発想は、本来は知恵を出し合って解決してゆかなければならない問題を、権利を主張しあうことでいたるところで単なる闘争に変えている。権利の概念が人々の思考停止を招いているのである。
 そして様々な権利の合唱の果てに、「絶対的恣意的権力」の幻だけが残って、結局は国家や大企業が悪者である、という気分のみが漂うことになる。
 「人権」の呪縛を断ち切ったとき、はじめて我々は本当の「国民のための政治」を考える出発点に立つことが可能なのである。


----以上、民主主義擁護の立場からではなく、著者の言わんとしたことにできるだけ忠実に要約したつもりである。言葉遣い・引用は原文そのままではない。孫引きには適しません。

第一章 「いかがわしい言葉」デモクラシー
第二章 「われとわれとが戦う」病い
第三章 抑制なき力の原理 国民主権
   国民に理性を使わせないシステムとしての国民主権
   惨劇を生み出す原理--国民主権
第四章 インチキとごまかしの産物 人権
   義務なき権利
   独立宣言のインチキ
   革命のプロパガンダとしての人権
   人権 この悪しき原理
   とどまるところを知らない「人権」の頽廃
結語  理性の復権

ー 完 ー

2014-03-04

長谷川三千子『民主主義とは何なのか』第三章抑制なき力の原理「国民主権」

長谷川三千子『民主主義とは何なのか』  2001年文春文庫

第一章 「いかがわしい言葉」 デモクラシー
要約へのリンク http://manomasumi.blogspot.jp/2014/03/blog-post.html

第二章 「われとわれとが戦う」病い
 ギリシャにおける政治の変遷
 民主制・僭主政
 本物の僭主、狼と化した指導者は、近代デモクラシーにおいて、あるいはロベスピエールとして、あるいはヒトラーとして出現したのではなかったか?これらの怪物がどこから生まれてきたのかを見ようとせずに、ただ「恐怖政治」「ナチズム」「ファシズム」と読んで、それと敵対するのみなのである。

第三章 抑制なき力の原理 「国民主権」

主権とはなにか
 「主権とは国家の絶対的で永続的な権力である」とジャン・ボダンは定義する。つまり、国家は自らの法を定め、国政を行うにあたって、他からの権力に従うことなく、独立してそれを行いうる、ということである。主権概念の定義付けの出発点において、対外的な主権と国内的な主権とが、同じ一つの概念として、表裏一体にして定義づけられていることを忘れてはならない。国家主権を忘れて国民主権にかまけるということは、本来通用しないのである。
 絶対王政において専制君主に属する国家権力・政治権力は「正しさへの義務」と王権神授説的な根拠付けが一対となって結びついていた。君主主権そのものが専制君主の圧政を許すものではなく、フランス革命をそれへの反抗として当然のように起こったと見るのは単純に過ぎる。

英国の政治体制 立憲君主制
 英国では、その成り立ちから征服王と土着の国民との間に分裂と対立をはらんではいるが、王権と慣習法との均衡と調和の政治が行われていた。
 慣習法とは、歴史的に形成された過去の無数の人々の叡智と体験の結晶であり、また起源を知ることができない。

 英国の国政は、ボダン流の主権論が入り込むことによって、本来の形から大きく逸らされてしまったのであるが、そこから再び「古来の憲法」を見出すというかたちで、むしろそれまで以上に明確な自己自身を回復した。 英国の革命は、レヴォリューション=転がって再びあるものへと立ち返ること、「回帰としての革命」であった。分裂と対立の病を克服して自己自身を回復したところにその核心がある。
 英国人たちには、先人の知恵を尊び、現代の人間たちの傲慢を抑えるという伝統が出来上がっていた。

 フランス的な「国民主権」の概念は、英国の国政が例外的にコントロールを失い、国王対国民の対立がむき出しの「闘争」となったことに刺激され、君主主権を逆転して、国民の力を国政の支配者に立てる、という形で出来上がったのである。これは、大陸の主権論と英国の憲法とが、最も不運な結びつきをしたところに出現した。
 一口に言えば「国民主権」の概念は「抑制装置を取り外した力の概念」である。この概念は国の内側に対しても外側に対しても、歯止めのない暴力性・闘争性を発揮した。
 多くの人々は近代戦争が陰惨で激越なさまを眺めて、「ナショナリズム」の引き起こしたものであると考える。しかしそれは国家主権と表裏一体の国民主権の概念が、外側に対して発揮したものなのだ。

 国民主権の歴史的性格は、今もなお、民主主義の中心的理念の一つとして、その毒を発し続けている。

----以上、民主主義擁護の立場からではなく、著者の言わんとしたことにできるだけ忠実に要約したつもりである。言葉遣い・引用は原文そのままではない。孫引きには適しません。

第一章 「いかがわしい言葉」デモクラシー
第二章 「われとわれとが戦う」病い
第三章 抑制なき力の原理 国民主権
   国民に理性を使わせないシステムとしての国民主権
   惨劇を生み出す原理--国民主権
第四章 インチキとごまかしの産物 人権
   義務なき権利
   独立宣言のインチキ
   革命のプロパガンダとしての人権
   人権 この悪しき原理
   とどまるところを知らない「人権」の頽廃
結語  理性の復権

2014-03-01

荒れ野の40年 Richard von Weizsäcker

荒れ野の40年
 ワイツゼッカードイツ連邦大統領演説(全文)
       1985年5月8日

5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。

われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべておりす。
ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。
戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。

ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。

虐殺されたジィンティ・ロマ(ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。

銃殺された人質を思い浮かべます。
ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。

ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス——これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。

積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。

はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。

死者への悲嘆、
傷つき、障害を負った悲嘆、
非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、
空襲の夜の悲嘆、
故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、
捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆——こうした悲嘆の山並みです。

今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。
人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。

彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです(拍手)。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守りつづけたのは彼女たちでした。

暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。ヒトラーは公けの場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としたのです。ヒトラーは1945年 4月30日の(自殺による)死の前日、いわゆる遺書の結びに「指導者と国民に対し、ことに人種法を厳密に遵守し、かつまた世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対し仮借のない抵抗をするよう義務づける」と書いております。

歴史の中で戦いと暴力とにまき込まれるという罪——これと無縁だった国が、ほとんどないことは事実であります。しかしながら、ユダヤ人を人種としてことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。

この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。しかしながら、ユダヤ系の同国民たちは、冷淡に知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには公然と憎悪を投げつけられる、といった辛酸を嘗めねばならなかったのですが、これはどのドイツ人でも見聞きすることができました。

シナゴーグの放火、掠奪、ユダヤの星のマークの強制着用、法の保護の剥奪、人間の尊厳に対するとどまることを知らない冒涜があったあとで、悪い事態を予想しないでいられた人はいたでありましょうか。

目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。

良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。戦いが終り、筆舌に尽しがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。

一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。

人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。

今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。

ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。

問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。

まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。

物質面での復興という課題と並んで、精神面での最初の課題は、さまざまな運命の恣意に耐えるのを学ぶことでありました。ここにおいて、他の人びとの重荷に目を開き、常に相ともにこの重荷を担い、忘れ去ることをしないという、人間としての力が試されていたのであります。またその課題の中から、平和への能力、そして内外との心からの和解への心構えが育っていかねばならなかったのであります。これこそ他人から求められていただけでなく、われわれ自身が衷心から望んでいたことでもあったのです。

かつて敵側だった人びとが和睦しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか—— このことを忘れて五月八日を思い浮かべることはわれわれには許されません。ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジィツェ村で虐殺された犠牲者たち(1942年、ナチスの高官を暗殺したことに対する報復としてプラハ近郊のこの村をナチスは完全に破壊した。)——われわれは本当にその親族の気持になれるものでありましょうか。

ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信がしだいに深まっていく必要がありました。

ドイツの側では故郷を追われた人びとが一番の辛苦を味わいました。五月八日をはるかに過ぎても、はげしい悲嘆と甚だしい不正とにさらされていたのであります。もともとの土地にいられたわれわれには、彼らの苛酷な運命を理解するだけの想像力と感受性が欠けていることが稀ではありませんでした。

しかし救援の手を差しのべる動きもただちに活発となりました。故郷を捨てたり追われた何百万人という人びとを受け入れたのであります。歳月が経つにつれ彼らは新しい土地に定着していきました。彼らの子どもたち、孫たちは、いろいろな形で父祖の地の文化とそこへの郷土愛とに結びついております。それはそれで結構です。彼らの人生にとって貴重な宝物だからであります。

しかし彼ら自身は新しい故郷を見出し、同じ年配の土地の仲間たちと共に成長し、とけ合い、土地の言葉をしゃべり、その習慣を身につけております。彼らの若い生命こそ内面の平和の能力の証しなのであります。彼らの祖父母、父母たちはかつては追われる身でした。しかし彼ら若い人びと自身は今や土地の人間なのです。

故郷を追われた人びとは、早々とそして模範的な形で武力不行使を表明いたしました。力のなかった初期のころのその場かぎりの言葉ではなく、今日にも通じる表白であります。武力不行使とは、活力を取り戻したあとになってもドイツがこれを守りつづけていく、という信頼を各方面に育てていくことを意味しております。

この間に自分たちの故郷は他の人びとの故郷となってしまいました。東方の多く古い墓地では、今日すでにドイツ人の墓よりポーランド人の墓の方が多くなっております。

何百万ものドイツ人が西への移動を強いられたあと、何百万のポーランド人が、そして何百万のロシア人が移動してまいりました。いずれも意向を尋ねられることがなく、不正に堪えてきた人びとでした。無抵抗に政治につき従わざるをえない人びと、不正に対しどんな補償をし、それぞれに正当ないい分をかみ合わせてみたところで、彼らの身の上に加えられたことについての埋合せをしてあげるわけにいかない人びとなのであります。

五月八日のあとの運命に押し流され、以来何十年とその地に住みついている人びと、この人びとに政治に煩らわされることのない持続的な将来の安全を確保すること——これこそ武力不行使の今日の意味であります。法律上の主張で争うよりも、理解し合わねばならぬという誡めを優先させることであります。

これがヨーロッパの平和的秩序のためにわれわれがなしうる本当の、人間としての貢献に他なりません。

1945年に始まるヨーロッパの新スタートは、自由と自決の考えに勝利と敗北の双方をもたらすこととなりました。自らの力が優越していてこそ平和が可能であり確保されていると全ての国が考え、平和とは次の戦いの準備期間であった——こうした時期がヨーロッパ史の上で長くつづいたのでありますが、われわれはこれに終止符をうつ好機を拡大していかなくてはなりません。

ヨーロッパの諸民族は自らの故郷を愛しております。ドイツ人とて同様であります。自らの故郷を忘れうる民族が平和に愛情を寄せるなどということを信じるわけにまいりましょうか。

いや、平和への愛とは、故郷を忘れず、まさにそのためにこそ、いつも互いに平和で暮せるよう全力を挙げる決意をしていることであります。追われたものが故郷に寄せる愛情は、復讐主義ではないのであります。

      
戦後四年たった1949年の本日五月八日、議会評議会は基本法を承認いたしました。議会評議会の民主主義者たちは、党派の壁を越え、われわれの憲法(基本法)の第一条(第二項)に戦いと暴力支配に対する回答を記しております。

ドイツ国民は、それゆえに、世界における各人間共同社会・平和および正義の基礎として、不可侵の、かつ、譲渡しえない人権をみとめる

五月八日がもつこの意味についても今日心に刻む必要があります。

戦いが終ったころ、多くのドイツ人が自らのパスポートをかくしたり、他国のパスポートと交換しようといたしましたが、今日われわれの国籍をもつことは、高い評価を受ける権利であります。

傲慢、独善的である理由は毫もありません。しかしながらもしわれわれが、現在の行動とわれわれに課せられている未解決の課題へのガイドラインとして自らの歴史の記憶を役立てるなら、この40年間の歩みを心に刻んで感謝することは許されるでありましょう。

——第三帝国において精神病患者が殺害されたことを心に刻むなら、精神を病んでいる市民に暖かい目を注ぐことはわれわれ自身の課題であると理解することでありましょう。

——人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むなら、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人びとに対し門戸を閉ざすことはないでありましょう(拍手)。

——独裁下において自由な精神が迫害されたことを熟慮するなら、いかなる思想、いかなる批判であれ、そして、たとえそれがわれわれ自身にきびしい矢を放つものであったとしても、その思想、批判の自由を擁護するでありましょう。

——中東情勢についての判断を下すさいには、ドイツ人がユダヤ人同胞にもたらした運命がイスラエルの建国のひき金となったこと、そのさいの諸条件が今日なおこの地域の人びとの重荷となり、人びとを危険に曝しているのだ、ということを考えていただきたい。

——東側の隣人たちの戦時中の艱難を思うとき、これらの諸国との対立解消、緊張緩和、平和な隣人関係がドイツ外交政策の中心課題でありつづけることの理解が深まるでありましょう。双方が互いに心に刻み合い、たがいに尊敬し合うことが求められているのであり、人間としても、文化の面でも、そしてまたつまるところ歴史的にも、そうであってしかるべき理由があるのであります。

ソ連共産党のゴルバチョフ書記長は、ソ連指導部には大戦終結40年目にあたって反ドイツ感情をかきたてるつもりはないと言明いたしました。ソ連は諸民族の間の友情を支持する、というのであります。

東西間の理解、そしてまた全ヨーロッパにおける人権尊重に対するソ連の貢献について問いかけている時であればこそ、モスクワからのこうした兆しを見のがしてはなりますまい。われわれはソ連邦諸民族との友情を望んでおるのであります。

人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。
当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです。

われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。

われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。

人間は何をしかねないのか——これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。

道徳に究極の完成はありえません——いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。

ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。

若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
ロシア人やアメリカ人、
ユダヤ人やトルコ人、
オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
黒人や白人
これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。

若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。

民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。

自由を尊重しよう。
平和のために尽力しよう。
公正をよりどころにしよう。
正義については内面の規範に従おう。
今日五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。